積もらない雪
コハクたちが部屋を出ていってしまってから、ポルクスはソファーに突っ伏した。
「なにやってるんだろう、僕」
ソファーに顔を押し付けたまま、くぐもった声で呻く。皆が心配してくれていることも分かっている。だから余計に焦燥感が募る。自分は皆に心配される程、気にかけて貰える程大層な人間じゃない。
後ろ頭に小さな重みが加わる。ミソラがテーブルから飛び降りてポルクスに乗っかったらしい。
『本当に世話の焼ける方ですわね』
爪を引っ込めた猫パンチが、頬にお見舞いされた。擽ったさに顔を上げると、今度は尻尾で鼻を叩かれる。
「ふえっくしっ!」
ふわふわとした毛に鼻を刺激され、堪らずポルクスは起き上がってくしゃみをした。
「何するんだよ」
『辛気臭いのは嫌いですの』
ミソラはテーブルの上に戻り、つんとすまして座った。ちろりと緑の目を片方だけ開けてポルクスを流し見る。
「そうだね。ほんと、なにやってるんだろう」
苦笑してからポルクスは自分の頬を張った。ぱんという小気味いい音と共に気分を変える。
夕食会なるものには出なくてもいいと言われている。ポルクスの分の夕食は部屋に運んでくれるそうだ。となれば今日はもう外に出ることもないだろうと、着替えの為に荷物を取りに行く。
部屋が広すぎるためソファーからクローゼット迄が遠い。開けてみると何枚収納出来るのかと思うような大きさで、ポルクスの掛けた上着だけがクローゼットをぽつんと賑わせた。
荷物から普段着を引っ張り出し制服のシャツも脱ぐと、引きつれたような傷痕が覗く。さっさと普段着のシャツを被り、荷物の中から写真立てを取り出した。
写真に写る七人の内一人はポルクス自身だ。隣に写っている人物だけが黒く塗り潰してある。
ポルクス・キングスが育ったのは、ナナガ国では珍しい中流家庭だ。貧富の差が激しいナナガ国では、僅かな上流家庭とその下の、ある意味上流家庭よりも少ない中流家庭、圧倒的に多い貧困層で構成されている。
父は医者で母は教師、兄弟姉妹が五人でポルクスは長男だ。
自宅兼診療所で働く父を尊敬し、厳しくも優しい母が大好きだった。父は街でも評判の医者で、貧困街の者からは金を取らない。何処へ行っても「先生」と慕われ、ポルクスにとって自慢の父親だった。
母は教師として働く傍ら、近くの店の二階を借りて貧民街の子供たちに読み書きを教えていた。ポルクスもよく母に手伝いを強要され、悪がき相手に教えたものだ。
生意気な弟におませな妹が二人と幼い弟が一人。幸せでなに不自由のない生活がずっと続くと思っていた。
服に隠れた傷痕がポルクスに鈍い痛みを訴えてくる。天気でも悪くなるのかもしれない。
「雨でも降るのかな」
窓辺に寄って空を見上げると白いものが舞い落ち、ドームに当たって消えた。どうやら雨ではなく雪だったらしい。
夕食が運ばれてくる迄の間、青年は降っては溶けて消える雪を眺めていた。
夕食会の会場はマギリウヌ国らしくシンプルで機能的なものだった。西の大国ならばきらびやかな照明と調度品が好まれるが、マギリウヌ国のものは一見簡素だが品質は最高級である。
会場の中央に鎮座する大きなテーブルは一本の木で作られたものだそうで、樹齢は千年に近いという。飾り彫りの一つもないつるりとしたテーブルに並ぶのは煮込み料理の数々だ。海にも面しているため、魚料理も多い。
「お口に合いますかな」
「ええ。大変美味しゅうございますわ」
「ええ、ええ。我が国に持って帰りたい程ですなあ」
形ばかりの賛辞を政治屋たちは交わし合う。さて、誰から仕掛けるのか、もしくは様子見で終わるのか。トラメは上品に口元へ料理を運び、場に居るものを観察した。トラメとフジヒメ、コハクのミズホ国陣、ラナイガ、ナナガ国国王のナナガ国陣、ボロス国家元首、アウリム科学技術長官のマギリウヌ国陣が席を埋めている。
会話は当たり障りのない各々の国内情勢と、誉め合いの応酬が続く。
「して、先月の高位妖魔の事件ですが。我が国の対妖魔銃がお役に立ったそうで」
ボロスが布で口元を拭い、何気なく切り出した。
「ええ、ええ。その節は大変助かりましたよ。是非とも生産拡大と我が国への優先的な輸出を願いたいところですなあ」
老人特有のビブラートのかかった声で、ラナイガがしれっとボロスの会話に乗った。
「自国で高位妖魔の対処が出来るメリットは非常に大きい。今後も我がナナガ国は、マギリウヌ国の技術開発への援助を惜しみませんと約束致しましょう」
「それはそれは! ですがそうなりますと、ミズホ国の仕事を取ってしまいますな」
ボロスは見え透いた仕草で肩を竦め、冷たい水色の目をトラメへ向ける。
来た、と静かに思う反面、随分性急なことだとトラメは思う。
「ふふふ。高位妖魔の脅威が減るのは良いことですわ。自国の国益は確かに喜ばしいことですが、他国を蔑ろにしての益は結局自国の首を絞めますもの」
商業国であるナナガ国と、常に最新の技術を提供するマギリウヌ国は切っても切り離せない関係だ。同じくらい世界随一の妖魔被害件数を誇るナナガ国と、妖魔狩りを有するミズホ国の結び付きも固い。そこへ亀裂を入れるのが最新の対妖魔銃なのだ。
他国に比べて外交下手なマギリウヌ国とて、この切り札を使わない理由がないのは分かっていた。
更にいえばマギリウヌ国は確かに他国に比べて外交下手だが、ボロス国家元首は別なのだ。厳しい環境の極貧国だったマギリウヌ国を科学国家として押し上げたのは彼の手腕なのだから。
そして、マギリウヌ国を科学国家足らしめたもう一人の功労者が、あの男だ。
自身が開発した銃が話題に上がっているというのに、アウリム科学技術長官は目の前の料理を平らげることに夢中だ。この国を動かす影の権力者であるこの男は、興味があること以外には無頓着なのだ。
彼はマギリウヌ国を他国の追随を許さぬ科学国家にした功労者であると共に、外交下手だと認識される元凶でもある。
周りの報道陣のカメラがフラッシュを忙しく焚く中、三人の政治屋たちが浮かべる表面上の微笑みは一層深くなった。




