新米隊員の現場百遍
「第四部隊隊員、ポルクス・キングスであります。コハク様のご案内を仰せつかりました!」
力いっぱい挨拶したのは、明るい金髪に垂れ目気味の青い瞳、そばかすの浮かぶ頬を緊張に強張らせた、生真面目そうな若い青年だ。
直立不動で敬礼した彼は、コハクの目を見て息を飲んだ。今は黄褐色の中をゆっくりと破片が舞っているが、やはり初めて見るものにとっては異様だろう。
「よろしくね」
ポルクスは一瞬停滞したものの、直ぐに職務に戻った。
「はい! よろしくお願いします!」
彼は無駄に力の入った挨拶をしてから、コハクたちを先導した。
「まずは現場百遍です」
ポルクスに案内されたのは、寂れた路地裏だった。華やかな通りから少し外れれば、細く暗い昼でも日の差さない路地と、古くて小汚ない家が並ぶ貧困街が在った。
賑やかで活気と喧騒に溢れた表通りから、たった一本裏に入るだけで存在する路地裏は、格差の激しいこの国の象徴でもあった。
「五日前ここで中年の男性が妖魔に喰われました。発見したのは昼間ですが、喰われたのは夜間でしょう」
背の高い建物に挟まれた、狭い路地裏には未だ生々しい血痕がこびりついている。
「同じ手口の殺人は他二件ですが、この現場が一番新しいものです」
ポルクスは始終頭から爪先までピンと伸ばした姿勢のまま説明する。
「治安維持警備隊は妖魔の足取りをどれくらい掴んでいるの?」
「それがあまり芳しくありません。妖魔が出るのは夜間のみ、現場もみなこのような人気のない路地裏で目撃者はありません」
「そう」
例え目撃者があったところで死体が増えるだけだろう。コハクは端から期待はしていなかった。
「おいで、ハル」
瞳の破片が姿を変えて青年が現れる。茶色の尻尾を千切れんばかりに振り回し、元気よく言った。
「やっと喚んでくれた! コハク! それで何するの? 何したらいい? 何でも言って!」
コハクの後に控えるホムラの顔が一気に渋面になる。この二人はどうにも相性が悪い。
「ほ、本当に妖魔を使役してる」
ポルクスが腰を引かせて、ぽつりと本音を漏らした。ハルがなんだこいつ、という視線を向けると青くなってまた直立不動の姿勢をとる。
「ハル、匂いを辿って欲しいの」
「匂いだね。分かった」
ハルはにっこりとコハクに笑いかけてから、こびりついた血痕へ近寄る。ハルの雰囲気が人懐こい子犬から、猟犬のそれへと変わった。
「こっちだ」
スンと匂いを一嗅ぎしてから立ち上がり、路地裏から出ようとするハルの衣の裾をコハクが掴んだ。
「待ってハル。その姿のままじゃ駄目よ」
耳と尻尾の生えたハルの姿は、ミズホ国内ではともかく他国では目立つ。ハルはホムラのように完全な人形はとれない。
「ええ~。このままじゃ駄目?」
「使役されている妖魔なんて普通いないのよ。知らない人が見たら勘違いするわ」
「ちぇっ、しょうがないなあ」
ハルは大袈裟にため息をついて、耳と尻尾を力なく垂れさせた。それからすうっと姿を変える。青年だったハルは身をみるみる縮まらせ、完全な茶色の犬になった。
犬のハルはこちらをチラリと見て、路地裏の外へと体を向ける。
コハクはハルの後へ付いていこうとしてから、目を丸くして固まっているポルクスへ声をかけた。
「何をしているの? 行きましょう」
「あ、はい! すみません」
彼ははっと我に返り、慌てて駆け寄ってきた。
「お前、新人か?」
ホムラがじろりとポルクスを睨みつける。彼の挙動はいちいち大袈裟で力が入りすぎているのだ。場馴れしているようには思えない。
「は、はい。警備隊に入ってもうすぐ一年になります。僕が新人なのもありますが、第四部隊そのものが市民の窓口係といいますか、あまり妖魔関連の事件を担当したことがなくて」
ホムラの威圧に小さくなりながら、ポルクスはもごもごと続けた。
「殆どが第二や第三部隊の雑用と市民への仲介が仕事です。東邦の魔女殿のお世話もそういった経緯から来たものと」
「ほう?」
東邦の魔女という単語に、ホムラとハルの機嫌が下がった。
東邦自体は単なる東を表す言葉であったが、邦には土を盛って境界を築くという意味があり、転じて土で境界を築く蛮族という侮蔑の意味が込められるようになった。
ましてや魔女は妖術を行使して人に害を及ぼす存在として忌み嫌われている。
つまり、東邦の魔女とはコハクを蔑み見下した呼び方なのだ。
ちなみに魔女というと女性だけのようだが、男性もひっくるめられている。
しまった口が滑ったと、ポルクスが慌てて口元を押さえたが、時既に遅しだ。
『喧嘩売ってんの!? 人間!』
「いい度胸だな、若造」
ハルの言葉はコハク以外には単なる犬の唸り声だが、牙を剥き出している様は敵意を向けられているのが明らかだ。ホムラに至っては目が完全に据わり、その手はポルクスの襟首を掴んでいた。
「ひいいぃっ、ごめんなさい」
「二人とも、そこまで」
コハクは青ざめて謝るポルクスの襟首を掴むホムラの手を取り、噛みつきに行こうとしたハルの鼻面に反対の手を翳した。
『こいつ、コハクを馬鹿にした。腹立つ!』
「東邦の魔女は私たちへの世間一般的な呼び名よ。別に目くじら立てることじゃないわ」
東の辺境にある小さな国が、大陸において時に大国を押し退ける影響力があることが、他国に忌避感を与えている。加えて妖魔を使役するという特異性と、立地的に他国との交易が盛んでないことで古来より畏怖の対象だ。この手の蔑称や誹謗は日常茶飯事だった。
「本当にすみません、別にあなた方に悪感情があるわけではないんです。皆がそう呼んでいるのでついポロッと」
恐縮して必死に謝るポルクスは、本当にそう思っているのだろう。
『ああん! まだ言うのか』
「私は気にしてないから構わないわ。ただ、あまりうちの者を刺激しないでね。口は災いの元よ」
唸るハルの頭を撫でて宥める。全く、治安維持警備隊の幹部の登場といい、慣れていない新人の案内、新たな対妖魔銃、二件の手口の違う殺しといい。
「容易じゃなさそうね、今回の依頼は」
コハクの言葉は独り言として、表通りから流れてくる騒がしいナナガ国の空気に溶けた。
東邦についての転じての意味は作者の創作です。
本来の意味とは違いますよ。