第3話 王都へ向けて
「なるほど、ここは『竜の森』と呼ばれているんですか……」
エリカは感心したように目を丸くすると、フィアから分けてもらった羊皮紙にたった今聞かされた情報を書き綴っていく。もちろん、龍の言葉で書くことは絶対にせず、竜人族から学んだヒトの文字を使う。だが、どことなく龍の言葉に似通ってしまうのは致し方のないことだ。何しろエリカ自身がそうなのだから。
「そういうことだ。『龍樹林』は俺たちの2つか3つ上の世代で何とか通じるだろうな」
「まさかそこまでとは……」
自分で言っておいてなんだが、エリカは自らの使った言葉がほぼ死語になっていることに驚いていた。
ヒトの2世代ほどは、正直龍の寿命の中ではあまり長くはないのだが、やはりヒトの言葉はどんどん変わっていくようだ。
龍の言葉がほとんど変わらずに残っているのとは、正反対だ。
「しっかし、そんな単語は知っているのに、方角がさっぱりだとはな」
「うう、言わないでください……」
ジーンは呆れるようなため息をつく。それを聞いてエリカは恥ずかしくなって顔が熱くなるのに気が付いた。
エリカは、『友』である竜人族の小さな村落を目指すために、森を南下しているつもりだった。
ところが、実際は真東に真っ直ぐ行っていたらしい。森の東端で大きく張り出して2つの国の間にスッポリはまる様になっている森を正確に通って、2つの国を結ぶ唯一の道の近くまで来ていたのだ。
エリカは、ジーンたちと共にその道を通って南下、彼らの故郷であるアールドールン王国の首都を目指している。
「そ、それで、ジーンさんたちはどうして他国へ行っていたのですか?」
気を取り直し、話題を変えようととっさに思いついた質問を隣を歩くジーンに投げかける。ジーンは一瞬返事に困ったような表情をしたが、すぐに苦笑のような笑みを浮かべて口を開いた。
「俺たちは、見ての通り騎士だ。この街道を北に行ったエオリアブルグ王国の騎士たちと……、まあ視察をしに行っていたんだ。近々大きな大会があるからな」
「大会、ですか」
ジーンはふと思い出したように振り返ると、馬車の中で仮眠を取っているフィアに声をかけた。
「フィア、あの紙今出せるか?」
「ふあ? ああ、大会の? ちょっと待って……」
寝ぼけたような声が馬車の中から聞こえてくる。
そして馬車の中でフィアが何かを呟くような声が聞こえると、馬車の荷台の隙間からするりと小さな紙が空中に舞いあがり、弱い風に乗ってジーンの手元に丁度飛んできた。
ジーンがその紙を掴むと、内容を1度確認してからエリカに手渡した。エリカはそれを上から下までゆっくりと読んでいく。
「騎士大会?」
「ああ、年に数回、アールドールンを含む3つの国が選りすぐりの騎士を一様に集めてどこが1番優秀か競い合うんだ。俺たちはその視察で今回の会場となるエオリアブルグ王国首都に行っていたんだ。で、その帰りにエリカを拾ったんだ」
「なるほど」と頷きながら紙に書かれた文字を読み進めていくエリカは、1番最後の項で目の動きを止めた。
「この、最優秀騎士団の試練ってなんなんですか?」
ジーンに紙を渡すと、ジーンがその要項を見てため息をついた。
「これは大会で勝った騎士団が物凄く強い人間か猛獣かと戦うものらしい。相手はその時になるまで分からない、ぶっつけ本番の戦いだ。前回は確か……、人食い獣の群れだったか? エオリアブルグの騎士が2人ほど喰われたらしいぞ」
「……勝って喰われるなんて……」
理解できない、という表情をすると、ジーンが「そりゃま、そうだろうな~」と実に軽く反応した。
エリカはそんなジーンを不思議そうに見つめるのであった。
どうしてそんな無意味な事に命を張れるのか? エリカは喉までこみ上げていた質問を飲みこもうとする。ヒトという者をよく知らないエリカにとって、同族と命を賭けてまで競い合う意味が理解できない。
(そりゃあ、あたしたちもじゃれ合ったりはするけど、殺しあうなんて……)
よっぽど気に食わないか、龍同士の戦争でも起きない限りはありえない話だ。
現在、龍はエリカの父親が統べている為、龍同士の争いなど皆無だ。だから、外から持ち込まれない限りは平和な世界で生きてきたエリカは不思議だった。
