守りたかったもの
「ちっ! 減らず口ばかり叩きおって。もういい、例えお前が高位妖魔の宿主だろうと違っていようと、こうすればデータは取れる」
ライズはアルフレッドの眉間へ狙いを定める。マギリウヌ国との取引条件は開発資金の援助と使用した時のデータだ。出来ることなら高位妖魔に直接撃ちこんで、ダメージの程を見たかったが仕方がない。
ここまでやられて反撃も何もないということは、こいつはただの人間だったという事だろう。
この男が宿主でなければ、宿主候補は妹たちに絞られるだけだ。そちらにも部下をやっているが、あいにくと部下の持つ従来の銃では、高位妖魔相手には効かない。さっさとこの男を片付けてそちらに向かわなくては。
全く、とんだ弾の無駄遣いだった。この対妖魔銃は銃そのものが特殊なのではなく、弾が特殊なのだ。ただの人間や物にも普通の銃として効力を発揮するものの、現状で弾に限りがあるのだから、高位妖魔で試し撃ちをしなければ勿体ない。
舌打ちをしてライズは従来の小型銃と取り替えた。ライズの様子にアルフレッドの顔色が変わる。熟知していた路地裏の悪路を逃げまくり、ここまで付き合わせてきたが本格的に見切られたようだ。
ここでアルフレッドに出来ることは二つだ。恥も外聞もかなぐり捨てて逃げるか、玉砕覚悟で微々たる時間稼ぎの続行か。
アルフレッドは後者を取る。逃げるには追い詰められ、血を流し過ぎていた。ライズ一人ならともかく、後ろには小銃を構えた隊員と剣を構えた隊員もいる。
アルフレッドは撃たれていない方の足へ力を込めて前へ出る。おあつらえ向きにアルフレッドの前にライズがいるから、後ろの奴らは迂闊に撃てない筈だ。銃の射線から急所を外せば、もう一、二発喰らっても目的は遂げられる。
色白の神経質そうな顔、糊の張った制服をきっちりと着込んだ見るからなエリート面が気に入らない。
今目の前にいる最大の障害の横っ面へ、一発お見舞いしてやる。何の意味もないかも知れないただの嫌がらせだ。
ついでに死んだら思いっきり抱きついて引き倒してやろう。男に抱きつくなんざ御免だが、力の抜けた死体に下敷きにされたら、抜け出すのに難儀する筈だ。時間稼ぎと嫌がらせの一挙両得っていうのも乙じゃないか。
苛立たしげに眉を寄せて、ライズは引き金へ力を込めた。アルフレッドは衝撃に備えて歯を食い縛るが、予想していた痛みは来ず、アルフレッドの拳がライズに届くこともなかった。
弾かれた小銃の乾いた発砲音が夜の空気をつん裂き、割り込んだ人影に拳が止まる。
「……な、何故だ?何で来た!?」
ヘーゼルの瞳が激しく揺れた。守りたくて遠ざけた人物が目の前にいる。今ではこの世で唯一の肉親である妹、チェルシーが。
長い銀髪にヘーゼルの瞳、アルフレッドによく似て整った顔立ちにすらりと伸びた肢体は、肉親の贔屓目を除いても美少女だった。
もう一人の妹、レイチェルもそうだ。パンも満足に食べられない貧民で、庇護をしてくれる親もいない容姿の整った少女が居ればどうなるかは明白だ。だから余計にアルフレッドは必死に金を掻き集めた。妹たちが性の対象になる前に貧乏から抜け出したのだ。
親父と母親も死に、妹二人と寄り添い合って生きてきた。寒くて凍える夜も、空きすぎて痛くて堪らない腹を抱えて、妹たちと手を繋ぎ歯を食い縛って乗り越えた。ようやく、ようやくどん底から這い出て、腹を空かせて過ごさなくてもよくなり、アルフレッドは有頂天になった。なってしまった。
「逃げろと言っただろう! 何で!」
舞い上がって見えなくなった足下をリルに指差して貰った。彼女はアルフレッドが必死に手を伸ばして掴んだものを否定してまわり、捨ててきたものを誉めて喜んだ。そうして生意気で真っ直ぐな瞳でアルフレッドを射抜き「貴方にはこっちの方が似合いますわ」とことある毎に言った。
言葉で態度で、彼女はアルフレッドの本質を見抜き、見た目でない彼自身を見てくれた。
恋だとか愛だとか云うものを、自分が本当は何を掴みたかったのかを教えてくれた。
狂った歯車に気付いたのは、その後だった。
「逃げる必要なんてないのよ、兄さん」
額のど真ん中を小銃で撃たれたのに、傷痕一つない顔でチェルシーは微笑んだ。彼女の瞳にはアルフレッドしか映っておらず、ライズや取り囲む隊員たちは完全に意識の外だった。
「もう逃げなくてもいいの。お金を稼がなくてもいいの。学校なんて行かなくても平気。そんな事などしなくっても、もうひもじい思いなんてしなくていいの。だって」
花が綻ぶような無邪気な笑顔をチェルシーは振り撒く。周りから一斉に向けられた殺気も、小銃から対妖魔銃へ変えたライズすらも無視だ。
「ご飯なら、こんなに沢山あるんだから」
この状況でなければ、この台詞でなければ、それこそ此所が花畑であれば、『ご飯』が普通の食事を指しているのであれば、何の違和感もなくチェルシーの笑顔は可憐で愛らしい。
「飛んで火に入る夏の虫だな、本物の宿主」
「ライズ隊長! 危険です、下がって下さい!」
「何を言う。データを取る絶好の好機だろう?」
部下の忠告をライズは一蹴した。忠告した部下も、上司の意向に従って引く。もし、今ここにいるのが第一部隊ではなく、妖魔に慣れた第二部隊ならばもっと警戒したことだろう。
「出向く手間が省けた。礼を言……」
酷薄に口の端を吊り上げて、チェルシーへ引き金を引くライズの言葉が途切れた。
チェルシーの目線はアルフレッドへ固定されたまま、その顔には邪気のない微笑みを貼り付けたまま、彼女の左手は軽く銃を叩き落としライズの腹を抉った。
信じられないという顔でライズが後ろへ下がりながら、自らの腹を見下ろす。
「ほらね。うふふ」
チェルシーは左手に掴む千切れた腸を口元へ持っていく。
「甘ぁい」
果物でもかじるように、一口食べて満面の笑みを作った。
人間の臓物を食べる妹の様子を正視出来ず、アルフレッドは瞑目した。
終わった。何もかもが。
リルにもう会えないと言われて落ち込むアルフレッドを励まし、焚き付けてくれたのは妹たちだった。妹たちのお陰でリルへもう一度会いに行く覚悟を決められた。
もう一度リルに会いたい。まだ生きていたい。そんな想いを棄ててでも、なんとしても守りたい存在だった。
リルにはきっといつかいい奴が現れる。しかし、妹にはアルフレッドしかいないのだ。
このまま治安維持部隊に射殺なんてさせて堪るか。幸い治安維持部隊はアルフレッドが宿主だと勘違いしている。引き付けておくから逃げろと言って、全部棄てる覚悟で挑んだ。
「俺のなけなしの覚悟すら、笑うのかよ。神だか運命ってやつは!」
以前と変わらぬ表情で嬉しそうに人間の腸を食むチェルシーの前で、アルフレッドの叫びは一斉に火を噴く銃声に掻き消された。




