気炎を上げる女
「私のリルに何かあったらただじゃおかないわよ、この化け物ども!」
リリアーヌがコハクへ向けている銃には見覚えがあった。
治安維持警備隊、第一部隊隊長ライズが見せたマギリウヌ国の新しい対妖魔武器。
「その銃はもう量産体制に入っているの?」
銃を向けられていることには全く動じずに、コハクは普段通りの口調で尋ねた。コハクの後ろで、ポルクスは子猫を抱いたまま固まっている。
「まさか! マギリウヌ国との取引なら、うちの商会も負けてはいないのよ。妖魔絡みの切り札として手に入れるのは当然でしょう?そんなことよりも、うちの娘は無事なんでしょうね!?」
リリアーヌは苛々と眉を吊り上げ、気炎を上げる。その剣幕にコハクの後ろでたじろぐ気配がする。先程まで妖魔を相手に一歩も引かなかった青年が、何を怖がっているのかとコハクは小さく息を吐いた。
「……いい加減にしろ、女」
ずいと一歩前に出てきたのは、長く癖のない赤髪の男。ホムラは冷然とリリアーヌを見据え低い声を出した。
「あら、いい男だこと。魔女の仲間なのが残念ね。いいから、うちの娘から離れなさい!」
チリッと心なしか気温が上がった気がして、ポルクスは額の汗を手で拭う。いや、気のせいではない。明らかに周囲の温度が上がっている。
ゆらりとホムラの髪が揺れる。彼の衣服も同じように揺れたと思ったら、大きな踏み込みの音と共に一気に距離を潰した。
「ホムラ!」
コハクの制止の声と、宙に舞う銃、何の反応も出来ずにいるリリアーヌへ迫るホムラを、ポルクスは辛うじて視認できた。
「おおっと、其処まで!」
ホムラの刀がピタリと止まる。
ホムラが銃を左手で叩き落とし、リリアーヌへ刀を振るおうとした所へ、間一髪で体を滑り込ませた男は飄々と続けた。
「頼みますよ、ホムラ様。刀を納めて下せェや。アタシの寿命が縮みまさァな」
ホムラの底冷えのする目を向けられた闖入者は、黒髪に不思議な色合いの瞳を持つ男だった。
男の瞳は外側が緑で内側が桃色の、二色が黒の瞳孔を内包している。年の頃は壮年と思われるが、おうとつの少ない顔立ちと常に湛えられた笑みが、年齢不詳の印象を与えた。やはりミズホ国独特の衣服に身を包み、袖から腕を抜いて懐に突っ込んでいる。
武器を構えるでもなく防御の姿勢を取る訳でもなく、無防備きわまりない格好で笑みを湛えたまま、ホムラへ提案する。
「依頼主の奥方に何かあっちゃァ、『デンキ』の立場ァねェや。ここは一つ、アタシの顔に免じて堪えて下さいやせんか」
「免じられるような顔か」
ホムラは刀へ纏わせている温度を上げる。触れれば火傷を通り超して熔ける程、触れずに今刀を突き付けているだけで軽い火傷を負う程度だ。
「はっはっはっ。相変わらず手厳しいですなァ。しかし、このまま奥方を殺すのが得策ではないことくらい、ご存知でしょうや」
男は相変わらず笑顔を崩さず、灼熱の空気に額に汗を滲ませた。はだけた胸元は軽く火傷を負い、赤くなっている。
ホムラに対して挑むなど無謀、防御は無意味、ならば無抵抗で身を晒せばいい。この妖魔が、コハクの不利になるような行動を取らぬことは知っている。
「ちっ」
案の定、ホムラは舌打ち一つで刀を焔へ返した。異様な熱が消えて、肌をひりつかせる空気とひやりとした夜の空気が入れ替わる。
ホムラとしては元々脅し程度のつもりだ。見れば女はガタガタと震え蒼白な顔で両肩を抱いている。少し物足りないが、これで溜飲は下げてやる事とした。
それに、とホムラは思い、ちらりと視線をコハクと、コハクの後ろで相も変わらず怖じけて腰を引かせた青年へ向ける。この手の事が苦手な自分よりも適任はあちらにいる。