「ま、負けなければいい話なんだがな。人間同士の戦いなら死人とまではいかないから、程よく負けるっていうのも生き延びるための手段かもな」
「ジーン、それをお偉い方の前で言うんじゃねえぞ?」
馬車の前、御者が座るべき場所で手綱を握っていたジャックが感心しない、という表情で言ってきた。
確かに、国同士が競い合う大会で手を抜くなど、とんでもないことだ。それくらいはエリカでも分かった。
だが、生き残らなければ守りたい者すら守れない。国の体面と、個人の意思が引き起こすジレンマと言っても良いだろう。
「あ、そういえば、あたしってどういう扱いになるんですか? さすがに見ず知らずのあたしにこれ以上良くしてるとジーンさんたちのご迷惑になるんじゃ……」
手当てをしてもらった上に、自分たちの場所に引き取ると言っているのだ。さすがにエリカとしても良心が痛む。なし崩しにジーンたちについて来てしまっているが、エリカの存在が彼らの迷惑になるのなら、エリカはすぐにでも彼らの前から消えようと思っていた。
エリカの目的は元の姿に戻ることだ。
ヒトの世界で情報を集めて回ろうと思っていたため、1カ所留まるつもりは最初からなかったからエリカはそれほど困らない。
エリカがジーンたちの事を考えておずおずと聞くと、ジーンはニカッと笑ってみせた。
「迷惑なわけないさ。こっちは善意でやってるんだ。エリカが気に病む必要はないんだ」
「それにこっちにも若干の下心はあるしな……ほげっ!?」
「へ……?」
ジーンの言葉を紡ぐようにジャックがニヤニヤしながら声を上げるが、馬車の荷台から出てきた細い腕が思い切りジャックの脳天に振り下ろされてジャックが情けない声を上げる。
ジーンも苦笑いするしかなかったのだが、気まずそうに頭を掻くとエリカに顔を向けた。
「えと、どういう意味、ですか……?」
エリカが不安そうに、小さな声で呟くと、ジーンは慌てたように両手を体の前でブンブンと振り、必死に何かを否定しようとする。
「い、いや、別に大したことじゃないんだ! ジャックが、もし君がゲオラ種の『あれ』をやった張本人なら、俺たちの騎士団にスカウトしようとか言いだしたもんで……。決していやらしい意味じゃないんだ!」
「イヤラシイ?」
顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうに否定し続けるジーンと裏腹に、エリカは聞き慣れない言葉を聞いて首を傾げていた。
だが、ジーンのあまりの狼狽ぶりから突っ込んで聞くべきじゃないと思考をそこから逸らす。
「スカウト、ですか……」
「俺としても、強い仲間が増えることに越したことはないが、強制するつもりはない。それに君はあの夜の事を覚えていないだろう? 俺たちは騎士団の宿舎で暮らしているからもし良かったら、という感じだ。あの森で1人だったんだからある程度の技量はあるだろう?」
「まあ、多分……」
技量とは、戦い方を学んだ者が使う言葉だ。
エリカは、生きるために自然と身に付いた戦い方をする。今の身体ではかなり考えながら戦う必要があるが、根底にある基本的なスタイルは一切変わっていない。変える必要がなかったのも、自らの身体に鱗を纏う事が出来るからだ。
しかし、ジーンたちの目の前で鱗を発現させるわけにはいかない。
それこそ、最悪ヒトに追われる身になってしまう。彼らが龍をどう思っているかは分からないが、少なくともエリカの知るヒトは龍と仲が良いとは決して言えない。エリカ自身、何度も襲ってきたヒトを喰らった記憶がある。
今後ヒトの世界で元の姿に戻る方法を探すためには、ヒトの戦い方を学ぶ必要がある。鱗を発現させるのではなく、武器を使って戦う方法を知らなければならない。
ともなれば、ジーンたちの申し出は願ってもない物なのかもしれない。さすがに即答するわけにはいかないので、首都に着くまで返事は待ってほしいと言い、その話は切り上げることにした。
しばらく道なりに進んでいくと、森の出口のような場所に突き当たった。
すでに日はだいぶ傾き、空は紅に染まりつつあった。
森の切れた先には、巨大な門が行く手を遮り、槍を持った兵士がその門の前でこちらを見ている。
