行動
「寝ちゃったね」
『何だかんだで、あまり眠れていませんでしたもの』
泣き疲れてそのまま寝入ってしまった青年の顔を、二人と一匹が覗き込む。
コハクの膝の上ですうすうと寝息を立てている青年は、童顔も相まってあどけなかった。
『コハク、コハク。トラメとフジヒメが呼んでる。でる。結界を解く? 解く?』
チヅルの問いに、コハクは少し迷った。よく眠っている青年を起こしたくないが、膝から伝わる体温が高く感じる。そっと額に手を当てるとやはり熱かった。ベッドでちゃんと休ませてやった方がいいだろう。
「ハル、ポルクスをお願い」
「任しといてって、なんか熱いな。大丈夫か?」
青年を抱き上げたハルが心配そうに言った。
『今まで無理していたのと妖魔との分離、張りつめていたものが弛んだりと、色々と重なりましたもの』
ミソラが答えるのと同時に紙吹雪が起こり、チヅルの結界が解ける。ドアを開けてコハクは二人と護衛に付けていたホムラを招き入れた。
「さて、どうしたものか」
自室にて椅子に座ったキリング・バンクディは、行儀悪く机に片足を引っ掛けて考え込んでいた。
椅子の後ろ脚を支点に前脚を浮かせ、無意識にゆらゆらと揺すっている。考えているのは己の今の状態ではなく、ここからどう脱け出し、シリアをどう助け出すかだ。
脱け出すこと自体は難しくない。単にドアと窓に鍵を掛けられた程度、別に見張りが居るわけでもなし。こんなもの、閉じ込められたうちにも入らない。
よくよく、我が両親を馬鹿じゃないのかと思う。息子を暴力で従わせ、管理した気になっているのだからおめでたいと言っておこう。チョロくて助かるが。
あの日、両親はキリングを適当にサンドバッグにしてから、部屋へ閉じ込め謹慎を言い渡した。
有り難くも三度の食事と一緒に大量の問題集が差し入れられる。適当に片付けておけば、また新しい食事と問題集が届けられるという寸法だ。
キリングは立ち上がると、今も先ほど片付けた問題集と空の食器を、ドア横のサイドテーブルへ無造作に置いた。
これで次の食事の時間までは、自由時間という訳だ。謹慎中もキリングは、この自由時間を利用して何度も外へ出掛け、情報収集をしていた。
それによると、シリアはアウリム科学技術長官の研究所にいる。まずそれが厄介だ。あそこは警備も厳しいし、部外者は立ち入ることが出来ない。
仮に上手く忍び込んでシリアの元へたどり着いたとしよう。妖魔の宿主となったシリアがどういう状態なのかが分からない。分かったとしても妖魔とシリアを引き離せるのか。これが出来るのはミズホ国の妖魔狩り、『珠玉』くらいなものだ。
幸運なことに、首脳会談のために当の『珠玉』がこの国に滞在している。
「その『珠玉』にどうやって接触するかと、報酬だな」
国の賓客は官邸に通され、もてなされる。ここがまた、おいそれと一般人が立ち入れない。研究所も官邸も、ただの学生であるキリングが入り込むには現実的ではなかった。
報酬だが、家の金をこっそりくすねてはいる。使いもしない小遣いと合わせるとそれなりの金額はあるが、それも一般的な一カ月分の給料ほどだ。はたしてどれほどの金で動くのか見当もつかない。はした金だと突き返されたら、もしくは金では動かない場合、キリングに差し出せるものはあまりない。
よってキリングが探しているのは『デンキ』と呼ばれるミズホ国の諜報部員だ。以前父がぽろりと溢した情報では、幻の宝石商であり、妖魔狩りであり、諜報部員である彼らはマギリウヌ国の生活に何人か溶け込んでいるらしい。
窓を開けてキリングはいつものようにロープをつたい、するすると降りる。三階だからといって、両親はこうやってキリングが脱け出している可能性に、欠片も思い至ってないのだ。
地面に降りると庭木の茂みに隠していた靴を履き、さっさと外へ出た。
『デンキ』探しは思ったよりも難航した。それとなく飲食店や食料品店等で聞いてみるが空振りに終わる。夜の酒場も覗いてみたが、駄目だった。
黒髪に東の顔立ちなのだから目立つと思うし、生活していればどこかで目撃されているものだ。しかし、キリングが聞いた範囲ではどこにも痕跡がない。
そもそも脱け出していられる時間内で聞き込みが出来る範囲が狭い。かといって脱け出しているのがバレれば面倒なことになる。バレれる時はシリアを助ける為に一気に行動するときだ。
今頃シリアはどうしているだろう。思えばシリアのことは分からないことだらけだ。何で勉強が出来ないのか分からなかった。何で出来なくても一生懸命努力するのか分からなかった。何でキリングが二位になったとき泣きそうな顔をしたのか分からなかった。
「せっかく少し分かってきたってのに。ああ、くそ!」
がしがしと頭を掻いてから、キリングは官邸の方向に足を向けた。
官邸と研究所のあらかたの下調べは済んでいる。
シリアの事を考えたら、これ以上もたもたする訳にはいかない。手掛かり一つ掴めない『デンキ』のことは諦めて、こうなったら多少強引でもなんとか忍び込んでやる。
行動を起こすべく、走り出そうとしたキリングの手を何者かが握った。あっと思う間もなく口を塞がれ、建物の陰に引っ張り込まれた。




