なくしていた涙
「それが貴方の罪だと言うのね。宿主になり家族を殺した父親を憎む事が出来なかった。そんな自分が許せない、許すことの出来ない罪だと……」
なんて悲しい罪だろう。なんて不器用な人だろう。
宙に浮かぶ妖魔の光はとても弱く儚い。形ですら定かではなく常に揺らめいている。罪とも言えない罪を、無理矢理コハクが具現化させただけの下級妖魔だ。本人ですら無意識の奥底へ閉じ込めていた。
「私が貴方の罪を引き受けてあげる。貴方の名を教えて」
「……光」
「素直で優しい良い名ね、光」
名は真名となりて仮そめの生を授ける。光の揺らめきが止まり、はっきりとした丸い球になる。球はそのまま光を増して小さく凝縮し、ふいに消えた。後にはころりと小さな石が転がった。
コハクの白い手が石を拾い上げ懐へ入れた。
「うっ、うぅ」
ポルクスの全身の震えは最早、痙攣のように激しくなっていた。喉が熱い。頭が、がんがんと痛む。息が苦しい。視界が赤く染まる。
苦しそうな青年を見てコハクまで胸が苦しくなる。しかし、かける言葉が見付からず、少し迷ってから青年の背中へ手を回した。反対の手を首の後ろへやって抱き込む。
「罪は私が引き受けた。もう自分を許してあげなさい」
ふいに温かい何かに包まれて、ポルクスは苦しさを一瞬忘れた。視界の赤が黒に変わったことに混乱する。
「大丈夫。落ち着いて、ゆっくり呼吸して」
身を引きかけたら、頭を包む力が強くなってぽんぽんと優しく背中を叩かれた。少し遠慮がちなぎこちない抱擁。コハクに頭を抱きしめられているのだと遅れて理解する。
言われた通りにゆっくりと呼吸すると息苦しさと頭痛が引いていく。代わりに目頭が熱くなって鼻がつんとしてきた。
「コハクさん、僕……僕っ」
先程とは違う震えがくる。目がじんと熱い。
「我慢すんなよ、ばーか」
今度は大きな手がポルクスの頭に置かれた。ハルの声と共に骨ばった手が、金髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。その衝撃で目に溜まっていた熱い液体が流れた。
「ハルさ……んっ、うぅっ、僕、僕はっ」
一度流れてしまうともう駄目だった。後から後から溢れだしてコハクの衣服を濡らす。
「皆死にたくなんてなかった! 凄く痛くて苦しい思いをしたんだっ! きっと無念で、悔しくて、憎かった筈なんだ!」
涙を吸った着物がじんわりと熱い。感情が昂っているせいか、青年の身体も熱かった。
「憎もうとしたんですっ、第二部隊に入って、妖魔を殺さなきゃってっ。でも、皆反対してっ」
「それはそうでしょうね」
ふっと息を吐いてコハクは青年の背中をまた優しく叩いた。叩かれた青年は、コハクにぎゅっとしがみついてくる。
「うぅっ、ふっ、コハクさんたちに会って、余計に憎めなくなってっ、苦しくて」
だからポルクスは妖魔との対話と救済に夢中になった。妖魔を救うことで、苦しさを紛らわせた。
「妖魔の気持ちを知ることが出来たら、父さんの気持ちも理解出来るんじゃないか。妖魔たちを救えたら、もしかしたら、いつか父さんを救えるんじゃないかって」
三年前、大事な人たちを根こそぎ喪ってポルクス自身も瀕死の傷を負った。体の傷が癒えるのに一年、人形のようにただ生命を維持していただけの日々が一年、心配した伯父のバートンに引っ張り出され、第四部隊に入って一年。
第四部隊で人と関わる内に少しずつ前と同じように振る舞えるようになった。働いていれば少しでも役に立てる。笑顔を見せればバートンが嬉しそうにする。
世話になりっぱなしのバートンには、心配も迷惑もかけたくない。もし彼がいなければとっくに命を絶っていた。実際に入院中に何度か未遂をやったらしいが、ポルクスはあまり覚えていなかった。
迷惑ばっかり、心配ばっかりかけて何一つ返せない。周囲に心配されて優しくされればされるほど、何も出来ない何も返せない自分が情けなくて、生きる価値がないように思えた。
「あの日から、何でっ、どうしてって、ずっと頭の中を回ってた。父さんはどうしてって……僕はどうしてっ」
どうして気付かなかったのだろう。どうして、父親は家族を、ポルクスを、大切に思っていた人たちを殺したんだろう。
「どうして、あの時僕は皆と一緒に死ねなかったんだよっ。どうしてっ皆死んじゃったんだよっ。どうして、僕は父さんを憎めないんだよっ! いっそ父さんを、妖魔を憎めたら楽なのに、何で、僕はっ、そんなことも出来ないんだよぉっ」
ポルクスの言葉と嗚咽が一際大きくなる。
「僕なんかより、母さんが生きてればっ。弟や妹たちが助かってればっ! 僕なんか死ねば良かったのにぃっ!!」
「この、馬鹿っ!」
ごつんと頭に拳が落ちた。ハルからすれば手加減しまくった軽い一撃。
「甘ったれんな! 俺らみたいな罪の塊が仮初めとはいえ生きてんだぜ? お前ら人間は生きててなんぼだろ」
そろそろと少し顔を上げると、ハルの茶色の目が直ぐ側にあった。横にしゃがんでこちらを覗き込んでいるハルは、ポルクスの頭の上にもう一度手を乗せる。
「無理に憎まなくてもいいじゃん。苦しいなら憎もうとするのなんかやめちまえ」
溜め息混じりにかけられたハルの声と、頭を撫でてくれる手が優しい。
『父親を愛してるなら、愛してるでいいじゃないですの。何も悪いことなんかじゃありませんわ』
ハルの肩に飛び乗った子猫が、呆れたように目を細めた。笑うと犬歯が覗くハルの顔と、黒い子猫の姿がみるみる歪む。
「僕、何にも出来なくても、いいのかなぁっ? 返せなくてもいいのかなぁっ? ……生きてて……いいのかな?」
ずっと誰かに聞きたくて聞けなかったことがぽろりと溢れた。
「いいに決まってるでしょう?」
「当たり前だろ」
『いいに決まってますわ』
「っ……うああああっ」
そこからは言葉にならなかった。涙と熱い感情の溢れるままに、ポルクスは子供みたいに大泣きした。




