窓口の違う依頼
一頻り抱き合って大声で泣いた母子は、涙も感情も収まってきたようだ。リルは少し恥ずかしそうに、泣き腫らした目元を拭って鼻を啜っている。
「……『珠玉』のコハク。リルへどんな魔法を使ったの?」
俯き背を向けたリリアーヌの表情は見えない。大胆に開いた服から覗く背中と白いうなじに、結い上げた金髪の後れ毛が一筋、垂れていた。
「魔法を掛けたのは私ではなくて、こっちの彼よ」
「えっ? 僕ですか?」
戻ってきた子猫を抱き直して、喉を撫でていたポルクスは、急に話を振られて声を裏返させた。
肩越しに振り返ったリリアーヌは、目の下を黒く汚したまま赤く塗った唇を吊り上げる。貰い泣きしていた青年の目と鼻の頭は赤く、慌てて背筋を伸ばす様は初々しくて、お世辞にも頼り甲斐はない。
「そう、貴方がね。礼を言うわ。ありがとう」
リリアーヌはふっと息を鼻に抜けさせて笑い、ハンカチで自分の顔を拭って剥げた化粧を落とす。そうして派手目の化粧が落とした彼女の顔は、きついマスカラとアイラインが取れて、柔らかみを帯びていた。
普段よりも優しく見える、半分化粧が落ちた素顔で不敵に笑う。
「さあ、リル。惚れた男をとっ捕まえに行くわよ」
「えっ?」
赤くなった目を細めて豊満な胸を反らし、リリアーヌはリルに手を貸して立ち上がる。服へ付いた埃を払い、驚きに目を開く 娘にふんと鼻を鳴らした。
「知らないとでも思ってたの? 可愛い娘に悪い虫が付かないかくらい、当然気を付けているわよ。リルを弄ぶようなら商会の力を使って、死んだ方がましな目に遭わせてやるところだったけれど」
リリアーヌは脇へ大胆に開いたスリットを翻し、ブーツの踵を鳴らして壁際のオートバイへ歩み寄った。
「調べたら女から金を吸い上げる寄生虫の癖に、リルと出会ってから女共ときっぱり手を切ったし、仕事も探してたわ。リルも楽しそうにしていたし大目に見てやってたのよ。それが」
シートの上に置いていたヘルメットを手に取り、一つをリルへ投げて寄越した。
「急にリルの元気が無くなって様子がおかしいし、同じ時期に世間を騒がした妖魔騒動の被害者に見覚えがありすぎたわ。そんな時タイミングよく現れたのがこのデンキよ」
くるくると片手でヘルメットを玩びながら、リリアーヌは笑っているのか地顔なのだか分からない男へ、流し目をやった。
「そりゃァ、何事も機はよく熟してないといけやせんからねェ。それと『デンキ』はアタシらの総称でさァ。アタシの名はハヤミ、以後お見知りおきを」
ハヤミは懐から腕を抜き、芝居がかかった仕草で頭を下げた。礼が終わると癖なのかまた懐へ手を突っ込む。
小国ミズホが生き残ってきた手腕は、それなりに色々あるのだ。各国へ散らばる『デンキ』たちもその一つだった。
ポルクスとリルの頭の中には疑問符だらけだ。リリアーヌ、ハヤミ、コハク、ホムラを順に見ていくが、誰もが状況を把握しているのか落ち着いている。
「あのー、コハクさん、デンキ、じゃないハヤミさん」
ポルクスは躊躇いがちに二人に尋ねてみた。
「お二人は同じミズホ国でお知り合い、ハヤミさんはダグスさんから依頼を受けてナナガ国へ来たんですか? コハクさんはそれを知ってたんですか?」
「知ってたわ」
当然とばかりにコハクが首を縦に振る。
「あァ、アタシは依頼を受けて来たんじゃなくてナナガ国常駐でさァ。ダグスの旦那がウチへ依頼をしたそうな頃合いでしたもんで、接触させて頂きやした」
片手を突っ込んでいた懐から抜いて、男が笑顔のままひらひらと手を振った。
「ってことは、最初からリルさんの事知ってたんですよね? じゃあ、今までのダグスさんとか、奥さんとかとコハクさんのやり取りって何だったんですか!?」
かなり緊迫したやり取りに見えたのは、ポルクスの気のせいだったのだろうか。
「それに、あれ? だとしたら治安維持部隊からの依頼はどうなっているんです?」
元々の依頼はそっちの筈ではなかったか。だから自分が今ここにいるのではなかったろうか。ポルクスはこんがらがってきた頭を抱える。
「あのやり取りはただの確認よ。お嬢様は様子がおかしいとだけしか話を聞いていなかったし、実際にダグスという男がどんな人物なのか分からない。それに例え依頼主でも腹の探り合いは必要でしょう?」
「私は普通に東邦の魔女もデンキも気に入らなかっただけよ」
淡々と事実を言うコハクと、悪びれずに鼻を鳴らすリリアーヌに、ポルクスは唖然とした。
「えええええええ……!」
なんだか力が抜けて、がっくりと地面に手足を着けた。子猫が何をしているやらと、冷たい視線をポルクスへ寄越す。
「もう一つの質問への答えだけれど。治安維持警備隊だけれど、一枚岩じゃないわ。ライズ第一部隊隊長についてどれくらい知ってる?」
「ええと、あんまりいい噂は聞きませんね。部下の手柄も全部自分のものにするとか、失敗は擦り付けられるとか、事務の女の子にセクハラしたとか、態度がでかい癖に器は小さいとか」
同僚や先輩の愚痴、世間話を一つ一つ思い出してポルクスは指を折った。
「思ったよりも下らない噂話が出てきたけれど、人となりは分かったわ」
権力争いを示唆したのに、予想よりも小さな噂話が出てきた。この新米隊員はそういったことに疎いのか、下で働く一般隊員はそんなものなのかとコハクは呆れる。
「コハクさんが聞きたかったのって、ライズ隊長は総隊長の座を狙っている、ってやつでしょう?」
折りたたんだ指をまた一つ追加して、ポルクスが何気なく付け加えた。
「知ってるんじゃない」
なぜそれが最後にくるのかと、コハクは片眉を上げてポルクスを見た。この青年は鈍いのだか鋭いのだか分からない。
「そりゃ、噂話なんて皆面白おかしくやりますし、情報通な人はどこにだっています。それにライズ隊長は、どう見ても野心丸出しな態度を隠せてませんし」
治安維持警備隊の新米隊員は眉尻を下げて、困ったような顔をした。ポルクスとしては、権力争いはいちばんどうでもよくて、どちらかといえば弱い立場の人間が被る迷惑の方が重要なのだ。
「新しい対妖魔武器の導入を進めていたのは元々ザイーシュ・グラス総隊長ですけど、自分に任せろって強引に手配したとかどうとか」
ついこの間、そのせいで仕事が増えたと同期で入った男がポルクスへぶつぶつ言っていたのだ。彼はエリート出世コースだったので、第一部隊へ配属されてライズの元で要人の護衛や主要施設の警備を担当している。
「その辺は行けば分かるわよ。それよりも行くの? 行かないの?」
苛々と話に割り込んだのはリリアーヌだ。彼女は既にオートバイに跨がり、後ろへリルを乗せて準備万端だった。




