第61話 嵐の前の静けさ
「皆、楽しんでおるようで何よりだ」
庭で雑談をしていた面々に耳に、威厳のあるよく通る声が響き、即座に声が下方向を見るとグラン王が立っていた。もちろん、その横にはシャリオ王子とティティもいる。
シャリオ王子は部下の不始末もあってこの場への出席を辞退しようとしていたらしいが、グラン王の計らいで出席することになった。
その3人を視界に収めると、その場にいた全員が姿勢を正して、直立不動になる。その様子にグラン王は苦笑しながら手で休めと指示をする。
「今宵はそのような堅苦しい礼儀作法は抜きにしてくれて構わん。各国の騎士たちが一同に集まる機会などそう多くはない。この場では君たちが主役なのだ。私たちは隅の方でのんびりさせてもらうよ」
一国の王である自分よりも、騎士たちを立てる、その度量が今の彼の地位を確たるものにしているのかもしれない。
グラン王は護衛の騎士数名を引き連れてコテージの中へと入っていき、残されたシャリオ王子とティティは騎士たちとの談笑に加わっていく。
シャリオ王子に対しては最初こそどこか警戒感のようなものをむき出しにした騎士もいたが、それも彼と会話をしていくうちに消え失せ、すぐに笑顔で会話をするようになっていった。
ティティに関して言えば、シータス騎士団の女性騎士と何やら話し込んでいる。見ている限りでは他愛のない話をしているようだ。
「むう、こんな様子ならもう少し皿を増やしておいても良かったですね……」
ティティたちがやってきたという知らせを受けて庭に戻ってみれば別段格式ばった事をやっている訳でもなかったのだ。1人ぐらいいなくても気づかれないくらいの人数がいるのだから、テラスでもう少しゆっくりしていても良かったかもしれない。
そんな事を考えながらコテージの中へ消えていくグラン王を目で追っていると、その視界にこちらに向かって歩いてきた影があった。
その人影に気が付いてエリカは手に持っていた皿を置き、立ち上がって姿勢を正す。先ほどグラン王が堅苦しいのは抜き、と言ったが、こうやってしっかりと立場の違いを意識することで必要以上に近寄られる事もなくなる。
当然のことではあるが、近づいてきた人影はそれを見て苦笑した。
「先ほどのグラン王のお言葉、聞いてなかったのかな?」
「聞いてましたけど、あたしがしようと思ったんです、シャリオ殿下?」
近寄ってきたのはシャリオ王子だった。どうも周りの人間からは「殿下」と名前の後ろにつけて呼ばれているようなのでエリカもそれに倣ってみる。
シャリオ王子は比較的ラフな格好をしている。一見すると上下黒の正装にも見えるのだが、どこかくだけたように思える。そのせいか、シャリオ王子を見る女性騎士たちの目が多い。
「で、どうしたんですか?」
「あなたに謝罪と礼をしたかったからだ。我が国の騎士が、あわや大惨事を起こすところだった。死者を出さずに済んだの、あなたのおかげだ。あの馬鹿な奴らに一泡吹かせてくれた事に感謝し、あなたを負傷させてしまったことに詫びたい」
シャリオは躊躇なく頭を下げた。下げてもその頭はエリカと同じくらいの高さにあるため、改めてシャリオ王子の長身を実感させられる。
「詫びなんて、あれはシャリオ殿下の責任じゃない事は誰が見ても明らかです。だから自分を責めたりはしないでください。そんな事をしてる暇があったらお国の体制を変える事ですね」
突っぱねるつもりはないが、どうもこのシャリオという人間は他人以上に自分を責める傾向にあるようだ。冷静さを装ってこそいるが、自分の不甲斐なさを他人以上に責めているのが分かる。
エリカがそう言うと、シャリオ王子は頭を上げながら再び苦笑した。だが、今度のは自嘲の意味も含まれていたのだろう、どこか淋しげだ。
「同じような事をグラン陛下にも言われたよ。どうもあなたにはそういう血が流れているような気がする」
「そんなわけないじゃないですか。あたしは一介の騎士ですよ」
