宝石の街
橙色に覆われた空を見上げるたび、僕はいつか、この空に吸い込まれるのではないか、と思ってしまう。吸い込まれた先は何があるのだろう。蒼の世界か、藍の世界か、それとも――。
「詩人だな」
隣に座る芸術家はそう茶化す。
「晶のその感性、本当に羨ましいと思うよ。自分の世界を言葉に表せるなんて素敵じゃないか」
「お前にそう言われると何だか照れるな……僕に言わせれば、透の方がよっぽど感性に富んでいるよ。自分の世界を絵に、彫刻に、形に表せる。多くの人に見てもらえる。言葉なんて、結局は一過性のものなんだよ」
そんなこと、と透は筆を動かしながら笑った。
「この世に一過性じゃないものなんてないよ。だからこそ僕はここに座って、君と空の煌めきを共有しているのさ」
芸術活動――彼の感性が活発なときの透は、こっちが恥ずかしくなるキザな台詞や、ゾクッとするような威圧感のある言葉をさらっと放つ。本人はおそらく無意識なのだろうが。
僕はそんな一面が気に入り、毎日この河原で筆を走らせる透の隣を陣取っている。
〈バタンッ〉
「よし、帰ろっか、晶」
満足気な芸術家の表情は、彼が手に持つ石のように輝いていた。
透が描いているのは[空の宝石]。透明な石を通して見えた空を、空の色を、毎日水彩画としてスケッチブックに残しているのだ。
僕が彼と出会ってからもうすぐ三年になる。石を見つけたのは、出会いから三ヶ月経った高一の夏、例の河原でのことだった。
「灰に埋もれたアクアマリンみたいだ……」
「うん、きれいな石だねぇ」
晴天の色に染まっていたそれを見つけたのは殆ど同時だったが、所有者は透だと僕は直感した。
それがアクアマリンであろうが何であろうが、言葉で形容するほか能がない僕では、その光輝も持て余してしまうだろう。
でも透なら、ずば抜けた芸術センスを持つ彼なら、この石の潜在価値を引き出せるに違いない、と。そう思った。
結果として、直感は的中している。
「いやー、イイ感じですな」
スケッチブックの作品たちを眺め、満面の笑みを浮かべる彼のその能力は、石を灰色の世界から救い出し、新たな役割を与えてみせた。
同じ画材、同じ場所、同じ時間、同じ顔ぶれ。だが一つとして、スケッチブックに収められた宝石に、同じ姿のものはない。あの日のアクアマリンも、あの日一度きりだ。
「そろそろ、そのスケッチブックも終幕か?」
見ると、あと二ページしか残っていなかった。
「そうだね、でも丁度いいんじゃない? 僕らの高校生活と同時に終幕だなんてさ」
「お前……まさかそこまで計算して……?」
「え? いや、それはないない! 僕そんな器用じゃないもん。運命でしょ、運命」
笑顔の向こうに見えるのは、桜色の未来。
「ねえ晶」
「何?」
「もうすぐ二月が終わるねえ」
「うん」
「三月になるねえ」
「……うん」
「僕、すっごい楽しみなんだ。三月の琥珀が来る。それが楽しみ」
琥珀の空。毎年、透が一番瞳を輝かせている季節。
「……僕は、今年は純粋に琥珀を迎えられる気がしないな」
「どうして?」
「……お前のスケッチブックと同じだよ。終わりが、さよならが、もうそこまで来ている」
「晶」
握りっぱなしの石を天にかざして、彼は言う。
「終幕が見えるからって怯える必要はない。これは次の開幕の合図なんだよ。それに、幕が閉じたからと言って、僕らには殆ど関係ないさ。三年間色あせることなく発掘してきた宝石が、こんなにもあるんだ。そう簡単に砕けてもらっちゃ困るよ」
それに、とこちらに振り返って続けた。
「この発掘作業は僕だけじゃ成し得なかった。君が、晶がいてくれたからこそ、この街の宝石たちに出会えた。これは、冬が去って行ったって、雪解け水が流れてしまったって、揺るがない事実だ。丁度、全く形が変わっていない、この石のように」
一瞬、脳裏に浮かんだのは、写真だった。
セピア色の風景の中、キラキラと光を放つ宝石と、大人びた笑みを見せる透だけが、ハッキリと色を持っていた。
透の目には、脳内には、いつもこんな世界が広がっているのだろうか――。
「ありがとう」
「えっ?! 何が?」
「全てに、だ。さ、暗くなってきたし、帰ろうか」
「何だよそれ」
微かに顔を覗かせる太陽を背に、僕らは歩き出した。
「ねえ晶、最後の一枚は晶も描かせてもらうからね」
「え?」
「でっかいキャンバスに描く、特別バージョン」
「へえ、なんかすげー」
「でしょ?」
二本の影が伸びるこの街は、特別綺麗な景色があるとか、何か有名なものがあるとかではない。
でも、少なくとも、一人の芸術家と僕にとっては、この上なく美しい街だ。
琥珀色を桜色に染める風を受けて、
少年たちが旅立つまで、あと少し。
終
こんにちは。新谷裕です。
今回は高校三年の男子二人が主人公の小説でした。初・SF以外のジャンル。
例によって、好きな曲から妄想を膨らませた結果です。
普段よりもかなりの短期間で書き上げました。いやー、楽しかった。
細かい設定を考えていたら、この二人が凄く愛おしくなってしまって、余裕があれば日常こぼれ話集みたいなものもかけたらな、と思ったり思わなかったり……。
最後に、この小説を読んでくださった皆様に多大なる感謝を。