レトリ国の誇り
真名を刻まれ、妖魔が変化する。艶のない長い前髪はそのままだが、幾分整う。ぎょろりとした目は落ち着きと闇を湛えた。不精髭がなくなりむっつりと結んだ口元が、意外に形が良かった。
「ふふん。思ったより悪くないじゃない、カズオミ」
ホタルが得意げに話しかけると、カズオミは不機嫌そうに口元を引きつらせた。それに構わず近付いたホタルが、カズオミの長い前髪を持ち上げる。
「へぇ、あんた前髪ない方が男前……切ったげようか。あっ、もう! 見えなくなっちゃったわ」
力を使ったからまた視力がなくなったのだろう。悔しそうに地団太を踏んだ。カズオミはそんなホタルをじっと陰鬱な目で眺めてから、溜め息のように吐き出した。
「前髪だろうがなんだろうが、俺から奪うな」
「あー、そうだったわね。ま、いいわ」
からからと笑うホタルをカズオミが無言で抱え上げた。
「『千鶴』、『譲刃』、仮そめの姿に戻って」
譲刃が刃となった髪を一振りすると、血に染まった紙が剥がれ、ひらひらと舞った。千鶴本体からばらばらとばらけていく紙と合流し、壁や床へと戻っていく。
「チヅル、結界を」
「ちょっと待ちなさいよ」
目の焦点が合っていないホタルが、顔をこちらに向けていた。自分の目を指さして言う。
「あたしは力を使いすぎてコレだけど、あんたこそどうなのよ。中級と高位妖魔の真名開放やったんでしょ」
「問題ないわ。チヅルはハルほど消費が大きくないから」
コハクは素っ気なく返した。気持ちは既にホタルになく、結界の外に向いている。
「ふん。せっかく心配してあげたのに。あんたのそういうところ、ほんと大っ嫌い!」
ホタルがぷいっと明後日の方向に向けた。
「なんだ、ホタル。全て持っているといった癖に相手にされてないじゃないか」
「何よ! 文句あるの!」
「別に」
ねっとりとした笑みが、カズオミの口元に浮かんだ。持っている人間が妬ましかったカズオミは、持っていない人間を見ると愉悦を感じるのだ。
「あーもう、あんた陰気!! こんなのがあたしの妖魔だなんて」
ホタルはそんなカズオミにぷりぷりと怒っているものの、カズオミが前髪を切るのを拒否したことをあっさりと受け入れ、自分を抱き上げることを嫌がっていない。それを確認したコハクは、あらためてチヅルに命じた。
「結界を解いて。一番の元凶を狩るわよ」
****
「さて」
ロイバールは対妖魔銃を構え、照準をシキに合わせた。作戦通りに三人ずつ、時間差で打ち込む。その中にロイバール自身も加わった。
マギリウヌ国製の新型対妖魔銃は、今までのものと違い高位妖魔にも通用する。しかし相手はシキ。ミズホ国ですら手を焼いている高位妖魔だ。この対妖魔銃ですら、あまり効かないと見た方がいい。
シキが犬の妖魔の口に突っ込んだ、対妖魔銃の引き金を引く。ガウン。くぐもった音がして犬の体が跳ねたがそれだけだった。犬もまた、かなりの高位妖魔。対妖魔銃がさほど効いていない。
「全く効いていないわけじゃないが、お互いに有効打がないねぇ」
「そうでもないさ、親父殿」
隣で上がった二発の銃声の直後。シキの片目が吹っ飛んだ。
「ひゅう、我ながらいい腕だ。ほらね、一点集中すれば問題ないよ」
「なるほど。一発の威力が足りないなら、二発同じ場所に撃ち込めばいいわけか。うん。確かにいい腕だ。私には無理だね。最近すっかり老眼が進んだ」
「まだまだ現役のくせによく言うよ」
「ははははは」
快活に笑い飛ばしてから、ジレンに真顔を向ける。
「ジレン。やり過ぎは我らの誇りに反する」
過剰な武力は持たない、振るわない。敵を一掃するものではなく、家族と生活を守るものであれ。
「私も分かっているわ。けど、父さま」
「親父殿。華は『珠玉』殿のものだ。でも」
娘と息子の目が、ロイバールの許可を待つ。
「仕様のない子たちだ、とは言えないね、私も」
茶色の瞳を煌めかせ、ロイバールが微笑む。レトリの民は、過剰な金、権力、武力を持たない。その代わり、必要になった時には惜しまない。必要な時に必要なだけ振るうのが力だ。
「人間風情が!」
シキの残った目に、青い炎が揺らめくが、犬の牙とタニアの銃弾が阻止する。とはいえ、高位妖魔であるシキをいつまでも抑えておけない。今が必要な時で、今の必要なだけの力は全力だ。出し惜しみしていては押し切られ、家族を危険に晒すことになる。
「それに必要だからというだけでなく。家族を喰う狼がいたら、腹が立つのもまた、誇りゆえだからね」
殺された男と牛。どちらも共に生きる家族である。
「我らの家族を殺した報いは受けてもらおうか」
「そうこなくちゃ」
そう言ってロイバールは残った片目に弾をぶち込む。
間髪入れずに、ジレンの銃弾がロイバールの銃弾に追随。シキの両目を潰した。
お詫び
本当に久しぶりの更新。
さらに予約投稿をミスし、一度メモ書きを更新してしまい、申し訳ありませんでした。