そうは言いつつも、シャリオ王子の観察眼といおうか、直感といおうか、第六感というものの鋭さに舌を巻いた。どこぞの愚鈍な馬鹿トリオと違って人を見る目があるようだ。それはそれで対応が面倒になるのだが、あの馬鹿トリオよりはよっぽど話しやすい。
(こんな人ばかりだったらブラゴシュワイクの政治も腐らずに回るでしょうね……)
どこの世の中にだって誠実な人物、真面目な人物はいる。
だが、その数を圧倒的に逆の人間が上回っている、それがブラゴシュワイクの実情であり、問題点でもある。アールドールンやエオリアブルグとはその点で大きく違う。
とはいえ、政治は腐敗するもの、それを限りなく少なくするのが政治家の仕事である。少なくともシャリオ王子にはそれをやるだけの力も、意志もあるとエリカは考えている。
人は失敗から学ぶ生き物、などと言ったのは誰だっただろうか。
「それと、仲間を、リコとネアを庇ってくれた事に感謝をしたい」
「あの2人はどうなるんですか?」
ご主人様、と言ってたのだから、あの2人と馬鹿トリオは主従の関係にある事は明らかだ。
だが、その主人に命を奪われかけたのだ。従う側が反旗を翻したとしてもおかしくはない。
シャリオ王子は少し表情を曇らせるが、なるべく口調が暗くならないようにして言葉を紡いだ。
「あの2人はもともと貧しい家の出だった。それをあの3人の親が買い取ったのだろう。人身売買は禁止されているが、親が貧しさ故に自らの子供を金に換えるというのは悲しい限りだ。つまり、2人は商品であり、所有物なのだ。持ち主が手放さない限り、彼らに自由はない」
「そんな……、殺されてもおかしくなかったんですよ?」
人が人を所有する。
それがどれだけ馬鹿げた事を意味しているのか、エリカは分かっているつもりだ。
だから、それを黙認するシャリオ王子に批難の眼差しを向けた。
「契約があるからな、それも正式な。いかに王族と言えども個々人の間で交わされた契約に介入することは簡単な事ではない。まあ、確かあの2人の所有権は息子に委譲されていたはずだから、あいつらが事故死でもすれば話は別だが……」
記録に残らない会話ということを良い事に、シャリオ王子はペラペラと表に出たら問題になりそうな事を平気で口にする。日頃の彼らへの鬱憤は相当のものなのだろう。
「ああいう奴に限って長生きするのが世の常、皮肉なものだな」
鼻で笑ったのは、誰を笑ったのだろうか。自分か、それとも彼らか……。
「……と、すまんな。楽しむ場でこのような重い話をしてしまった」
「良いんですよ。あたしが聞いたことなんですし。それよりも、グラン陛下がご用みたいですよ?」
エリカがシャリオ王子の背後に視線を向けると、シャリオ王子が背後に振り返る。グラン王を護衛していた騎士が1人、2人の方に歩いてきていた。シャリオ王子の前にやって来るとグラン王が呼んでいる旨を伝える。
「そうか、ご苦労。すぐに行くと伝えてくれ。……ではエリカ、これで失礼させてもらう。明日の試練の成功を」
シャリオ王子はそういうと自分を呼びに来た騎士が向かっていったコテージへと去っていった。
「……政治って大変ねぇ」
「盗み聞きですか、バーバラさん?」
割と近くから聞こえてきた声に呆れたようにエリカが返すと、背後の椅子に座っていたバーバラがヒラヒラト手を振っていることに気が付いた。確か椅子は全て片付けられていたはずなのだが、どうやら自分用に1つ確保していたようだ。
「盗み聞きじゃないわよ。ここでワインを飲んでいたらあなたたちが勝手に話し出したんじゃない。少なくともあの王子様は私の存在に気が付いていたと思うけど」
「そりゃ、椅子の背もたれの先から頭が見えてれば気づきますよ」
椅子の前に回り込み、バーバラを真正面に見据える。
バーバラは椅子に足を組んで座っており、足元にはアレックスが定位置のように丸まっている。バーバラの手には血のように赤いワインが注がれたグラスが握られており、バーバラが揺らすたびにワインがグラスの中で回転している。
「で、話しかけてきたという事は何か用でもあったんでしょう?」
