神の間
キルカ・デ・ルーナ教会の最奥。神の間ではラミネアが教皇となる就任式が行われようとしていた。
高い天井、中央に位置する祭壇の背後に大きく取られた窓には、色とりどりの硝子が一枚の絵画のような模様を作っている。その硝子を透過するのは陽光ではなく、月光。天井を支える柱には繊細な彫刻が施され、優美なるろうそくの光が神の間を幻想的に演出している。
聖ルアノラ帝国の一般的な教会のように、信者たちの座る椅子などない。磨きこまれた大理石の床が鏡のように、祭壇へと歩みを進めるラミネアを映していた。
数日前、教皇が殺された現場でもある。ここで誰よりも神に忠実であり、誰よりも神に心と体を捧げ、誰よりも神を信じ、誰よりも神の為に生きた男が死んだ。
おお、神よ。
全知全能たる我が主よ。
私はあなたの敬虔なるしもべです。
私の全てをあなたに捧げます。
私の肉体は私のものに非ず。
私の魂は私のものに非ず。
私の祈りはあなたのために。
私の行いは全てあなたのために。
私は我欲を捨てる。
私は博愛の名のもとに善行を積む。
私は決して邪なるものに屈しない。
私は聖なるあなただけに仕えましょう。
神へ捧げる聖典の一節を口にしながら、ラミネアはゆっくりと歩む。神の間には断罪使よりも上の位でないと入れない。騎士や神父は立ち入り禁止だ。ゆえに椅子も何もない。
私はあなたの教えの下に生きましょう。
私はあなたのみにこの身を捧げます。
どうかあなたのしもべに愛を与え、
私の魂を天国へとお導き下さい。
ラミネアが向かう祭壇には、誰かが佇んでいる。男か女か分からない。影になり、面差しも定かではない。月光をはじく金髪がうねりを作り、緩やかに床まで伸びて輝いていた。
佇む人物の美しく弧を描く口元だけが見てとれる。
「待っていましたよ。忠実なる我がしもべ、ラミネア」
白くたおやかな手が差し出される。指先にある爪までが美しく、視線が吸い込まれた。
神を前にしてラミネアは幸福感に満たされ、微笑む。祭壇まではあと少しだ。
「さあ、私を受け入れ一つとなりなさい」
祭壇まではあと数歩で届く。待ちきれずにラミネアからも手を伸ばした。二つの白い指先が触れようとした、その瞬間。
「!?」
大理石床にの大きな穴が空いて、ラミネアは鋭く息を飲んだ。
じゃららららららっ。
穴から飛び出してきたのは鎖だった。錆びたように赤茶けた色合いの鎖が穴から伸びてくる。ラミネアは跳び退り、書物から武器を引っ張り出す。
鎖の太さは人間の胴回りほどもあり、一度天井に伸びあがってから落ちてきた。鎖の全てが出てしまうと、穴が閉じて消えた。
「わーっ!」
この場には似つかわしくない悲鳴と共に、鎖から何かが転げ落ちる。一人の青年は床へ綺麗に着地し、一人の青年は顔面から落ちてべしゃりと床に張り付いた。さらにもう一つの影がひらりと床に倒れる青年の隣に降り立つ。
鎖は彼らを避けるようにして近くにいた断罪使たちへと向かった。それぞれの武器で鎖を払うと、あっけなく砕けて鎖が消えた。どうやら見た目よりももろいらしい。
この場にいる断罪使はラミネアを含めて五人だ。ベリドゥ他四名は外で発生した爆発騒ぎを収束させると言って出払っている。
「もうちょっと華麗に、とはいかなくても普通に降りられませんの?」
「そういうのが出来てたら、今頃は第二部隊にいたんじゃないかな」
赤くなった鼻を擦って起き上がった青年が、どこかのんびりと側に立つ女の問いに答えた。青年は金髪に垂れ目、そばかすの浮いた童顔で、女は黒の巻き毛から耳が覗き、変わったドレスから長い尾が優美に出ていた。
すらりと長い両腕を組んだ女が、ふうと溜め息を吐くと吊り上がった緑の目をラミネアへ、そしてもう一人の青年へと向けた。
「カルロス。ラミネアは貴方がなんとかしなさいな。他は私とポルクスが引き受けますわ」
「ああ」
カルロスと呼ばれた男の顔を見たラミネアの心へ、小さな波が立つ。
「神聖なる就任式を邪魔しますか。ラミネア。私を受け入れる前にこの不届き者を始末しなさい」
「主よ、仰せのままに」
波は一瞬で静まり、乱入者への怒りに変わる。カルロスという男へ短槍のつっ先を向けて構えた。
「他は僕たちが引き受けるって言ったけど」
ポルクスの額から冷や汗が流れる。断罪使の一人でも強そうなのに、後四人もいる。
しかも、祭壇に佇む何か。
「あれが、神様?」
ポルクスは背筋がぞくっとなって、鳥肌が立った。
「か、勝てるかな」
「やるしかありませんわ。ポルクス、体調は?」
「なんとか大丈夫。最近、鉄分摂るようにしてるし」
平気だと笑って手を振ってみせた。多少の貧血はあるものの、動ける。
ここに来る前にミソラを高位妖魔化させるため、太ももに穴を空けて血を与えた。
すぐに穴を埋めて治してくれたから、痛みも失った血も少しで済んだ。こんなこともあろうかと、普段から積極的に鉄分の多い食事を心がけてもいる。
「教皇を殺した悪魔じゃないか。自分から飛び込んでくるとはいい度胸だ」
杖を構えた男、アルガムが感情の見えない目をポルクスたちに向けた。




