きな臭い依頼
空の旅を堪能した分、平衡感覚をやられた。
ぐらぐらと揺れる視界と、現実感のない体の感覚にコハクはうんざりとした。
「ありがとう、スズ」
『どういたしまして』
チチチと囀って、くるりと鳥の姿が小さな破片へと変わり、コハクの瞳へ吸い込まれた。
「背負ってやろうか?」
「いい」
短く断ったコハクにホムラは手を差し出す。感覚が戻るまで、しばらくは一人で歩けないだろう。大人しく手を引かれる彼女を先導して、ミズホ国とは段違いの活気を誇る街を歩く。
大陸の中央に位置するナナガ国は、貿易の中心であると共に有名な商業国だ。世界中のありとあらゆる人種と物資が集まって、あちこちに都市を構成している。ナナガ国内の数多に存在する町一つだけでも、ミズホ国の人口を軽く越えるらしい。
今いるのはナナガ国の首都だが、ここに来る間にもぎっしりと建物が立ち並び、コハクには首都と首都でない街の境界線すらさっぱり分からない。お陰でスズが降りる場所にも難儀した。
大通りには人が溢れ、せかせかと歩く人々の顔立ちも衣服も様々だ。
白い肌の者、浅黒い肌の者、彫りの深い顔立ちや浅い顔立ち、髪の色も目の色も違う。お喋りしながら歩く若い女性、荷車を運ぶ青年、チラシを配る中年の男性、買い物を抱えた女性、声をかける売り子たちの威勢のいい声。建物ですら統一感もなく節操なしに立ち並んでいる。
いつ来ても目が回りそうな国だとコハクは思う。ホムラと手を繋いでいて良かった。平衡感覚は戻ったが、今度は人に酔いそうだ。もしくは迷子になれる。
熱気と喧騒と活気に包まれた街。同時に闇を孕む街でもある。さぞかし妖魔が生まれることだろう。
だからコハクが必要とされるのだ。
目的の建物へ到着し、ようやくホムラがコハクの手を離した。ナナガ国は北のマギリウヌ国からの技術を多く取り入れた建物が多い。目の前の建物も例に漏れず、無機質で硬い灰色の土壁と鉄の骨組みで出来ている。
同じく土を練り固めた階段を上り、アーチをくぐる。アーチの手前には石碑があり、治安維持警備隊という文字が刻まれていた。
「コハク・竜波だな。よく来てくれた」
通された応接室で待っていたのは、五十代前半の男だった。彫りが深く肌は白い、西に多く見られる顔立ちにくすんだ金髪と灰色がかった水色の瞳。男は立ち上がってコハクとホムラへ椅子を勧めた。
「私は治安維持警備隊、第一部隊隊長ライズ・マルガヤという」
握手を求めるライズ隊長に応えてから椅子に腰かける。きっちりと制服を着込んだ女性が慣れた様子でお茶を運んで退席した。
ナナガ国治安維持警備隊の第一部隊隊長とは、随分と大物が出てきたものだ。第一から第四まである部隊の中でも第一部隊はエリート、その隊長ともなれば治安維持警備隊のNo.2だ。
「近年妖魔による傷害、殺害の事件は我がナナガ国で増加の一方だ。我々としても対策に追われているが、いたちごっこだな」
「ナナガ国が抱える問題に、私たちは関与しないわ。さっさと本題に入って」
にべもないコハクの答えに、ライズは口元を弛めた。数枚の写真を机に置いた。
「承知している。前置きは止めて本題に入ろう。まずこれを見てほしい」
差し出された写真に写るのは、死体の数々だ。いずれも何かに喰われたのか体の一部が欠損している。
「二種類の殺し方ね」
写真の死体は、所構わず噛みきられたようなものと、内臓だけを喰われたものとの二種類がある。
「その通り。それが君たちへ依頼した理由だ。近年の妖魔被害の拡大で我々治安維持警備隊は手一杯なところへ、二件もの高位と思われる妖魔の出現。正直手に負えない」
ライズは噛み千切られている方の写真を指先で叩いた。
「こちらの妖魔を封じて貰いたい。もう一方は我々が追おう」
「高位の妖魔が貴方たちの手に負えるの?」
「妖魔退治は最早ミズホ国の専売特許ではない」
ライズは立ち上がり背を向けて、後ろの棚から一丁の銃を取り出した。治安維持部隊の者が必ず携帯している小銃より、一回り大きな片手銃だった。
「マギリウヌ国の科学技術による対妖魔武器だ。今までの物より格段に威力が増した。理論上では高位の妖魔にも十二分に通じる。今回で実際にこいつの威力を試す」
下級妖魔には実験済みだが高位の妖魔となれば、試そうにも捕まえることは難しい。そうライズは続けてから、ホムラを振り返った。
「もっとも、君の使役する妖魔が協力してくれるなら話も早いのだがね」
ライズの視線を受けてホムラが片眉を上げる。彼が何かを言う前にコハクの声が割り込んだ。
「ライズ隊長。私の家族に矛を向けるなら」
ピリッと空気が張り詰める。コハクの瞳の中の破片がいつにも増して激しく舞っていた。
「私は容赦しない」
時に色さえ変える程に荒れ狂うコハクの瞳に、ライズは射竦められた。背中を冷たい汗が伝う。
「冗談だ。試し撃ちは予定通り今回の妖魔でやる」
ふっと空気が戻る。それまでの雰囲気が嘘のように、コハクはすました顔でお茶を飲んだ。
「これは依頼の資料だ。これからの案内や諸々の手配は第四部隊のものにさせる」
ライズは銃を戻して鍵をかけ、資料を渡した。これでここでの話は終わりだった。