表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

冬の息苦しさ

 憂鬱な朝だ。

 今日も、直持は比奈子からのメールで起こされた。


「まあ寝坊しなくていいけどね」

 美少女からのモーニングコール代わりと考えれば悪い気もしない。敗戦記録が増え続けるのは釈然としないが、この勝負ごっこも慣れてくるとただの日課だ。

 ただし勝敗数を覚えていないと、比奈子が怒ってくるので直持も油断できない。


 直持はのそのそと起き出すと、玩具のダンボールを跨いで顔を洗いに洗面所へ行く。


 鏡に冴えない顔が映る。


「我ながら気の抜けた顔はダメだ」


 これでも多少が顔に自信のある身だが、キメ顔してないと人間ってのはどこまでもダメな顔になる。

 きっと一日に何回も、間抜けな顔になったりしてるだろう。

 人間、鏡の前だとちょい気合が入るが、普段はたるんでいるモノだ。誰とて気合を入れて生きてる。

 だがそれを常に顔へ貼り付けるのは難しい。


 それを……常日頃から出来る少女がいる。

 直持は比奈子の顔を思い浮かべた。


 彼女は美人なだけじゃない。隙があるように見せて、身体にはまったく隙がない。

 滑から肌はいつも滑らかで、髪はいつも整えられてて、百面相のように変わる表情だっていつも綺麗で、しかも崩れる事がない。


 まるで人形だ。


「……キミは、いったいなんなんだ?」

 直持は鏡へではなく、記憶に浮かぶ比奈子の顔に問いかける。


「なんで俺なんだよ」

 疑念とも不安ともつかない思いが、直持の心を焦がしていた。

 

 

     *


 風が強い。

 この地方の冬では、雪国の人を以てしても寒い! 死ぬ! と言わしめる強風が吹く。

 全国二位の裾野を持つ山から吹き降ろされる風は冷たく、そして追い剥ぎでもしそうなくらい強い。

 それため、この地方の学生はコートが必需品だ。それも風を通さない素材か、厚みのある生地でしっかりと作られたコートだ。 

 特に夕刻の風がもっとも強く、人も看板も吹き倒そうと荒れ狂う。


 もっともこの迷惑な風だが、恩恵もまるでないわけでもない。


 叩き付けるような風が、ハーフコートを着た女子生徒を襲う。重いコートの裾もなんのその。容赦の無い強い風は女子生徒たちのスカートをなびかせる。


「きゃぁーっ!」

 

「おおう!」

 市野丞が恥も外聞を忘れて、女子たちをガン見する。

 女子高生の悲鳴を聞いて、彼女たちをチラリと見た人たちは多いが、丞ほどはっきりと見る奴はいない。


「春の風と違ってめくれやしねーぞ」

 直持はコートの襟とマフラーを握って、風が胸元に入らないよう素知らぬ顔で駅を出た。

 普段、丞と一緒に帰る事はない。だが今日は剣道部の練習が無いため、直持は丞と一緒に下校した。

 最近、比奈子と一緒の登下校が多く。直持は、こうして気楽な気持ちになるのは久しぶりだった。 


「なにその余裕。どこからその余裕でるの? カノジョ持ちのナオザムライには余裕があるんかい? 余裕っち?」

 上背のある丞は、直持の背後からしがみつく。押しつぶすように寄りかかり、直持を歩かせて風の盾にした。 

 こうした男子同士のじゃれあいも久しぶりだ。直持は不快ながらも、自然と笑みが浮かんだ。


「何が言いたいんだよ、丞。俺は単に、見れば女子から白眼視されて、見えなくても白眼視されそうな事するなって事だよ。それに俺はカノジョいない。いないから、カノジョ」

 駅前の学習塾前を横切りながら、直持は彼女持ちという点を激しく否定する。 


「またまた出ましたよ! どう考えてもお前ら付き合ってるっしょ」


「お前らって、誰と誰だよ」


「ナオザムライとぉ、比奈子ちゃん」

 冷やかしと嫉妬が混じった複雑な声だ。 


「ご冗談を」

 直持は伸し掛る丞を振り払って駆け出した。

 学習塾玄関の自動ドアが、走る直持に反応して急に開いた。


「きゃあっ!」

 強い風が不意に吹き込み、学習塾ロビーで荷車を押していた宅配便の制服を着た女性が帽子を飛ばされた。

 風が女性の髪を乱す。

 彼女は暴れる髪を押さえている。

 

「あ……すいません」

 学習塾の関係者でないが、直持は屋内に入って宅配便の制服帽を拾いにロビーを走った。


「おっ、ナオっちじゃん」

 髪を整えた女性が、前髪を払って言った。


「あれ? 晃子さんでしたか」

 直持は振り返りながら帽子を拾い上げた。

 

