六日目(後編)
ご主人様と向き合う男は、私を一瞥すると直ぐに、離れた場所で結界に身を包んでいるアリスへと目を移しました。
そしてアリスの体を品定めするかのように視線を胸から足へと移し最後に顔を見ると、満足そうな笑みを浮かべます。ご主人様の仰ったように、男はアリスを狙っているようです。使い魔の中でもっとも人気のある彼女は、敵の目にもつきやすいのでしょう。
男はその両手に持つ剣を返しアリスに峰にあたる部分を向けると、頭上高くへと振り上げ構えます。おそらく彼女を捕らえるつもりなのでしょう。
構えたまま動かない男の周りに陽炎が立ち込め、背後の景色が揺らぎ初めました。
大きく息を吸い込んだ男は一瞬待ち、アリスを見据えると溜めた息を吐き出しつつ、剣を振り下ろしました。剣が地面を砕き、その亀裂が離れた場所にいるアリスへと走り、結界を砕き中にいた彼女を吹き飛ばします。その威力に唖然とし、思わずご主人様と顔を見合わせます。
アリスは宙を舞い小部屋の土壁で止まると、今度は彼女の前方に拳だいの大きさの火球が幾つか現れ、男目掛けて放たれました。
男は彼女との距離を詰めながら全ての火球を切り裂き終えると前方に剣を構え突進します。
アリスは体を回転させるようにして突進を避けると、その華奢な手のひらで男の体を突きます。
動きの止まる二人、アリスの細い腕は男の腹部に深々と突き刺さり、血を滴らせていました。
彼女は、うめき声をあげる男をそのまま持ち上げると、地面に叩きつけます。
血しぶきが舞い、男の腹部から現れた腕は真っ赤に染まっていました。
「すみません。まさか、アリス様を狙ってくるとは。」
「いえ、こちらこそ獲物を横取りして申し訳ありません。」
私には、二人の言葉は本心とはまったく違うものに聞こえます。
「この男と面識があったのですか?恨みを買ったとか。」
私にはまったくそうは見えませんでしたが、ご主人様はしらじらしく仰ります。
「昔、逃げられた冒険者の一人かもしれません。まったく覚えがありませんが。」
「そうですか。この男はこちらで処分します。どうぞ、屋敷にて休んでいってください。」
アリスを屋敷へと戻らせたあと、ご主人様は私に新たな命令を下します。
「この男は鎖で拘束して首輪もつけて牢に入れておこう。死ななかったらベルゴの所にでも持って行く。リリはアリスを頼む。」
気を失っていて腹部を貫かれているにも関わらず、男にはまだ余力が残されているように見えます。
男を牢にいれた後、災難にあったアリスを食堂にて労う私。アリスは見たことの無い龍族のお菓子を頬張っています。ここへ来た理由はこれが目当てだったのかも知れません。
私が見た限りでは、冒険者を倒させる為に呼ばれたことには気がついていないようでした。それにしても容姿が良さ過ぎるのも、考えものですね。私としては複雑な気持ちですが。
「ごめんね。リリちゃん、ミスト様は素晴らしい管理者みたい。」
意外な事を口にするアリスです。龍族のお菓子はひねくれ者を素直にする効果があったのでしょうか?
