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flag1. 俺以外にはけっして懐かないわけだが

 妹は何かするたびに、俺の方を見て、俺のためにとか、俺の事を思いながら、という事を言った。

 例えば、

「にぃにぃの為に、いっしょけんめい、作ったんだよ」

 そう言われると、不思議とコゲた目玉焼きも美味しくない訳ではない。

 しかし、年を経るごとにそれはエスカレートしていった。

「にぃにぃの為に、朝ごはん、ぜんぶたべたんだよ」

「にぃにぃの為に、心を込めて、部屋の掃除したんだよ」

「にぃにぃの為に、お風呂を湧かしたんだよ」

「にぃにぃの為に、お風呂に入ったんだよ」

「にぃにぃの為に、蚊を叩いたんだよ」

「にぃにぃの為に、歌を歌ったんだよ」

 便利な定型句だった。まるで万能の呪文である。

 俺はその度に、妹の栗色の髪を撫でながら

「いい子だな、春香は」

 なんてのんきな事を言っていた。

 正直のろけていた。

 あの頃の自分を、本気で殴りたい。


「にぃにぃの為に、初潮がきたよ!」

 ある日の朝、妹は俺に嬉しげに報告した。

 俺が初めて自分の過ちに気づいた瞬間だった。

 妹が15、俺が17の時だ。

 軽い目眩を覚えた。


 ***


「は、春香……あんまりくっつくと、変な目で見られるだろ」

「へへ、それがまた嬉しいのです」

 10年。ある事件がきっかけで、俺たち兄妹が離ればなれになっていた期間だ。

 身長も俺と同程度の女子になったが、どういう訳か中身だけは、まったく変わっていない。

「にぃにぃ、にぃにぃの為に、桜が咲いたよ。ベランダで花見しようよ」

「うん、さすがに俺の為ではないと思うが」妹基準ではそういう事らしい。

「春香、やっぱり春の季節が一番好きだなぁ。にぃにぃの為にお酒飲みたいなぁ~」

「それは、にぃにぃの為に止めてくれ」

「どうしてぇ~? 一緒に飲もうよぉ~」

「どうしても。俺も春香もお酒はまだ飲めないだろ?」

「だって春香、もう大人になったんだよぉ~? 酔っ払っちゃっても、にぃにぃの為に準備万端だよぉ」

「叔母さんに見つかったら怒られるだろ」

 というか俺のために準備万端ってどういう意味だ。

 今朝の光景を思い出して、再び足がふらついた。

 妹にそのつもりはないのだろうが、この『にぃにぃの為に』という定型句が俺の神経をずいぶんすり減らしてくれた。

 妹は小さい頃から俺と結婚すると言ってはばからなかったのだ。

 俺には単なるままごとの決まり文句でしかない『ただいま』も『愛してるよ』も、春香にとっては単なる演技ではなかった。

 今ではさすがに本気かどうか疑わしい。だが、10年前の妹は確かに本気だったのだ。

 不意に嫌な記憶が蘇る。春先の涼しい風がやけに涼しい。冷や汗をかきながら、

「『にぃにぃの為に』は禁止だ」

 と、はっきり言ってやった。まずは言いなりにならないよう、主導権を握ることが肝心だと思った。

 ぱちくり、と目を見開く春香。

「どして?」

「うむ、それはだな……」

 だって当たり前だろう、こんな年になって兄妹でべたべたすると、周囲の評判にもわるいはずだ。

 俺はお前の彼氏じゃないんだ。

 俺たちは、どこまで行っても、決して結ばれない運命にある。

 言うならば、お前の将来の為に禁止するんだ。


 そう、言おうとした瞬間。

 頬のあたりに、ぴりり、と冷たいものが走った。


 包丁による古傷がうずき、激しい頭痛がする。

「う……あ……」

 俺は十年前の出来事を幻視していた。

 十年前、まだ幼い妹が、手に余る大きさの包丁を持って泣いていた。 


 ままごととかそういうレベルじゃなかった、本物の包丁だ。

 きっかけは、ささいな喧嘩だったと思うが、よく思い出せない。

 どうせ子どもの喧嘩なんてささいでつまらないものばかりだという、そういう偏見に基づいた憶測だ。


 けれども、それが結果的にささいなものでは収まらなくなっていた。

 なんせ、それが原因で、小さい頃、俺と妹は引き離されたぐらいだった。


 俺が覚えているのは、包丁を持って泣きじゃくる妹の姿と、頬にうっすらと残った鋭い痛みだけだった。