「ぅんん……?あれ?私」
小さな声を上げてリルが目を覚ました。地面から半身を起こしてぼうっとしている。
「リル!」
「お母様?」
幾度か瞬きを繰り返し、意識がはっきりしてきたようだ。母親の姿を認めて、驚きの声を出した。
「お嬢様は無事よ。妖魔との分離も滞りなく済んだわ。側へ行ってあげたら?」
彼女はコハクへ鋭い眼差しをくれてから銃を拾い、太股のホルスターへ納めて娘へ駆け寄る。
「リル! どこかおかしいところはない? ああ、あんな奴らに貴女を任せるしかなかったなんて!」
リリアーヌは娘の体に傷がないかとあちこち触って確かめた後、コハクを睨んだ。
「東邦の魔女。リルに異常は無いんでしょうね!?」
「無いわ。体も精神も無事よ」
あれだけホムラの殺意を受けて、まだこちらへ敵意を向ける根性に、コハクは肩を竦める。
「そう、良かったわ。綺麗で可愛い私のリルに傷が残っては大変だもの」
リルは母親の言葉にギクリと顔を強張らせた。ぎこちなく美しい母の顔を見る。
もしも、綺麗で可愛い私の体に醜い傷痕でも付けば、この母はどうするのだろうか。嘆き、落胆して捨てるのだろうか。流行りが廃れた洋服のように、飽きてしまった装飾品のように。
「違うでしょう?」
コハクの背後から、普段よりも低く少し震えた声がした。胸に子猫を抱いたポルクスだ。
「母親が娘に傷がないか、心配するのは分かります。でも一番大事なのはそこじゃないでしょう?」
「……何を言ってるの?」
ポルクスの苦手とする、射殺されそうな視線を向けられたが、今さら後には引けない。一緒にぶつかろうと言ったのだから。
「リルさんは、綺麗で可愛い貴女のお人形じゃなくて、愛しくて大事な貴女の娘でしょう!」
ミソラが緑の目を不安の色に染めてポルクスを見上げていた。大丈夫だと伝えたくて、腕の中の子猫を撫でる。自分の言葉が、この二人の背中を押す切っ掛けになればいい、そう思う。
「この2つは、全っ然違います! 娘の心配をするなら、まず無事を喜ぶ! 抱き締めるなり涙を流すなり、何でもいいから愛情を示してやって下さい!僕からはここまで。後はリルさん、ミソラ!」
続けて出そうになる台詞を、ポルクスはぐっと飲み込んで我慢した。
そう、一緒にぶつかろうと言った。だからここまでだ。ポルクス一人が全部言ってしまっても、この母親の気持ちを変えられるかもしれない。リルの寂しさも虚しさも和らぐかもしれない。
でも、それでは駄目だ。リル自身も本音でぶつからないといけない。でないと例え今解決したとしても、また同じ寂しさと虚しさに直面する時が来る。その度にポルクスが代弁するわけにもいかないし、出来ないのだ。
新米隊員が弛めた腕から、真っ黒な子猫が軽やかに地面に降りた。尻尾と髭をピンと立て、優雅にリルの元へ歩いていく。リルの隣で同じようにリリアーヌへ体を向けて座り、小さな前足をそっとリルの手に添えた。
何故この若い隊員が、自分の言いたかった事の一部を言ってくれたのか、リルには理解出来なかった。明るい金髪に澄んだ青の垂れ目、穴の開くほど青年の顔を見詰めても、知っている顔ではない。彼はリルの視線を受け止めて、大丈夫だと頷いた。
知り合いでも何でもない人なのに、何故か妙に勇気を与えられて、リルは母を見る。
「……お母様、もしも私が綺麗で可愛くなかったら、何の価値も無いの?」
ずっと聞きたかった事、言いたかった事を言うのだ。
否定されるのが怖くて温度をなくした指先へ、小さくて柔らかい体温を感じた。綺麗な毛並みの子猫が、リルの指へ体を擦りつけて一声にゃあと鳴く。
また少し勇気が湧いて、母の目へ視線を固定した。




