考察
壁が溶け落ちて大きく開いた穴から外へ飛び出したホムラは、驚いてこちらを見上げている人々へ焔を放とうと熱を集める。しかし熱を上げる前にどうでもいい気分になった。
やはりか、と冷めた気分で火炎を広範囲に放った。人間たちの悲鳴が上がる。
「ホムラさん!」
「ただの目くらましだ。火傷一つ負わん」
低くぶっきらぼうに言っておく。青年が勘違いしてホムラを止めようと意識すると面倒だ。
ホムラは人々が火炎に気を取られている一瞬の間に地面を蹴って再び跳び上がり、屋根を二つほど移動してから人の気配のない路地へ降りた。少し走って人のいない倉庫を見つけて入ると、背中のポルクスを乱暴に落とす。
「痛たた」
尻餅を着いた青年から少し距離を取ると、ゆっくりと自身の熱量を上げてみた。やはり、問題なく上がる。
コハクのいない間に断罪使の一人くらい殺し、集まっていた人間たちも警告の意味も込めて、軽く焼いてやろうと思っていた。
後でコハクに咎められても、やむを得なかったのだと言えばいい。背中の青年が煩かったが無視だ。そう本気で考えていたのだ。
なのにホムラは、まあいいだろうと妥協した。
手加減などする気もなかったというのに、背負っていた青年に鎮められたのだ。
骨も残さぬ焔で燃やし尽くしてやりたい。憎い、汚らわしい人間など焼き払ってしまえ。草木一本も生えぬ焦土としてしまえばよい。
ホムラの中で燃え続ける怒りと憎しみの衝動。それをそっと冷やし、鎮め、ゆっくりと包み込む波動。それはコハクの瞳の中にとても良く似ていた。
しかしこの青年に高位妖魔を、それもホムラを鎮めるほどの力があっただろうか。否だ。
青年を見つめて思案するホムラに不穏なものを感じたのか、ポルクスが顔色を青くして立ち上がり背筋を伸ばす。肩の上の子猫が毛を逆立てて殺気を向けてきた。
青年も、猫の妖魔も、ホムラがその気になればすぐ殺せる、取るに足らない存在だ。今まではそう思って見逃してきた。今も驚異になるという程のものではないが、早めに芽を摘んでおくか?
コハクはこの青年に情が移りかけているが、最終的にはホムラを許すだろう。コハクとホムラにはそれだけの絆がある。だがホムラとてコハクが泣くようなことはしたくはない。
この青年はコハクの禍か、福か。どちらだ。
ホムラの冷たい目に射竦められて、ポルクスは背中にじっとりとした汗を掻く。
「あ、あの、ホムラさん」
沈黙に耐えきれなくなっておずおずと声をかけた。だがホムラは無言のままだ。
ホムラの行動を止めたことを怒っているのだろうか。あのまま何も言わなければ、ホムラはあの場にいた人たちを焼き殺しそうだった。
ふいにホムラがポルクスから目を逸らす。くるりと背を向けて、前触れもなく走り出した。
「えっ!? ちょっと、ホムラさん?」
慌ててポルクスは走るホムラを追いかけた。しかしホムラが走り去るのはあっという間で、ポルクスが倉庫の外へ出たときには、ホムラの姿かたちも見えなかった。
「何なんだよ、一体!」
思わず頭を抱えてポルクスは叫んだ。妖魔絡みの出来事が訳が分からないのは慣れてきたが、今回は輪をかけて訳が分からない。
教皇が殺されたというし、その犯人がポルクスとなっているし、妖魔と勘違いされているし、ホムラは怖いし、あげくの果てには置いていかれるし。
少し迷ったが、ポルクスは騒ぎになった宿屋から少しでも離れることにした。
『そもそもあの写真そのものがおかしいのですわ。青白い色の写真だなんて、明かりも写真機の照明もなしに撮ったというのですの? それとも青い光に照らされて?』
早足で歩くポルクスの肩の上で、座ったミソラが長い尻尾をくねらせた。
「あっ! そうか。普通の明かりや照明なら黄色っぽい光だよね。青い光って……」
『シキが使う鬼火の色ですわ』
「あの人の能力って色んなものをすり替えられるんだよね」
ざっくりとした解釈だが、今のところその程度しか分かっていないのだから仕方がない。
『ええ。厄介な能力ですわ。貴方、不調はないですの?』
「へ? うん。大丈夫。何で?」
意味もなく自分の体のあちこちに手を当ててみる。特に異常はないと思うが、なぜそんなことを聞くのかとポルクスは首を傾げた。
『あれだけ沢山の人間に罪を認識されたら、妖魔が生まれてもおかしくありませんのよ?』
「えっ!? あっ、そう言われてみれば」
もう一度自分自身を探ってみるが、何もないと思う。自分で分かるものなのかは疑問なのだが。
無意識に胸元に触れていた。ここにはペンダントに加工した『石』がある。この間マギリウヌ国でポルクスが高位妖魔の罪を引き受け姿を変えたものだった。
「……大丈夫みたいだ」
『なら良かったですわ』
子猫は息を吐いて定位置であるポルクスの懐に潜り込んだ。ぴょこんと顔と手だけを出してポルクスを見上げる。
『シキが絡んでいるとして、どうしてポルクスをはめたのだと思ってますの?』
「うーん。シキは強い妖魔を集めてるんだったよね」
あまりピンときてはいないのだが、ハヤミが言っていたことを思い出す。
「強い妖魔を集めるのに僕をはめても得にならないよ?」
『貴方をはめて得になるのは?』
顎に手を当てて考え込む。ポルクスを宿主にして高位妖魔を作ろうとしたのか。こう言ってはなんだが、あまり高位の妖魔を生む自信はなかった。
なら、ポルクスを罠にはめることで、強くなる高位妖魔がいるとすればどうだろう。心当たりを見付けて、ポルクスは顎から手を離した。
「アキカゲだ。アキカゲが僕をはめようとしてる」
口に出してからポルクスは背筋が冷たくなった。ポルクスがアキカゲと決着をつけようとしているのと同じように、アキカゲもポルクスが来るのを待っている。
それもよだれを垂らして、手ぐすねを引いて待ち受けているのだ。




