新米隊員の現場到着
痺れた右手に吸い付くグリップが己の感覚を更に奪う気がした。強く握り締めたままアルフレッドは妹と妖魔の戦いを目で追う。
拳銃でどうしようというのか、アルフレッド自身にも分かっていない。中身が異形となってしまった妹をせめて自分の手で殺したいのか。ただの防衛本能なのか。
チェルシーは大量の糸を編んで拳の形を作り、ハルへ叩きつけようとしている。しかし狙いも散漫、張った罠も殆ど引き千切られ、一度覚えてしまった恐怖から動きに精彩を欠いていた。あっさりと避けられ、すれ違い様に犬の牙によって肉を削ぎ落とされる。
しかし、犬の妖魔の方も無傷とはいかない。何度も糸で切られた体はズタズタで、右の前足に至っては骨も断たれ、ぶらりと垂れ下がっていた。意に介さず地面を蹴ろうとして、千切れかけた足では踏ん張りが効かずにバランスを崩す。好機とばかりに糸で出来た拳が振り下ろされるが、火柱となって黒い灰へと変わり四散した。
火柱は糸だけでなく、近くにいた犬も巻き込んだ。左顔面は焔に炙られて焼け爛れ、皮下組織を空気に晒している。赤黒い妖気に覆われた犬の妖魔は、チェルシーよりも余程禍々しかった。
上がった火柱に焼かれないよう千鶴は必死に妖気を込める。それでも何枚かが焼かれてしまった。
「早く帰って来てよう。来てよう。コハク。コハク」
千鶴の切なる祈りは届くことなく、ホムラの腕で意識を手放しているコハクは目覚める様子がない。ううー、と唸り千鶴はまた結界を補強しようとして、ふと気が付いた。
誰かが外で呼んでいる。千鶴は誰だろうと意識を結界の外へ向けた。
「ハヤミさん、遅かったですね」
一方結界の外では建設予定の更地でカーズたちが所在なさげに立ち尽くしていた。そこへ走ってきたハヤミに気付き声をかける。『珠玉』が現れた時使役した妖魔の能力で宿主の少女と兄、その恋人と『珠玉』たちの姿は、紙で出来た棒が広がると共に飲み込まれるように消えてしまった。
残された自分たちの位置も場所も何ら変化はない。空間を隔てる能力なのだろうとカーズは当たりをつけている。
「なあに、ちょいと置いてきぼりを食いましてねェ」
相変わらず胡散臭い笑みを貼り付け、ハヤミは適当な答えを返した。ハヤミに担がれた青年を見てカーズは眉を寄せる。
「第四の坊主じゃないですか。何があったんです?」
ハヤミの肩にぐったりと身を預けているのは、同じ治安維持警備隊の新米隊員だ。外傷は見当たらないが意識がないようだ。
「ま、色々ありやしてねェ。話せば長くなるんでさァ。ああ、心配ありやせんよ。疲れて寝てるだけですからねェ」
肩を竦めてハヤミは適当にはぐらかす。おいそれと話せる内容ではないし、実を言うとハヤミ自身も信じられなかった。本当にただの人間が妖魔を従えてしまうなど。
あれからここへ来るまでの道中、下級二体、中級一体の妖魔に出会った。ポルクスという青年の懐に収まっている猫は確かに妖魔だったが、何ごとも確かめてみないと気が済まないのがハヤミの性分だ。だからわざと挑発してやってから、妖魔へ向き合わせた。
彼はハヤミの挑発に硬い表情を見せたものの、支離滅裂な妖魔たちの言葉を根気よく聞き最後には説得してみせた。よくもまあ、あんな陰気臭いモンに向き合えるものだとハヤミは思う。
もしかすると、『珠玉』でなくとも妖魔たちの言葉を真剣に聞いてやれば誰にでも出来るのかと、ハヤミ自身も一体の妖魔相手に試してみた。ところが妖魔のグチグチ辛気くさい言い分に苛々するのを押し殺し、営業スマイルで対応していたら逆に妖魔の機嫌を損ねてしまい、ポルクスに怒られた。
結局ポルクスはへそを曲げた妖魔を宥め、話を聞き直し妖魔と一緒になって罪に向き合ってそのまま従えてしまった。三体の妖魔を従えた所でぶっ倒れてしまい、後はハヤミが担いで走り今に至る。とはいえ彼はあくまでただの人間、それもミソラと仮だが契約状態にある。二重契約は出来なかった。
「チヅルさん! 聞こえます? ハヤミでさァ!」
肩のポルクスを地面に下ろしてハヤミは声を張り上げた。青年の背中に乗っていた子猫がひらりと飛び降りて、小さな体を青年の顔へ擦り付ける。
「……あれ? もう着いたんですか?」
柔らかい体毛に頬を擽られ、寝ぼけ眼の青い垂れ目が黒い子猫を映した。
「あ、ミソラ。おはよう」
『おはよう、ポルクス。この状況でその挨拶が出てくる辺り、貴方も相当肝が据わってますわね』
呆れたように尻尾を揺らしてから、子猫はポルクスの制服の隙間に潜り込む。担がれている間はそこにいると潰されてしまうため、渋々背中に乗っていたのだ。
「遅かったじゃない! ない! ハヤミ。ハヤミ。あの子も居る? 居る?」
何もない空中から、壁かなにかをすり抜けたように小さな少女の頭部が現れ、カーズはぎょっとする。真っ白な少女は、意識をはっきりさせようと瞬きを繰り返す金髪の青年を認めて、小さな両手を伸ばした。
空中から首と手だけが生えている状態だ。はっきり言って異様な光景である。
「ちょっと来て! 来て!」
「へ?」
反射的に差し出された手を握ったポルクスは間抜けな声を上げた。とても幼女とは思えない力で引っ張られ、あっという間に千鶴の結界に引きずり込まれた。
「わっ、とっとっ!」
千鶴に引っ張られてポルクスはつんのめるように二、三歩前に出る。辺りを見渡すとすぐ横に座り込んで支え合うリルとアルフレッド、前方に大事そうにコハクを抱えたホムラ、その先には血塗れのハルと銀髪の少女がいた。
「わっ! 大丈夫ですか!?」
視界に入った人たち全員が皆、何かしら傷を負っていてそれはそれで心配なのだが、真っ先に気になったのは近くにいた銀髪の男だった。リルが寄り添っていることから、この男が例の想い人なのだろう。ポルクスが膝を着くとミソラがするりと懐から出た。
『穴は塞いで差し上げます』
ミソラが小さな黒い前足を男へ乗せると、痛みが消えてアルフレッドは目を見開いた。その様子にミソラは満足そうに緑の目を細める。尻尾をピンと立ててポルクスの肩へ跳び上がりちょこんと座った。




