四日目(前編)
うっそうと生い茂る木々、それぞれの太い幹には、細長く曲がりくねった蔓が乱雑に絡まり、時折、隙間から2つに割れた赤い舌を持つ蛇が顔を覗かせています。
樹齢数百年は経ている巨木の隙間から、僅かに地面を照らす光の先を見上げると、そこに見慣れた空は無く、およそ土で出来た窮屈な天井が木々を押さえつけるかのように広がっているのでした。
目を下に向けると湿気を含んだ苔が辺り一面を緑に染め上げいます。
突然視界に飛び込んで来た、真っ直ぐ伸びた二つの長い耳と額に捻れた一本の角を持つ、短い毛で覆われた足の短い動物は、手を伸ばせば届く距離にいる私には全く気付かず、ゆっくりと苔を食べています。
不意に動物が首を上げ、その長い耳をしきりに動かし始めました。
やがて自らの正面を見据えたかと思えば、急にその小さな体を反転させ、飛び跳ねるように去って行きます。
私は目前に聳え立つ巨木の幹を音を立てずに素早く登ると、やがてその場に来るであろう獲物を静かに待ちます。
私、使い魔のリリは獲物が真下を通過するその時まで、今朝あった出来事に思いを馳せます。
朝食を作り終え、ラミアが食堂のテーブルに配膳を行っている間に私は、ご主人様を起こすために寝室に向かっていました。
寝室への扉のある監視室に入った時、私の瞳にその場にいるはずのない少女が映ります。
短めの黒い髪と黒い瞳を持ち、整った顔立ちと青白い肌をした美少女は、私にとって見慣れた姿、いつも鏡に映る私の姿でした。
目の前に存在する私は、優しそうな笑みを浮かべ、私の声で「おはよう。」と口にします。
その愛らしい姿に心を奪われた私は、目の前の私を優しく抱き締めます。
私から発せられる愛しい御方の匂いにより、その正体を知った私は抱き締める力をより強くしました。
どれほどそうしていたでしょうか?ふと後ろから気配を感じ、振り向くと、そこには申し訳無さそうに俯いたラミアがいました。
ご主人様の抱擁を堪能した私は食堂へ向かいます。
私の後を歩くご主人様はいつの間にか元の姿に戻っていましたが、俯いたままのラミアを見ると、優しく抱き締め、朝の挨拶をかわしました。
分け隔て無く大切にして下さるところはご主人様の良い所の一つといえるでしょう。
朝食を終えてラミアが食器を片付け始めたところでした。
「今日は私も迷宮へ赴き、冒険者を捕獲して廻りたいと思います。」
「魔物達にでも任せておこうよ。もし、リリに何かあったら…。」
私の事を大切に思って頂けるのは有り難いのですが、これだけは譲れません。
使い魔といえど、腕を磨いておかなければ、いざという時にご主人様を守れません。
「私を信じては頂けませんか?」
ズルいとは思いますが、上目遣いで聞いておきましょう。
「わ、わかった。でも危ない事はしないこと。予め役に立ちそうなアイテムももっていくこと。」
慌ててご主人様は、オーブを介してアイテムを購入するため、監視室に向かいます。
その間、私は自室にて装備を整える事にしました。
室内着を脱いだ私は、艶やかな表面をした美しい木目の衣装棚から、濃い青い色で統一した装備を取り出します。
まず、足先から腰までを覆う薄めの生地で出来た装備を身に付け、腰に密着した裾の膨らんでない短めのスカートを履きます。
上は、頭から被って身に付ける長袖の厚手の服で、首にはマフラーを巻きます。
薄めの生地で出来た手袋と底が特別柔らかい素材で出来た靴も身に付けます。
濃い青い色で全身包まれましたが、これはある魔物の皮で出来ていて、周囲と同じ色や柄に変わる特徴があります。
次は武器類ですね。
いつも安売りしている、やや大型の鉄製の短剣を二振り腰の後ろに装備します。
これは安い為、愛用しています。
鉄製の投げ短剣も幾つか上着に差しておきます。
防具の代わりになってくれるかもしれません。
煙玉も一つ持っていきましょう。
昔買ったのですが、勿体無くて使ってませんが…。
私の嫁入り道具の鉤縄は外せません。
ミスリル製のかぎ爪にミスリル繊維の縄が繋がってます。
あ、ご主人様が呼んでるので行きましょう。
「これだけあれば大丈夫かな?」
身代わりになってくれる人形、死んでもそれを無かった事にしてくれる御守り、使うと予め登録していた場所にワープ出来る石…残念ながらこれらは全て人間用ですね…。
後でご主人様のポケットにでも忍ばせておきましょう。
モニターに様々な商品が並ぶ中、一目見るなり私の心を掴んで離さない素晴らしい指輪がありました。
全身の温度を調節出来る指輪。
この高温多湿の迷宮内では大変有用なのではないでしょうか?