「博識でいて尚且つ強いのでしょう。私には、いずれ魔王になる管理者に見えるもの。」
残念ながら見誤っています。博識なのは確かですがとても弱いです。
「ミスト様は素敵なご主人様ね。」
え?まさか心変わり?絶対にダメです。ご主人様は渡しません。
「でも私のダーリンのほうが素敵だけど。」
安心しました、でもルシエル様は色魔と評判ですので、私のご主人様のほうが素晴らしいです。
それからは龍族の迷宮支援組合の事を話しました。使い魔が一体タダで貰える事、龍族の魔物やアイテムが手に入ること等を話すと、興味を示していました。
「今日は、招いてくれてありがとう。とても良い情報だったわ。それとダーリンが対価に合った報酬を渡すようにいってたから。」
大金の入った袋をくれました。流石は金持ちですね。金持ちはケチだと言われていますが嘘だったのですね。
「ダーリンはこれからも交流を深めていきたいと言ってたわ。もう帰るけど、ミスト様によろしくね。」
こちらこそ、また強い冒険者が来たら呼びますね。今度は武器持参で来たほうがいいかもしれませんよ。
「アリス、私はこれからも貴方と仲良くしていきたいです。」
もちろん本心ですよ。だってアリスは強いですから。
「ふふ、最後に良い事を教えてあげる。欲しいものはどんな手段を使っても手に入れるべきよ。ぐずぐずしてたら、誰かに取られてしまうわ。」
意味深な言葉とともに消えるアリス。まさか、本当にご主人様を狙っているのでしょうか?ベルゴ様とアリス、私のライバルはとても強大な存在です。
嫌な事を思い出してしまいました。さっきの冒険者達をベルゴ様の所に持っていかなければなりません。
ベルゴ様の屋敷に行くといい事がありました。今日の冒険者達で借金は無しになるそうです。
嫌な事もありました。腹部に大怪我を負い鎖で拘束された哀れな男を取り囲む、屈強なベルゴ様の使い魔達。何故かいつも上半身裸の使い魔達は哀れな男を愛おしむような目つきで見ていました。
しばらくの間、私はあの哀れな男の怯えきった目が脳裏から離れませんでした。
屋敷に戻った私を自ら出迎えてくれるご主人様、その笑顔をみると私の脳裏に上書きされるようです。
今では、アリスと戦った男の顔すら思い出せません。
「見聞を広める為、迷宮の外に出てみようと思う。」
やめてください、ご主人様は盗賊はおろか野犬にすら負けそうです。
「私も一緒に行きます。肌の色は何か塗って隠せますから。」
もちろん護衛の為です。あわよくばご主人様との関係に進展があるかもと思っていますが、些細なことです。ラミアの下半身は隠し様がありませんし、ミントは迷宮の管理業務外なのでこれませんから邪魔者はいませんね。
「とりあえず街とか行こう。」
これは逢引の誘いで間違いなさそうです。ご主人様は強引さに欠ける方ですから。
人間界の大陸パンドラ、その中心に位置する人間の王都ミドガルドから南東に私達の住む迷宮があります。ちなみに、ミドガルドから見て東に位置する山脈に有翼人の国イストリアがあり、南に位置する草原地帯には獣人の国サウランド、西に位置する大森林にエルフの国ウエストリア、北に位置する雪原の地下にドワーフの国ノースランドがあります。サウランドより更に南には海が広がっており、人魚や魚人等が住んでいるらしいです。
迷宮の近くには人間の村があるそうですが、今回はミドガルドと迷宮の間にある商業都市コメルスシティに行きます。様々な商品が行きかい、とても活気がある街みたいです。
街へと辿り着くと、すぐに宿を確保しに行きます。もう夕方ですし、あまり遅い時間に行くと「今日は予約が一杯で。」とお決まりの台詞を耳にすることになります。実際にお客さんが入ってないボロ宿ですら気取ってそんな台詞を吐きます。
宿ではご主人様の言葉を遮ってダブルを指定しておきましょう。ご主人様を小さなベッドで寝かすわけには行きませんからね。
宿の確保が終わったので街を歩きます、人間は親しい仲の異性は手を繋いで歩く習慣があると聞きます。とりあえずご主人様の手を両手で鷲掴みしておきます。ご主人様は私の大胆な行動に驚いた様子ですね。
夜、宿屋にてご主人様は私にベッドを勧められます。とうとうこの日が来てしまいました。私の全てをご主人様に捧げる日が。いつも私は身体は綺麗にしております。でも正直待ちくたびれました。
私は勧められるままベッドに先に入ると、何故かご主人様は床で寝転がります。
わかっています、一先ず私を安心させるお考えなのですね、相変わらずお優しい方です。
私はベッドで待っていると、ご主人様の寝息が聞こえてきます。
な、なるほど、寝込みを襲うという状況を好まれるのですね。初めてなのにそんな特殊な行為を。
私はご主人様の欲求を満たす為、寝たふりをしますが一向にご主人様は来る気配がありません。
きっと私の為に体力を回復されているのでしょう。ありがとうございます、でも優しくおねがいしますね。
私の高まる気持ちとは裏腹にやがて夜が明けます。