「あら、話が早くて助かるわ。出発前にもクライムから話があったと思うけど、どうもきな臭くなってきたわ」
言った瞬間、エリカの表情から感情が消え失せる。
バーバラもまた、先ほどまでのおちゃらけた雰囲気もどこへやら、真剣なまなざしになっている。
「……シャドーとやらが?」
「ご名答、動き出したようよ。まだ正確な足取りはつかめないけど、確実にエリカの周囲に近づいてるわ。念のために聞いておくけど、ここ数日誰かに視られているような事はなかったかしら?」
「少なくとも、エオリアブルグに来てからはないと思いますけど……」
「そう、なら良いけれど。用心のし過ぎはないわ、気を付けてね。何をしてくるか分かった相手じゃないんだから」
バーバラは立ち上がり、エリカの横に立った。そしてその手をエリカの肩に置く。
「アレックスを貸すわ。何かあったら私に知らせなさい。クライムの話じゃ、少なくともシャドーの構成員が10人前後、首都に入り込んでるわ」
その言葉にエリカは顔をしかめた。
何故、そこでクライムが出てくるのか、分からなかったからだ。あの人物が公文書室だけに飽き足らず国すら出るような人間には思えない。こう言ってはなんだが、日陰から出たがらないように思える。
「言ってなかったわね。今回の一件、つまりエリカの事を指すのだけれど、クライムは騎士団とは別ルートでエオリアブルグに来ているわ。相変わらず太陽の下に出てこないけれど、ちょくちょくアレックスを介して情報を回してくれているの。元暗殺機関の名は伊達じゃないわね、密入国なんて楽勝なんですって」
「クライムさんが元暗殺機関ですか。そうは見えませんでしたけど」
「あれでも、その界隈では随分と名が知れた暗殺者だったらしいわよ。暗殺されたように見せないのが彼のやり口。事故に見せかけてターゲットを闇に葬るのよ。今じゃ毒気も抜けて、隠遁みたいになっちゃったけど」
そう言うバーバラの表情は穏やかだ。
ふと、その顔を見ていてエリカはピーンと来た。そしてニンマリと笑みを浮かべるとバーバラの顔を見つめる。
「……な、なによ?」
「バーバラさん、恋してますね?」
「ぶっ!!!!??」
小声でそう言ってやると、バーバラが盛大に吹いた。先ほどまで月明かりで青白く浮かび上がっていたバーバラの顔がみるみる真っ赤になっていく。その光景があまりに面白くてエリカは笑いを堪える事が出来なかった。
「ななな、なにを言ってるのかしら?」
「誤魔化したって無駄です。人の事散々『分かりやすい』とか言っておいて、自分だってそうじゃないですか」
「わ、私は別にあいつに恋なんてしてないわよ!」
無駄に慌てるバーバラ。だが、それが結局は裏付けのようなものになってしまう。
普段クールなだけに、慌てた顔を見るのはまた面白い。
「落ち着いてください、バーバラさん。誰も邪魔なんてしないですから」
「だから!」
こうなっては完全にバーバラに分が悪い。エリカは珍しく、いや、もしかしたら初めてバーバラから一本取ったような気がして優越感に浸る。人をからかうのはあまり好きではないが、今まで散々やられているだけに多少なりとも仕返しがしたくなったのだろう。
「ま、頑張ってください」
「だから、何をよ! ……そういうエリカこそ、気になる人はいないのかしら?」
「……へ?」
投げた球をダイレクトに返されたような気がして一瞬反応に困った。
(気になる? それはつまりバーバラさんのように恋愛対象として男の人を見ると言う意味でしょうけど……、ふうむ)
バーバラのカウンターに思考を持っていかれて考え込んでしまうエリカ。今まで出会った人々を1人ひとり思い出していく。
ジーン、ジャック、ヴァルト、クライム、アーサー王、その他諸々。
男性を挙げてみろと言われた初めに出るのは、やはりジーンのようだ。
(かといって、ジーンさんを? ……皆同じくらい大切な仲間ですしねぇ)
「という訳で、黙秘します」
「『という訳で』を説明したら黙秘を認めてあげるわ」
「それは黙秘していることになりません!」
(い、いけない、立場が逆転しかかっている!)