それより近い内、ご主人様と寝所を供にする際に役に立つはずです。
ねだってみると、直ぐに買って頂けた為、ご主人様も同じ事をお考えなのでしょう。
…嬉しさの余り思わずご主人様と私の子供まで想像してしまいましたが、それはきっと七番目の娘のリリア(仮称)が悪いのです。
「それでは、いって参ります。十四番目の子供の名前を考えておいて下さいね。」
「???」
解っているのに解らないフリをしているご主人様に見送られながら、私は迷宮内へ旅立っていくのでした。
巨木の枝から地面に目をやると、二人の男が青々とした苔の絨毯を踏みにじりながら歩いています。
前を歩く男はそれぞれの手に鉄で出来た、幅が狭い両刃の長剣と湾曲を描く丸い小盾を持ち、後ろの男は、鉄製の穂先を木で出来た長い柄に取り付けただけの簡素な槍を持っています。
二人の体を守る為に身に着けられた装備、鉄製の胴体のみを守る鎧、頭部とその側面を覆う兜、指先から肘の近くまで伸びた篭手、膝下までの長さのブーツ、輝きを失った表面には至る所に傷が付いていて、見るものに長年に渡って使用されてきた印象を与えます。
注意深く周囲を見渡し、確実に歩を進めるその動きからも数々の迷宮へ足を運んだ経験を持っている様子が窺えます。
二人が私の立つ枝の真下を通過し、前を歩く男が額から流れる汗を拭おうと右腕を上げたその瞬間、私は左手に持ったカギ爪を男の前方へ投げ、カギ爪が地面の苔を散らすと同時に左手を縄に添え、勢いよく両手で縄を引っ張ります。
両手に伝わる確かな感触を感じつつ、足元の太い枝を蹴って後ろに飛んだ私は、男の体もしくは鎧に深々と食い込んだカギ爪を介し、哀れな獲物に支えられながら地面へと降りていきます。
突然喚き出す目の前の仲間の異変に驚き、慌てて駆け寄る男は、上から近づいて来るその異変の元凶が左手を縄から離して、腰の後ろの短剣を抜く様子には、気付いていないようです。
男の真後ろにまで降りてきた私は短剣を頭上へ掲げ、目の前の新たな獲物の無防備な首筋めがけて、その短剣の柄を振り下ろします。
力無く地面に崩れ去る男が私の視界から消えて、代わりに鉤縄により体の自由を奪われ、もがく男が現れました。
男は自らの体に食い込み、上へと持ち上げようとする鉤爪に両手で抗っています。
私は再び左手の短剣を掲げると、体を支えていた縄を離して苔の上に降りました。
鉤爪が力を失った事を好転とみた男は、安堵の表情を浮かべつつ鉤爪を取り外しにかかります。
背後から私が短剣の柄を振り下ろすその時まで。
私は巨木に絡まる蔦を切り取ると、それを用いて足元に転がる二人の男を厳重に縛り、猫の鳴き声を模した声を出しました。
これは予め決めておいた合図で、冒険者を拘束した事を告げる意味があります。
冒険者を回収する役目を担う魔物からの猫の鳴き声が帰って来る事を確認した私は、再び密林を歩くのでした。




