潜在能力
これはあくまでもフィクションです。介護施設の職員、ならびにホームヘルパーが利用者様の個人情報を他に漏らすのは禁じられています。
「アンタ、これホントの話なんだから…」
近所に住む姉が用事ついでに家に寄り、話し込んでいった。
それは彼女の勤める介護施設での出来事らしい。
彼女はいわゆる介護施設でホームヘルパーをやっている。
もっとも彼女にも家庭があるので、もっぱら昼間だけのパートタイ
ムだ。
彼女はデイサービス、つまり、昼間施設に通ってくるお年寄りの
世話をやいているのだが、話はそれについてではない。併設の施設、
そこでのお話だ。
デイサービスではなくて、そこにお泊りしている人たち。いわゆ
るショートステイを含む、ある利用者さんの出来事である。
お泊りの利用者さんは、大抵が認知症を患っている人が多い。身
体はまだ元気だが物忘れが酷いとか、幻覚を見るとか、その手の症
状がある人。
そこで、ある七十代のおばあさんがショートステイしていた。普
段、在宅で家族の介護を受けていたが、介護家族の負担軽減を計る
為、そこに短期入所していたのである。
で、その七十代のおばあさんだが、仮にAさんとでもしておこう。
Aさんは七十代とまだ若く、身体も健康だ。しかし、認知症を患い、
幻覚、幻視もある。昼間は寝ていて、夜になると騒ぎ出す傾向にあ
った。いわゆる夜驚症も混じるのだ。
そこで昼間はなるべく身体を動かさせて、夜は疲れて眠るように
仕向けた。その施設では夜10時が就寝時間で、照明も落とされる。
昼間運動量を増やしたのが良かったのだろう、Aさんは夜にもちゃ
んと眠りにつくようになった。
ところが、ある日の事。夜中の見回りの時にAさんの確認に行くと
ベッドはもぬけの殻。
施設中を探してもどこにもいないのだという。職員達が警察に連
絡を、とバタバタしている時に、ふとAさんのベッドを見るとちゃん
と寝ていたのだそうだ。
え? たった今、施設中を探してもいなかったAさんが。しかもA
さんの部屋はこの施設の二階にある。
う~ん、職員たちは考えた。そしてAさんの身体を確認してみた。
と、足の裏に土がついていたのだという。土? 外に出た?まさか。
だって部屋は二階にあるし、外に出るには一階に降りて、玄関の施
錠してあるドアを開けなければならない。そんなコトをしたらまず
は職員が気づくはず。う~ん。
その日はともかく、Aさんがいたこともあり、今後施錠の確認や見
回りの強化という事で一件落着、となったそうだ。
で、次の晩。昼間にいつも以上に運動をしたAさん、十時にはもう
すっかり眠りに落ちていた。しかし昨晩の例もある。見回りも深夜
の十二時に一回、異常なし。そこで一階玄関の施錠も確認。異常な
し。で、職員たちは一安心していた処、その事件は起こった!
深夜二時を過ぎた辺り、施設に一本の電話がかかってきた。警察か
らだった。
警察? なんだろう、しかもこんな時間に?
「ええと、お宅の利用者さんでAさんという方が居りますか? 今、
こちらで保護しておりますが?」
「ええ?」
Aさんのベッドを確認するとやはり昨日と同じもぬけの殻。で、二
階の窓が開いている。
「え? ここから一階に下りるには…どう考えても無理。可能性が
あるとしたら、窓から大分離れている電柱に飛びついて、そこを伝
わって、屋根伝いに歩いて、やっと下に降りられる、かもしれない
けれども。それは絶対に無理よね」
「無理無理。大学生の男の子でも危ないわ。それがいくら体が健康
といっても七十代のおばあさんよ? 第一、照明も無い中、どうや
って…」
「でも…」
「ええ」
「とりあえず、こちらで保護しておりますので、引取りに来てくだ
さい」
大急ぎで指定された交番にいくと、パジャマ姿のAさんがうなだれ
ていた。
話を聞くと、ある一軒の民家にAさんは侵入し、台所でお釜に入っ
た白米を手づかみで食べているところを家人に見つかって通報され
たのだそうだ。
その家の主が語るには、
「深夜に台所から音がするので泥棒かと思ったらそんな状況だった
んです。失礼ながら、もうお化けが出たのかと思いました」
確かに怖かっただろうな。そんな現場を実際に体験したら。
「で、侵入場所なんですが、二階の窓からでした。鍵がかかってな
い所からです。しかし、俄かには信じられません。このおばあさん
がですよ?」
「あの~、もしかしたら昨日も台所を荒らされませんでしたか?」
恐る恐る聞いた職員さんの言葉に
「ええ。よくお分かりで。でも、荒らされたんじゃなくて、食器が
キレイに洗われてあったんです」
「え?」
「だから私たちは冗談で、小人がやってくれたのだろうって話して
ました」
「……」
職員さんは笑うに笑われない状況だったので、何も言えずただ、
うなずくだけが精一杯だったとの事。
Aさんを無事引き取り、ベッドに寝かしたところで職員さん達は
話したのだそうです。人間の潜在能力について。
「火事場の馬鹿力ってあるでしょ?ほら、かよわい女の人が、火事
の時、箪笥をひょいと持ち上げちゃうとか。そんな例」
「うん。聞いたことあるわ」
「推測だけど、多分Aさんは二階の窓から電柱に飛びつき、そこを
伝わって屋根沿いに例のお宅まで行ったに違いないわ。初日の帰り
は勿論、その逆をやったのよ」
深夜に白髪の老婆が電柱に飛びつき、そして屋根の上を走ってい
る。
想像しただけで身震いがした。
「……」
「人間の潜在能力ってすごいのね。一説には普段は、能力の二十%
しか使ってないとか」
「じゃ、百%使ったらスゴイことになるわけね。いわゆるスーパー
マン並みって事か」
「それなら七十代のおばあさんが深夜に屋根の上を走っても納得出
来るわね」
「うん…」
その話は一種の笑い話として、職員達の間で話題になったのだと
言う。
それから少しして、Aさんは家族からの要望により、他の施設へ
と転居していったらしい。
後日談として、Aさんの家族が、例の家に謝りに行った処、その
家はAさんの家と門構えが酷似していたのだそうだ。
「やっぱりAさんは家に帰りたかったのかな?」
そんな事を言った職員は、失言とばかりにその場を離れ、暫くは
戻ってこなかったのだと言う。
人間がその真の力をいつでも出せたなら、体がもたないとか、色々言われておりますが、実際の所はどうなんでしょうか?もしかしたらオリンピック選手級の人たちは、その潜在能力の一部を引き出す方法を知っている人たちなのかも知れませんよね。