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予備の身体


 二月も半ばになると日が伸びて、夕方五時でも帰り道が明るい。

 比奈子は薄暗い坂道を登り、駅から少し離れた低い山の中腹に立つマンションに帰宅した。

 マンションのドアを閉め、帰宅した少女は明かりのスイッチを入れる。


「ただいま……」


 比奈子の声に反応して、リビングの戸が僅かに開いた。腕が通るくらい開いた隙間から、小さな人形が姿を現す。


 戸を必死にあける人形は、可愛らしいデフォルメされたうさぎだ。片耳が取れかけているが、それも愛らしいといえば愛らしい。

 よいしょよいしょと戸を押し開けて、帰宅した比奈子を出迎えた。



「おかえりなさい、ひな」

 うさぎの人形はトテトテと歩いて、玄関を上がる比奈子を見上げる。


「……ひな、チューしたか? チュー? ナオザムライとヤったか?」

 可愛らしいうさぎの口が開き、姿に不釣り合いな下品な言葉を投げかける。


 不気味な釘の歯の並ぶうさぎを睨み付け、比奈子は学生カバンから拳銃型の懐中電灯アクセサリーをもぎ取った。

 赤い光が拳銃型アクセサリーを包み、鈍い質感を持った本物の銃へと変わった。


 乾いた音が三つ。廊下に響いた。


「ゲッ、ヒャ、ゴ……」

 撃ち抜かれ、衝撃で踊るうさぎの顔が、胴が、足が弾けて真綿を廊下に撒き散らす。

 ふわりと倒れたうさぎはもう動かない。


 廊下の穴から立ち上がる薄い煙と、無残な姿で転がる下品で可愛いうさぎを捨て置き、比奈子は寝室へと向かう。

 拳銃は元のアクセサリーに戻り、学生カバンへ取り付ける。


 憮然と飾り気の無い廊下を進み、寝室の戸を開けて部屋の明かりをつけた。


 瞬く蛍光灯が異様な室内を照らす。


 壁にぶら下がる数々の球体関節でできた腕や足の模型。様々な色と髪型のカツラ。比奈子とよく似た顔形をした人形の頭部が二つ。滑かな腹部と豊かな胸部と傾らか丸い腰部が組み合わさって出来た胴体。

 それらが部屋に溢れていた。


 比奈子は異様な室内に入ると、左足のハイニーソを脱いでベッドに座った。


 無表情で左足を両手で捻る。

 ありえない方向へ足が向くと、カチリという音と共に左足が外れた。

 

 たった今まで張りのある柔らかい肌を持っていた左足が、外れると同時に無機質な質感となっていく。そして壁にかかる物と同じ、人形のパーツへと戻った。


 取り外した左足を床に置いてスカートの裾を直し、壁にかかるパーツを見回した。

 腕の多さに比べて、足のパーツが少ない。


「あと五つ……」

 残った左足のパーツを数えて、比奈子は俯向く。足は損耗が早い。出来れば大切に使いたいが、通学だけでも負担が着実に溜まっていく。

 比奈子の体は、人形だ。

 肉体などどこにもない。生まれ落ちた時から人形で、今もまだ人形だ。


 ただ精神だけがあって、「ある存在ヤツ」の気まぐれでこうして人間の真似を許されている。並んだパーツも「ある存在」が前もって用意してくれた物だ。

 追加補充はない。それは暗にある意味がある。


 ――パーツを使い切る前に、矢大字直持から全てを奪え。


 ある存在が、比奈子に人間の真似事をさせる為に用意した条件。

 それを思い出して比奈子は、自分の体を抱いて身震いした。人形の姿をしているが、恐怖は不安は人間と変わらず持っている。

 心を持っている。

 比奈子は心を持っている。


 泣いて笑って怒って怖がり、そして直持を愛して止まない心を持っている。


 比奈子は左足を取り外したまま横に倒れ、ベッドに身を預けた。

 

「あいつ……次はいつ……くるの……」

 震える肩を抱いて抑える。


「……ナオくん」

 顔をシーツに押し付けていると、寝室の戸がカチャリと音を立てた。


「お帰り、ひなー」

「ひな、帰ったのか?」

「ひなひなひなー」

「おかおかおかおか」


 クマやネズミ、ネコやイヌなどのぬいぐるみが、共同作業で戸を開けている。ドアノブを回したネコが、カーペットに降り立ち、気ままに寝転がる。

 クマはドアを閉めて、イヌとネズミはベッドに伏せる比奈子に駆け寄った。


 彼らは監視者だ。

 比奈子を見張るため、ある存在が置いていった無機質なプログラムで動く人形たちだ。


 可愛らしい姿をしているのに、どれもこれも壊れかけている。

 ネコはしっぽが途中でちぎれていて、クマは片方の前足がない。イヌは耳が無く、ネズミに至ってはボロボロであちこちから綿がはみ出している。


「おい、ひな、こいつ食っていいか?」

 ネズミがボロ切れと真綿を持って訪ねてきた。

 シーツから瞳を覗かせ見ると、ネズミはウサギの残骸を持ってそんな事を言っている。

 つくづく悪趣味な性格をしている。と、比奈子は苛立たしげに唇を噛んだ。


「勝手になさい」

 言い捨てると、許可を得たと喜び勇んでネズミのぬいぐるみはウサギの残骸を貪り始めた。

 可愛いぬいぐるみに似合わない浅ましい姿から目を逸らし、比奈子は壁に掛かる新しい左足を手に取った。

 スカートを捲り、球体関節の接続部を晒して新しい左足を丁寧に添えた。

 