「お仕事、この風の中、大変ですね」

 帽子を手渡し、直持は晃子と一緒に学習塾を並んで出た。


「いやー、この時期の学習塾は戦争だからねー。各種通知、参考書に問題集。次から次へと重い紙束のピストン輸送だよ」

 晃子は女性らしい細い腕で力瘤を作る仕草をしてみせた。

 体力はあるのだろうが、筋力はさほどでもないはずだ。彼女は彼女なりに仕事をこなしている。

 反して、直持は多少の疲労感があるのものの、玩具を直す能力で濡れ手に泡のような仕事でお金を稼いでいる。

 直持は、晃子や世間で汗水垂らして働く人たちに申し訳なく思った。


「ナっ! ナナオナオナオザムライくん!」

 硬直しながら振動するという器用な身体状況を披露する丞が、裏返った声で直持を呼んだ。


「俺のアダ名がどんどん長くなる……」

 ナオモチがナオザムライになって一文字増えてるというのに、丞はさらに長くしたようだ。


「だ、誰かね? この美人のお姉さんは?」

 無音かつ高速移動で直持の肩を引っ掴み、丞はこそこそと耳打ちして訊ねる。


「いつも俺のアパートに来てくれる宅……」

「いつもお前のところにだとぉっ!」

 丞の腕に力が篭ったので、直持は首をねじられないように身体から力を抜いた。 


「あ、いや、丞。お前、絶対勘違いして……」


「いいや。絶対、勘違いしてないね」


「早とちりもしてるぞ」


「いいや。オイラの特技は千里眼だから」


「……正露丸だって?」

 

「わー、ナオっちの仲良し男子のお友達だね。お姉さん、学生時代を思い出すよぉ」

 直持のボケは、晃子の歓声で打ち消された。


「あたしはナオっちのおうちに玩具を届けたり、直った玩具を世界の子供に配るトナカイさんです。よろしくね」

 晃子は何故か台車を勢い良く担げ上げて、注目しろ(チェキ)!と横Vサインをかました。


「……すげぇ。駅前で出来る技じゃねぇ」

 稀に良く奇行に走る丞ですら、晃子の大技に感嘆の声を上げた。


「……あの……千里眼……正露丸」

 直持はボケを繰り返した。普通なら繰り返して言えるようなボケではない。

 ツッコミばかりしてる人間が、なれないことをすると他人の反応が気になってしかないので、直持の行動も仕方無いことかもしれない。


「名前は新堂 晃子。新しいお堂って書いて、日光見ずして結構と言うなかれの日光を一文字にして、そして女の子のこだよ」


「あきこさんすかー。おいらは市野 丞です。よろしく。……と、運送っていうことは、あきこさん、お仕事の関係でナオザムライとお知り合いで?」


「うん、そうそう」

 晃子は担いだ台車を降ろして、うんうんと首肯いた。


「よかったぁ。まさかこいつ二股してんじゃないかと思ったっすよー」

 丞の指が直持の頬を突く。


「いてーよ。二股じゃねーよ。あと俺カノジョいねーよ」


「またまた、ナオザムライくん。キミには比奈子ちゃんという人がいるじゃないか?」


「え? マジで? ナオっちカノジョいるの?」

 台車を背後に回して、晃子は顔を二人に近づけた。

 化粧をしてないように見えたが、そこは年頃の女性。ほのかに乾いた芳香が漂う。


「うわ、晃子さん食い付きいいなぁ……。断っておきますけどいないですから、カノジョ」

 直持は晃子の視線から逃げつつ、カノジョという問題について否定した。


「じゃあ、ひなこって女の子は? カノジョのようなもの?」

 どうしてもカノジョという領域にしたいようだ。


「ただちょっと競いあってるだけの子です。なんていうの? ライバル?」


「ライバルじゃなくてラブラブじゃね?」

 言い訳をする直持に、丞が茶々を入れた。 


「ラブラブライバル? やっだ、超ウケるーね、それぇ!」

 千里眼と正露丸は受けないんだろうか、と直持は不満の顔を見せた。拘って引きずるタイプである直持は、一度手を出すと止められない。

 彼は内心、今度こそウケのいいボケをカマそうなどと不穏な事を考えていた。


 それ故に危うい。


「ラ、ラブならライバルより聖書。……バイブルの方に書いてあるだろ」

 

 














「……ラ、ラバイブル」

 ラとバの間に、ブのイントネーションを込めて。





















「……あ、あたし仕事に戻るねぇ。じゃあねぇ、ナオっち……じょーくん」

 いち早く立ち直った晃子が、そそくさと台車を押して路駐してある宅配車へと戻っていった。


「じゃあまた明日~」

 窓を開け、晃子が手を振る。


「え、ええ……さようなら」

 軽いエンジン音を響かせ、晃子の運転する宅配車は駅のロータリーを回って走り去った。


「なれねぇことすんなよぁ、ナオザムライ……」

 見送った丞が、不機嫌に肩を竦める。 


「な、なんのことだよ」


「お前はそういうキャラじゃねーだろ。周囲で浮かれた奴らの重石になる。それがお前の息苦しそうな性格の利点だろ?」


「お、俺はそんな息苦しくなんてないぞ」

 直持は心当たりが無いと否定する。 


「いや、息苦しいね」

 丞は髪を縛り直し、ひらひらと手を振った。



「ナオザムライは、他人にない力を隠してる。それは……世界の誰もが感じ得ない。想像を絶する息苦しさ……だろ?」

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