変化の兆し
宿屋から飛び出して、あっという間に追っ手を引き剥がしたコハクとハルは、一旦適当な路地に身を隠した。
ハルがその身を縮め、子犬の姿になってコハクの足元へ座った。はっはっと舌を出し尻尾を振っているハルを、コハクは抱き上げて目線を合わせる。
「何故、ホムラがポルクスを背負って逃げることになったの」
普段であれば、ハルがコハクを乗せたがるのは分からないでもない。しかしポルクスが居るときは別だ。
ハルはポルクスの事を気に入っているし、ホムラはコハク以外に興味がない。なのに、どうしてホムラがポルクスを連れることになったのかと疑念が湧いたのだ。
『最初は俺がポルクスを乗せようと思ったんだよ。でも、ホムラにお前に守れるのかって言われちゃって』
「ホムラが?」
『あいつらの狙いはポルクスだから、離れればコハクは追われないだろうって。だったらポルクスをホムラに任せた方が安全じゃん。俺、守るの苦手だし』
ハルの耳と尻尾がぺたっと垂れ下がり、コハクの手に抱かれた体がぷらんと揺れる。コハクは元気のなくなったハルを胸元で抱き直し、慰めるように頭を撫でた。
ハルもホムラと同じく誰かを守るような性格ではない。誰かどころか、たとえ己の四肢がもげようとも、敵に牙を突き立てられればそれでいい、それがハルの性であり在り方だ。それを嘆いたことも、気にしたこともなかったというのに。
ハルは少しずつ、変わりつつある。
先程の断罪使との戦闘でもそうだ。コハクが何も言わずとも最初から喉笛を引き裂きにいかず、腕を狙い武器を破壊しにいった。取り囲む人々を蹴散らすことなく、逃げに徹した。
コハクの腕の中で、子犬のハルは大人しく丸くなって撫でられている。ふわふわとした毛並みと高い体温がコハクの手に伝わる。
妖魔は己の性のままにしか存在できない。変化したということは。
『コハク』
ハルの茶色の瞳でコハクを見上げていた。くりくりとした目がじっとコハクを見据える。
『いつか必ず、その時は来るもんだろ。妖魔も、人間も』
「そうね」
小さく微笑んで、白い手を動かし子犬を撫でる。
終わりは必ず来るものだ。人にも、妖魔にも、等しく。
気持ちよさそうに撫でられていたハルの耳がひくっと動いた。
「何か用かしら」
ハルが向いた方向へコハクが声をかける。
「ミズホ国から来た妖魔狩りの人?」
おずおずと物陰から出てきたのは、まだ年端もいかない少年だった。相手は子どもだが、背後に大人がいるだろう。
「だとしたら、どうだというの」
「あの、一緒に来て」
ためらいがちにだが、しっかりとコハクの目を見つめて少年が側へ寄ってくる。
「俺たち、貴女が来るのを待ってたんです」
少年の手がしっかりとコハクの服の裾を掴んだ。
少年に手を引かれ、コハクは路地を歩いていく。ナナガ国の路地裏と違い、建物が低いせいか日差しも届き掃除も行き届いている。石壁の白も相まって明るい印象であった。
「こっち」
少年が小さな建物へ案内する。町の至る所にある小さな教会の一つだ。少年は教会の中央を突っ切り、右横の小さなドアを開けて入った。
そこは普通の部屋で、神父が椅子に腰かけていた。入ってきた少年とコハクを見て一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに立ち上がってクローゼット開ける。あまり物が入っていないクローゼット内へ少年は入り、何もない壁の下側を押すと、くるりと上下に壁の一部が回転した。中には階段が続いている。
コハクと少年が階段を降りると後ろの壁がもとに戻された。暗闇になる前に少年がポケットに持っていた明かりを灯す。マギリウヌ国が開発した携帯照明だ。
階段はそう長くなく、今度は通路が伸びていた。少年の先導の通りに進んでいく。
『他にも通路や階段があるね』
コハクの腕の中でハルがあたりを見回した。ハルの言葉は少年には通じないので、くんくんと鳴いただけに思うだろう。
ハルの言う通り、通路にはところどころで他にもいくつかの通路が合流している。先程のように人目を忍んで集まるための地下施設といったところか。
やがて簡素なドアの前で少年が止まった。
「入るよ」
少年がコハクの手を放してドアを開ける。
中は通路と同じく地面をくりぬき、石で壁を作って補強してあった。広さはかなりあり、これだけのものを作る労力の大きさを伺わせる。
「ようこそ。ミズホ国の妖魔狩り『珠玉』」
広い部屋の中には十人ほどの人間が椅子やソファーなどへ座っていた。その中の一人が立ち上がり、片手を差し出しながら歩いてくる。
「何もないところだが、歓迎しよう」
コハクは差し出された手を見下ろしてから男を見上げた。男は四十代半ばくらいの年齢で、この国に多い金髪碧眼の中肉中背、綺麗に整えた口髭を生やしていた。そういえば口髭を生やした男を多く見かけたので、この国のスタンダードなのだろう。
「新聞からだかなんだか知らないけれど、一方的に知っているのは不公平ではないかしら」
男は手を取らないコハクをまじまじと見つめ、片眉をひょいと上げると口髭を動かして笑った。コハクに差し出していた手をひっこめ、大げさに広げてみせる。
「ははは。これは失礼。あたらめて自己紹介しよう。俺はシダク。俺たちはユイガ神に追いやられた神々の信仰者の集まりだよ」
シダクは広げた両手をぐるりと動かし、後ろの人たちを示してみせた。