 あと、『結ばれない運命なら、にぃにぃを殺してやる』と、言っていた気もした。


「お前は……そう、そうだな、お前がいつも俺の事を思うのは、家族として当然のことだ。だから、あえて口に出す事は、禁止する」

 気が付くと、俺はそんなその場しのぎの嘘をついて、誤魔化していた。

 情けないが、下手をすると本気で殺されていたのだ。トラウマにもなるだろう。


 びしっと言われた春香は、それでもまだ不満げに頬を膨らませていた。

「にぃにぃも、何も言わないときは、春香の為って、思ってくれてる?」

「も、もちろんだ! それが兄妹というものだろう!」

「えへへ、ありがとう、にぃにぃ、大好き!」

 どうやら説得は成功した様子だが、春香が俺の腕にひっついてくるのは、もう防ぎようがなかった。


 こんな風に、妹の機嫌を損ね、ヤンデレ化フラグが立ちそうになるたびに、俺の頬の傷はひりひり痛んだ。

 一種のセンサーでもついているのかも知れないと思うほどに、身の危険を的確に感じるのだ。

 これまで何度も命を救われた。けっこう頼りにしている。


 あるとき、手を繋いだカップルに「ひゅーひゅー」などと言って冷やかされた。

 下手をすると場が白けかねない古い言い回しであえて茶化すとは、なかなか堂に入ったカップルと見た。

「……なんだ、お前らか」

 幸田と美由紀、俺の幼馴染みだった。幼い頃の春香とも面識があって、当然、例の事件のことも知っている。

「ようよう、仲のいい兄妹ですこって。お前らいつ結婚すんの?」

「冗談やめろよ。お前らこそいつ結婚するんだよ」

「焦っちゃだめよー、計画的にいかなきゃー。私たちはちゃんと二人とも高校卒業して、大学を卒業して、経済的に余裕ができてから、そのときまだ2人とも彼氏彼女がいなくて、お互いに結婚する意思があったら、あの時計塔の下で、12月31日の23時45分に落ち合って、そのとき結婚しようって決めてるの、ねー」

「ねー」

 うざい。

 胸焼けするカップルだ。爆発しろ。速やかに爆発しろ。

 しかし、そのカップルに冷やかされている俺たちってどうなんだろう。傍目には、そんなにベトベトしていただろうか。

 春香は黙って俯いていた。対人恐怖症なのか、俺以外の人間に対しては、ひどく人見知りをする。

 小さい頃も、俺たち4人で遊んでいるというより、俺の後ろに隠れてこそこそしている事の方が多かった。

 仲のいいこの2人をどこか羨ましげに見ていて、後になって俺と2人で遊ぶとき、こいつらの真似をする事が多かった。

 要するに、俺を相手に恋人ごっこをするようになったのも、そんな背景があったからで。

「春香ちゃん、今度いっしょに遊ぼうか?」

「ダブルデートだから、ちゃんと兄貴つれてきてくれよ」

「………………ん」

 唯一心を開いた他人に対しても、昔からこの態度である。俺の後ろに隠れて、小動物のように頷く。

 俺以外の人間には決して懐かない、心を開かない。

 ……順調にヤンデレの階段を昇りつつあった。


 話ながら歩いて、そろそろ分岐点に差し掛かろうと言う所で、春香はとつぜん俺の裾を引っ張った。

 だだっ子のようにずずず、とローファーを地面に擦らせている。

「待って、にぃにぃ~!」

 まだ俺と話し足りなかったらしい。

「おいおい、なんてバカップルだよお前らは」

 幸田が呆れて言った。うん、きっと変なバカップルの邪魔が入ったせいだ。

 俺は春香の頭をぐりぐり撫でて、中学校の方を向かせてやった。

「ほら、帰りは一緒に帰ってやるから」

「ホント? にぃにぃ、約束してよ?」

「子どもじゃないだろ?」

「約束してくれなきゃ、安心できないもん」

「俺の言うことが信じられないのか?」

「にぃにぃは、たまに、嘘をつきます!」

 ぷんぷん、と妹は怒ってすねてしまった。

 俺が一体、どんな嘘をついたって?

「兄妹は一緒にお風呂入ったり寝たりしないとか! 兄妹は結婚できないとか! 違うんだこれは幸田がイタズラで仕込んだDVDであって俺に妹が好きになる趣味があるわけじゃないんだとか!」

「ほぼ真実だ」ほぼ、という辺り、本当に正直者だな俺は。

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