冬の火事
早朝、住宅街の一角で黒煙が立ち上がり、鉛色の空に黒く逆さの三角錐を描き、北風に流されて南へと広がっていく。
鉛色の冬空にサイレンが鳴り響く。
火事の現場はマンション四階。取り残された人がベランダで助けを求めている。
下から見上げる通報者の背後に、サイレンを掻き鳴らした消防車が停車した。
通報した住民は、あまりに早さに驚いていた。電話したばかりなのに、近くにでもいたのかというくらい、不自然に近所からサイレンが鳴り響き数分で到着してきたのだ。
携帯電話を切って間もない通報者に前を、無言の消防隊員が駆け抜けてテキパキと消火活動の準備を始める。
通報者は火災が四階だという報告を忘れたはずなのに、ご丁寧にはしご車まで到着していた。
終始無言で不気味な消防隊員たちが消火活動を始めるころ、やじうまが集まり始めた。
近所の自分たちより早くきた消防隊に驚くやじうまもいたが、大抵の人々は疑問に思わなかった。
消防隊の動きには一切の無駄が無く、まさに消火と人を救うためだけに存在しているといった様相だ。やじうまの姿も目に入らず、声も耳に届いてない。
懸命な消火活動で、ベランダに取り残された人が救出された頃、応援の消防車が駆けつけてきた。
住宅街に消防車がひしめき合ってきたころ、通報者は消防署員に声をかけられた。
「あの~通報者はあなたですか?」
最初に到着した消防隊員と違い、人間味のある……というより、普通の人が調書を取りたいと申し出てきた。
少し戸惑いながらも、通報者は消防署員の質問にその場で応対した。
ふと通報者は気がつく。
いつの間にかひしめき合っていた消防車が少なくなっている。大活躍したはしご車も見えない。もう帰ったのだろうか? あの無言の消防隊員たちはどこに行ったのだろうか?
視線をさまよさせていると、一人の少女が消防車とはしご車のおもちゃと両手に持って、立ち去っていく後ろ姿が目に入った。
その少女の元に一人の男児が駆け寄った。幼稚園にも入っていない子供だ。
少女は屈みこんで、その幼児に消防車とはしご車を手渡し、口元に人差し指を引き寄せて
「――ないしょだよ」
唇がそう動いたように見えた。読心術など出来ないが、多分そう動いた。
「どうかされましたか?」
消防署員の声で、通報者は正気に戻った。
「いえ……ちょっとショックで」
言い訳をして視線を逸した瞬間、少女を見失う。残された男児はおもちゃの消防車とはしご車を抱え、マンションの隣りに併設された公園と立ち去ってしまう。
どこが不自然で何か不思議なのか分からないが、通報者は奇妙な体験をしたような頭を軽く振った。
事情を聞いていた署員は火事のショックなのだろうと思い、落ち着かせようと公園のベンチに通報者を誘導した。
通報者の視線の先……幼い男児が消防車で遊んでいる。
その消防車はよく出来ていて、消防隊員の人形も付属しているようだ。
消防車とはしご車の形は、どこか最初に到着した消防車に似ていた。
「いや、まさか……ね」
通報者は常識という言葉で、一つの妄想を打ち消した。
おもちゃの消防隊が駆けつけ消火したという妄想を。