バーバラが立場を入れ替えて自らへの追及を阻止しようとしている意図を見抜いたエリカは早急に対応策を講じる必要が出てきた。このままではエリカが追及の対象になってしまう。
「くっ、フィアさん、シルヴィアさん!」
巻き込むのは嫌だったが、こうなっては致し方ない。
エリカは近くにいたフィアとシルヴィアを呼び寄せる。
「どうしたの、エリカちゃん」
「あらバーバラも」
2人してやや顔が赤いように見える。程よくアルコールが回っているようで、エリカは内心ニヤリとしながらフィアとシルヴィアにバーバラの事を伝える。
「バーバラさんに好きな人がいるようです」
「ちょ!!」
もう遅い。
アルコールが入っているフィアとシルヴィアはそれを聞いた瞬間こそ目を丸くしたが、即座にバーバラに視線を向ける。
「バーバラさん、ぜひともそのお話詳しくお話してもらいたいです」
「そうねぇ、堅物のバーバラが一体誰に、もしかしてヴァルト団長?」
「違うにきまってるでしょう!」
「違う、ってことは他にいるのね。言質は取ったわ。もはや言い逃れは出来ないわよ」
アルコールが回っているにしてはやる事が搦め手だ。シルヴィアの誘導尋問のような会話にまんまと引っかかったバーバラは恨めしげにエリカを睨み付けてくる。
「いつもの仕返しってやつです」
「いくらなんでも、これは酷いわよ。このままじゃここにいる全員に知れ渡っちゃうじゃ―――――」
「セラさ~ん」
「ちょ、フィア、何をしようとしているの!?」
宴はその後バーバラの恋愛話で大いに盛り上がる事になった。
意外なところでは、シャリオ王子が途中から話題に加わってきた事だろう。さすがに男性に言う気にはなれなかったバーバラはついにオーバーヒートしたかのようにどこかに逃げ出してしまった。
「いや~、楽しかった」
「随分とご機嫌ね、お姉ちゃん♪」
バーバラがエスケープしたのを見送ったエリカは、昼間いた湖畔の木の陰に腰を下ろしてアレックスを抱えていた。バーバラはアレックスすら置いて逃げてしまったので、エリカが勝手にモフモフ権を行使、強制連行するに至った。
そんな所にティティが現れ、2人きりである事を確認してからエリカの隣に腰を下ろした。
「こんな所にいてもいいんですか?」
「良いのよ。どうせ暇ですもん。皆畏まっちゃって話しづらいったらありゃしない」
「ふふ、お姫様も大変ですね」
「あら、それはお互い様でしょう?」
アレックスの耳がピクッと動いたのが分かった。
「……どういう意味ですか?」
「しらばっくれなくても結構ですよ。これは私の勝手な想像ですから」
エリカは黙ってティティの顔を見つめる。だが微笑みを張り付けたティティの心を読むことは出来ない。
「お姉ちゃんって、ドラゴンのお姫様でしょう? 立ち振る舞いやかもし出す空気で分かりますよ」
「そう、ですか……」
内心ホッとしつつも、複雑な気持ちは拭いきれない。ティティには間接的ではあるがエリカ自身が龍であることは教えている。だが、そこまで割り出されるとは思ってもいなかった。
エリカの口から「あたしはドラゴンだ」と言ったわけではないし、王の娘である事なんてちらりとも言っていないはず、やはりこれはティティ自身が持って生まれた感性の高さに由来しているのだろうか。
とはいえ、ティティは星巫女という役目を持っている。
未来を知り、今を知る。
それが彼女の役目、エリカの事を調べていたとしても不思議ではない。
「星が言っているんです。帰るべき所へ帰る時が近づいていると」
そう言ったティティの表情は曇っている。月明かりと若干の明かりだけのためエリカにはその全てを読み取る事は出来ない。
「……それは、あたしの事ですか?」
「分からない。でも、黒い影が森に消える時、争いは止む、と」
ピンポイントでエリカの事を指し示している。
「確か、ティティ様はあたしを『慈悲』と仰いましたよね。ならば『災厄』が迫っている、という事ですか?」
「『災厄』とは何を基準にそう言うか分かりません。後々考えてみれば、そう考える事も出来るほどの事かもしれませんし、それこそ国家レベルの危機かもしれません。ただ、その『災厄』の種が一カ所に集まろうとしていることは確かです」
『災厄』の種……。
もはや、それはシャドーの事を意味していると考えて間違いないだろう。そしてその中心にはエリカがいるという事も。
黒い影が森に消える、つまりはエリカは元の姿を取り戻して自らの故郷へ帰る事を意味しているのだろうが、その過程が分からない。そもそも元に戻る方法は今のところ見つかっていない。
シャドーがエリカを追う理由すら、まだはっきりとはしていないのだから、ただ単純に元の姿に戻りました、めでたしめでたし、になるとは到底思えない。
「……帰っちゃうんですか?」
「それは……」
純粋にエリカを心配してくれるティティの目。
それを直視できず、エリカははっきりとした返事を返すことが出来なかった。
どうもどうも、ハモニカです。
まさかのバーバラww
さて、どうなることやら……。
ではでは、また次回。
ご感想などお待ちしております。