青年の歪さ
ふうっと息を吐いて、ポルクスはコハクの肩を掴んでいた手から力を抜いた。そこではっと我に返る。思ったよりも力を入れて掴んでいたことに気付いたのだ。
「ごめんなさいっ、コハクさん! 痛くなかったですか?」
「平気よ。それよりも大丈夫なんでしょうね?」
妖魔との対話を止めようとしたコハクに、ポルクスが囁いたのは「信じて下さい」の一言であった。
「良かった。で、何が大丈夫なんですか?」
肝心のポルクスは平気というコハクに胸を撫で下ろし、大丈夫なのかと念押しされてきょとんとする。
「何がって……。さっきのことよ。信じていいんでしょうね?」
コハクの言葉に新米隊員は、びくりと背筋を伸ばして明後日の方向を見た。この反応にコハクの眉が跳ね上がる。
「何か策があるなり自信があるから、信じろなんて言ったのではないの?」
「え? いや、あるというか、ないというか」
分かり易く目を泳がせている青年を見て、コハクは半眼になった。
「なに、その曖昧な答えは? 貴方には自分の命が懸かっているという自覚がないの?」
「ありますよ。勘違いされているようですが、僕だって自分の命は惜しいです」
だったらなぜあんな交渉をしたのだと、コハクは不服そうに唇を尖らせた青年を眺める。
コハクのじっとりとした視線に、青年は冷や汗を浮かべた。
「命が惜しいなら、どうして貴方だけで宿主と妖魔の分離させることを承諾したの」
ちらりと向こうを見ると、アウリムがせかせかと装置を弄り、他の科学者が運んできた機械に何かを打ち込んでいる。
「これくらいやらないとアウリム科学技術長官と直接交渉なんて無理です。ラナイガ議会長だって、今までアウリム科学技術長官と話すことは出来なかったんですから」
ポルクスというカードに食い付いてくるこの機会は、またとない好機だった。
「それに、コハクさんが側にいてくれれば大丈夫だと思ったんです。例え僕が失敗しても何とかしてくれる、死ぬような事態は避けられると……」
「簡単に人に命を委ねないで! 私が何もかも対応出来る訳ではないのよ」
青年の答えに思わずコハクは声を荒げた、例え失敗しても何とかしてくれる、そんな他人任せで不確定な策に命を賭けるなんて、舐めているとしか思えない。
「その時はその時です。僕の考えが甘かったんですから、もしそれで僕が死んでも自業自得です」
「死んでも自業自得?」
この答えにコハクは愕然とする。ミソラを受け入れた時もそうだった。あの時この青年は自分の責任でミソラを信じると、もしもミソラに喰われることがあろうともそれは自分の責任なのだと言った。青年の覚悟を美しいと、眩しいとも感じた。
けれど裏返せば、例え死ぬような事になってもいいということではないのか。
この青年の有り様は、もしかすると誰よりも歪なのではないのだろうか。
ぞっとした。目の前の青年が酷く危うく感じる。
「ポルクス……」
消えてなくなりそうな感覚を覚え、コハクは青年に手を伸ばす。しかしコハクの手が青年に届く前に準備が出来たとアウリムが呼んだ。
「行ってきます」
コハクの手は空を切り、青年の後ろ姿を見送るのみとなる。ざわざわと胸を騒がせる不安を打ち消すように、コハクはシオリに命じた。
「シオリ、いつでも介入出来るよう準備していて」
「いいの? 私たちの力を借りずにやらなきゃならないんでしょ?」
「……手は出さないわ。ただし彼の身の安全は確保する。それが今回の依頼よ」
聞き返すシオリへ、コハクは苦々しく答える。交渉そのものは拙くはない。青年の身の安全だけが除外されているが、それを見越してコハクへ依頼が来たのだろう。ラナイガとトラメがどこまで読んでいるのかは知らないが、今は依頼を優先し何が何でも遂行してみせるのが先決だと判断した。
「ふふふ。依頼、ね」
「何が言いたいの?」
含みのある流し眼をコハクに送るシオリの態度が引っ掛かり、ぴくりと片眉を上げる。
「うふふ。今のコハクはとっても素敵だな、と思って」
シオリはうっとりと夢見るように両手を合わせて微笑んだ。意味の分からない答えにコハクは苛立つ。そんなコハクを見てシオリはますます嬉しそうにふふふと笑って言った。
「恋する乙女って素敵よね」
続く一言の意味を理解するのに、暫く時を要した。数秒間固まってから、コハクの頭の中にシオリの言った言葉がもう一度浮かぶ。今、恋する乙女とか言わなかっただろうか。
「はあっ!?」
我ながら驚くほど声が裏返った。何を勘違いしているのだと慌てる。
「ちょっと待ちなさい。何変な解釈をしているの。そんなわけないでしょう」
「やだ、赤くなって可愛い!」
「違う。変な事を言うから驚いただけで、断じて違う!」
「あ、始まるみたいよ?」
「え?」
見ると、アウリムが檻の錠を開けるところだった。コハクは科学者たちが対妖魔銃を構える中、檻の扉を潜ろうとするポルクスの後を急いで追う。
「後で話し合いましょう、シオリ。分かったわね?」
扉を潜る前にコハクはシオリに念を押す。
「ええ。楽しみ」
返ってきたのは全く分かっていない返事だった。