「おお、パンチラだ」

「ひな、だいたーん」


 イヌとクマが身を伏せて覗き込む格好をしてみせた。比奈子は怒りで顔を紅潮させて、脱いだハイニーソックスを二体に投げつける。

 イヌとクマは追い立てられるように、寝ているネコを踏みながらわーっと言って逃げ出して行った。


 踏み起こされたネコも、驚いて飛び出して行き、残ったネズミも食べ終えると満足したのか寝室を後にした。


 再び、比奈子はスカートの裾を整え、丁寧に左足を取り付ける。


 カチリと填まる音がすると、それまで無機質な乳白色だった左足に赤みを帯び、柔らかく張りのある肌へと一瞬で変わる。

 

 比奈子はおもちゃを本物にする能力を授けられている。


 この力がなければ、比奈子はただの動く人形に過ぎない。


 この力を与えたある存在が気まぐれで能力を取り上げれば、比奈子は不気味に動く球体関節の等身大人形でしかない。力があるから、こうして学校へ通い、そして直持と他愛なく競い合う事ができる。


 左足の調子を確認するため何度か伸ばし、立ち上がって床を数回蹴った。

 不具合は感じない。

 次にスカートを翻し軽やかに回転して、左足を高々と上げてみた。

 動きは滑らかで違和感は感じない。


「よし、問題無し」

 

『いや、問題有りだろ? 大有りだろ?』

 比奈子の独り言に、何者かが反応した。

 

 声の主を探すと、サイドテーブルのハサミが刃を開き立ち上がっていた。こじるような動き前に進み、刃先がテーブルの表面を傷つける。


『問題ありまくりだろ、お前。いつまでチンタラやってるんだよ。そろそろ予備パーツも無いんだろ?』

 テーブルの上で立ったハサミは、チャキチャキと開閉しつつ話す。


「も、申し訳ありません」

 比奈子は青ざめる顔でハサミへ謝った。


『とっととナオザムライの奴から力を奪い取れよ。殺るかヤるかで終了なのに何してんのお前? それともあれか? お前はケーキに載った苺は最後に食べる主義か? 奇遇だな。俺様もだ。ウメーよな、最後の苺。ちなみにサンタは最初に頭を貪り食うのが俺様のジャスティス』

 ハサミはジャギジャギと不機嫌そうに開閉する。

 比奈子は何も答えない。

 

 ハサミを何処からか操る存在は、比奈子に力を与えた者である。逆らう事はできない。

 

『お前が殺したく無いのはわかる。そりゃそーだ。好きな奴を殺したら本末転倒だ。俺様って物分りがチョーいいから、ナオザムライの野郎を殺せとは言わねーよ。だからさっさとその綺麗な身体で迫って押し倒してヤっちまえよ。そうすりゃお前の大好きなナオくんは、お前共々ただの人形になって永遠に添え遂げられる。俺様はナオザムライの力を貰って帰る。…………って』

 長々と喋っていたハサミが不意に舞い上がり、比奈子の古いパーツが巻き混んでもう一人の比奈子の姿となった。

 もう一人の比奈子は、破損したり摩耗したりしたパーツで出来ているせいで、不気味に無機質な身体を晒している。

 

 比奈子は自分の壊れかけた裸体から目を離せない。

 もう一人の比奈子は硬直する比奈子を押し倒して首元にハサミを突き付けた。


『何度も言ってるだろうが!』

 ガラス玉の目玉が青く光り、比奈子を睨む。たじろぎ比奈子は息を飲んで身を竦めた。


『なんなら俺様直々に殺しに行ってもいいところなのに、お前に花を持たせてるのがわからねーのか? ああン? 勝ち負けの数をいつまで重ねても力は奪えねーんだよ。そろそろ俺様待ちくたびれて思わずお前もナオザムライもコロシチャウヨッ!』

 裏返った声で何かのマスコットのモノマネをするもう一人の比奈子。

 比奈子は押しつぶされ、苦しげに何度も首肯いてみせた。


『わかったか?』

「わ、わかりました」

『どれくらい分かった?』

「……ら、来月まで待ってもらえれば」

『来月? 具体的にいつよ?』

「二月十四日には……」


 比奈子の答えを聞いて、もう一人の比奈子は邪悪な笑みを満足げな表情へと変えて見せた。


『ははぁん。なーるほど、なるほど、ナルホドねー。ヴァレンタインでバッチシ決めるってわけか。いいね、ロマンチックがフリーズしないねぇソレ。ウケるよ、ソレ。いいよ、ソレ。褒めるよ、ソレ。だから待ってやるよ。ペロちゃんが泣いて喜ぶほどの温情かけてやるから感謝しな』


 もう一人の比奈子はそう言い残すと、バラバラと崩れて元の古い壊れたパーツとなって姿を消した。


 比奈子は乱れた制服を直して身を起こした。

 ヤツが本当に消えたか確認するため、静かにパーツを見つめた。

 もう動く事も話しだす事もなさそうだ。

 

 ほっとした比奈子は、糸の切れた操り人形のようにベッドに突っ伏した。

 

「……いっそ正体バラしちゃえば……」

 直持はおもちゃを自在に直せる。

 比奈子の摩耗した身体を直してもらえれば、いつか自分の予備パーツがなくなる事を恐れなくて済む。


「でも……」

 ヤツから逃げられるかわからない。

 そして何より――。


「ナオくんがおもちゃ好きだからって、おもちゃの私を愛してくれる?」

 



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