銀髪の妖魔
温の姿に恐怖したのはポルクスだけではなかった。温と対峙している銀髪の妖魔こそ、真実怯えていた。
同じ妖魔だから分かる圧倒的な力の差に震えた。
「このっ! 化け物!」
刃となった髪が温の四肢を切り刻む。体毛を削り僅かばかりの傷を作るが、血と脂にまみれてあっという間に切れ味をなくした。
「今さらそんな傷、一つや二つ増えたところで痛くも痒くもない」
面白くなさそうに、温は前足を上げ刃物と化した髪をいつくか踏み砕く。ぐちゅりという不快な水音と、ぱきんという軽い音で髪が切断される。
銀髪の妖魔が悲鳴を上げた。切断されて短くなった毛先は、赤黒い血に浸食されて再生しない。
「あの女たちを殺したから、あの人の所へ行けない? たかだか数人殺したくらいで笑わせんなよ、ひよっこ。あの人とやらとリルを守りたくて犯した罪だって? 本音隠すな、馬鹿」
恐怖の色に侵されたヘーゼルの瞳を、温は冷たく見下ろす。
「嫉妬に狂って引き裂いたんだろ。邪魔な人間喰うのは気分良かった筈だぜ。俺らはそういう存在だ」
宿主の暗く冷たい衝動から生まれる闇。生温かい血潮に身を浸す時だけが、命の温もりを感じる。喰らって温かい臓物を腹に収めた時だけが、冷たい胃の腑を温める。
「このままならお前は俺に殺される。守りたいもんも、大事なもんも、お前が犯した罪も、全部終わりだ」
鋭い爪を持つ前足が妖魔の真上に固定された。ぽたぽたと血の滴が、妖魔の銀髪と幼い顔を汚していく。ただ前足が下ろさるだけで、何もかも終わるだろう。
どんなに足掻こうが挑もうが敵わない、無慈悲で残酷な現実だ。
「やだ、やだ、やだ、やだ、やだ!」
髪を上へ伸ばす。まだ終われない。四肢へ攻撃しても効かなかったのなら、目か口を狙うしかない。
愚直に急所を狙う攻撃の射線など温にとって、みえみえでしかなかった。上げた前足で幾つかを払い、血飛沫を散らしながら口を開け、伸びてくる髪を咬み千切った。
銀髪の妖魔が成す術もなくぺたんと尻餅を着いた。
「終わりが嫌なら、償いな」
温がぐるると低く喉を鳴らし、これ見よがしに牙を剥いて見せる。銀髪の妖魔がびくりと体を竦める様を見て、コハクが軽く温を睨むと素知らぬ顔でお座りをした。
「改めて言うわ。私の瞳においで。貴女の名は?」
「譲刃」
「いい名ね。譲刃」
コハクが呼ぶことで名は真名となり仮そめの生を授ける。
血で汚れていた顔と髪は綺麗になり、短くなっていた髪も戻って腰の辺りで纏まった。他は変わらない。短い体毛に覆われ小さな丸い耳と長い尾を持つ、獣と人の中間の姿だった。
「お入り、ユズリハ」
くるんとユズリハの質量が小さくなり、破片となってコハクの瞳に収まった。
「ふう」
コハクは息を吐いて肩から力を抜いた。千鶴と温の真名を解放して、さらにユズリハを名付けたのだ。流石に少し疲れた。
「大丈夫か、コハク」
ホムラが刀を消してコハクの手を取り、顔を覗き込んだ。大丈夫だと頷くと、暗くなった視界に明るい金髪の青年がよぎった。
彼はそわそわと体を揺らす温の側を、すたすたと通り抜け、コハクも通りすぎリルの前で止まる。
「あれ? ポルクス、俺のこの姿は無視!?」
拒絶や恐怖などを覚悟していたのに、まさかのスルーに温は慌てた声を出した。外見の禍々しさに反して、あたふたする様子は妙に滑稽だった。
「ごめん、ハルさん。その事はまた後で。それよりもコハクさん」
ポルクスはリルの足下を指差した。
「この子も妖魔?」
「え?」
薄闇よりも闇が深まった床に落ちるリルの影、そこに小さな穴が開いていた。穴から覗く、二つの緑に光る目があった。
ポルクスから見て、ハルは見た目通りめちゃくちゃ強かった。銀髪の妖魔が手も足も出ていない。あっさり決着もついて、コハクの瞳に収まった。ほっと安心して、そろそろと壁から離れた。
少しびくびくしながらハルへ近付く。ハルからは相変わらず血が滴り落ちているが、どういう原理か床に落ちても汚すことなく消えていく。もういい加減、不思議なことには慣れてきたので深く考えずに通りすぎた。
興味津々にポルクスを見ている千鶴に愛想笑いして、ハルの巨体をくるりと迂回する。コハクと、コハクを心配するホムラが見えて、ポルクスも心配になった。
ポルクスには妖魔を使役するということが、コハクにどういう負担を強いるのか分からない。けれど、彼女は疲れているように見えた。周囲に夕闇が迫るせいかもしれないが、顔色が悪い気もする。
そうして側に近付くとリルの足元で何かがキラリと光った。胸がざわざわとなる。足早に通りすぎたポルクスに狼狽えるハルへ、おざなりな返事をしてリルの前へ行きコハクへ訊ねた。
「この子も妖魔?」と。




