空虚を埋めるモノ
退屈しのぎの筈だったのに、男とのデートはリルにとって何もかもが輝いて見えた。
男は最初お決まりのカフェやレストランへ連れて行こうとしたが、リルがどれも飽き飽きしていると告げると少し考えてから黙ってエスコートし始めた。
みるみる綺麗に整えられた表通りから、雑多な中間層のエリアへと連れられる。ごみごみと無計画にひしめく店の数々、洒落ているとは言えない看板、年期の入った暖簾が垂れ下がり、色褪せたポスターが貼り付いている。男に手を引かれおっかなびっくり店の一つに入った。
店の中もまた、混沌としていた。簡素なテーブルには、首にタオルをかけたガタイのいい男が、熱々の丼を掻き込んでいる。その横で同じような体つきの男が定食をやっつけていた。
テーブルとテーブルの間隔は信じられないほど狭く、椅子には背もたれもない。客は労働者と思わしき者ばかりで、きちんとした服装の男とリルは浮いていた。
男は戸惑うリルの手を引き、迷いなくカウンターへ座る。リルはワンピースにしわが付かないようにしながら、恐る恐るあちこち塗装の剥げた椅子に座った。
「こんな所には来たことがないだろう?」
「当たり前ですわ」
そわそわと落ち着かないリルへ男は悪戯っぽい笑みをこぼす。そんな表情をすると、途端に大人っぽさが消えて少年のように見えた。男は慣れた様子で勝手に料理を頼んだ。
「貴方はよく来るんですの?」
「いや、実は久しぶりだな」
出てきた熱々の揚げ物も、馬鹿に量の多い汁物も、山盛りのご飯も美味しかった。愛想も何もないシンプルな器、見た目や品質よりも量が重視の食事だけど、こんなに生命力に溢れた食べ物はないかもしれない。
「やっぱりお高くとまった店よりも、こっちの方が旨いな」
食べ終わった男が、やけにしみじみと呟いたその横顔をリルは忘れられなかった。
それから何度も男と会った。会うたびに男はリルが知らない店や場所に連れていった。
新聞や雑誌に載るような店でも観光名所でもない。いつも雑多で活気に溢れた場所だった。
それがリルにはとても新鮮で、いつも涙が出そうなほど胸にじんわりと熱い何かが生まれた。
男には自分とは決定的に違う何かがあった。それはリルの知らない店や場所ではなくて、リルの知らない店や場所で見せる男の目や声や表情にあった。
それを見る度に感じる度に、リルの胸に生まれた何かが穴を埋めていく。
正体は何となく知っていた。この何かは、恋とか愛とか云うものなのだと。
そして男に複数の女がいることもまた、知っていた。男の心が彼女にではなく、彼女の金にあることも……。
※※※※
「愛しいあの人に触れる薄汚れた女たち! あの人に触れていいのは、あたしたちとリルだけなのに!」
緑の瞳から涙が溢れ落ちる。
「あたしたちとリル?」
複数形にコハクは違和感を覚えた。そもそもリルという少女とこの妖魔の口調が違う。
妖魔は人間の罪から生まれる。知らずに犯した罪、復讐の為に犯す罪、嫉妬から犯す罪、欲望から犯す罪、やむを得ず犯す罪、快楽の為に犯す罪、正義の為に犯す罪。
殺された中年男から生まれたコウは、男が妻に対して犯したと思った罪が妖魔となった。
人間の罪から生まれるからなのか、妖魔は宿主の記憶や性格をある程度引き継ぐ。
リルが宿主ならば『あたしたち』とは誰か。それを聞き出さなければならない。
コハクから立ち上る光と甘い香りが強まる。光の縁を黒い糸がたゆたう。それは闇に灯る街灯のように、標となる光だった。
「聞かせて。あなたたちの罪を」
リルへ言葉をかけながら、扇子を広げる。中骨は竹、張られた和紙は黄色。コハクはそれを目の前でゆっくりと扇ぎ、香りを風に乗らせた。
リルの緑の瞳がコハクの光る黄褐色の瞳に固定された。言葉は誘導、光は標となり道筋を示し、香りは妖魔を魅了する。
リルの中の妖魔が大きく身を震わせた。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴッ、憎い、憎い、あの女たち!!! 馴れ馴れしくあの人に触って! あいつらなんて金だけなのに! 別れろって言っても聞かなかった!」
コハクの瞳に釘付けになっていたリルの目が吊り上がり充血する。額に血管が浮き犬歯と爪が伸び、髪が鋭利な刃物と化して擦れ合い金属音を奏でた。
「だから引き裂いてやった! 触った手を細切れにして、あたしたちを馬鹿にした口を切り刻んで、誘惑した体を食べてやった! 邪魔するお前たちもっ! 憎い!」
リルの細い足と髪が地面を叩き、コハクたちの頭上の遥か上を跳躍する。
上から叩きつけるように振り下ろされる爪をホムラの刀が受ける。金属が擦れる歯が浮くような音を立てながら、力の重心をずらす。そのまま巻き込むように地面へ引き倒した。身体能力が上がっているとはいえ動きは素人、このぐらい容易い。
受け身も取れずに地面に転がったリルの髪だけが、暴れまわった。
「ほいっ、よっ、とっ」
気が抜けるような掛け声でハルが髪の側面を拳で叩く。コハクは扇子をパチンと閉じて自分の側に来た髪をはたき落とした。