髭を生やした兵士が槍を手に馬車の前に出ると、片手で馬車を制する。ジャックは丁寧に速度を落とすと兵士の前でピッタリ止まる。ジャックは何を考えたのか兵士ギリギリに止めようとしたようで、馬の鼻息がかかるほどに兵士の顔に近寄っていた。
兵士は馬の顔を避けるとジャックの横に回り込んだ。
「貴官の所属と、目的を言え」
あくまで事務的に仕事をしようとしているが、高圧的な雰囲気がその顔から滲み出している。
ジャックは大人しく通行証を取り出すと、それを兵士に手渡した。
「アクイラ騎士団の者だ。大会会場査察から戻ってきた」
ジャックがそう言うと、兵士は目を見開いて通行証にかじりつく様に目を通す。そして姿勢を正すとジャックに敬礼して道を開けた。
「し、失礼しました! 任務ご苦労様です! おい、門を開けろ!!」
「す、すごいですね……。ジーンさんたち、物凄く偉いんですか?」
馬車の中でジャックと兵士のやり取りを聞いていたエリカは、兵士の態度の変容ぶりに驚いていた。
ジーンたちの騎士団の名前は初めて聞いたが、どうやら国内ではかなり有名な様だ。今の兵士の狼狽ぶりからして、相当力があると見て間違いないだろう。
ジーンとフィアは外に聞き耳を立てるエリカに苦笑する。
「まあ、有名ではあるが、俺たちじゃなくて、俺たちの騎士団が有名なんだ。同じ種類の騎士団は王国に俺たちだけだからな。だからこそ大会なんてのが出来るわけなんだが」
「お~い、後ろの方々、確認のために出てきてくれだとさ」
ジャックが荷台の隙間から覗き込んできたので、ジーンがまず馬車から飛び降りるとフィアがエリカの背中を押してエリカが次に降りる。そしてフィアが優雅に降りると、大きく伸びをして天を仰ぐ。
「ん~、座りっぱなしだと疲れるわね」
「ええと、おや、1人多いようですが……」
先ほどの兵士が手元の通行証と人数を確認して首を傾げる。
それにジーンが素早く反応してエリカの前に立った。
「森の中で彼女を保護してな。身元が分からないんで1度首都まで連れて行こうと思っているんだ。さすがにほったらかしにするわけにはいかんだろう?」
ジーンがそう言うと、兵士は納得したようでジーンに「ご苦労様です」と言って敬礼すると通行を許可した。ジーンは兵士に礼を言って馬車に乗り込み、フィアとエリカを荷台に引っ張り上げる。
「首都まではそうかからない。明日の朝には着く。着いたら忙しいから今のうちに仮眠を取っておくといいぞ」
「分かりました」
荷台の隅から毛布を取り出すと、ジーンはエリカにそれを手渡した。
エリカは素直にそれを受け取って自らに羽織らせると馬車の荷台に横になり、ゆっくりと瞼を閉じて仮眠を取ることにした。
そこは、どこか暗闇に支配された場所。
巨大な魔法陣のようなものが床に描かれ、その中心に少女が座っている。
周囲には黒いマントを纏った何十人という影が少女を中心に円を作り、片時も彼女から目を離さないように見守っている。
建物は屋根がない。
天井の代わりにどこまでも続く深淵の闇、無数の星が煌めく夜空が彼女たちの真上に横たわっている。
「っ! ヴァルト様、いらっしゃいますか?」
少女は瞑想していたかのように閉じていた目を突如開くと、周囲にいたマントの集団に呼びかける。するとマントの影が1つ魔法陣の中に歩み寄ると、少女の前に跪いてマントを取った。
マントの主は、髭をたっぷりと蓄えた老人ともいえる男だった。暗闇の中でその顔は炎に照らされて赤く浮かび上がっている。
「御傍に」
小さく顔を下げると、男は少女の言葉に耳を傾ける。
それが彼の仕事であり、彼女の仕事である。
「北の森より巨大な黒い影がやってまいります。慈悲と災厄が1つになって。父にお伝えください、対応を間違えれば、我が国は滅び、間違えなければ、繁栄すると」
「御意」
男は頷くと、マントをかぶってその場から立ち去っていく。
途中自分と同じような姿のマントの影に近寄ると、小声で少女を休ませるよう伝え、建物の外へ出る。男はそこでようやくマントを脱ぎ、それを建物の脇にある部屋に投げ込むと馬小屋へ向かう。
「よしよし、待たせてすまなかったな。急いで知らせる事が出来た。久々に全速で走ってくれよ」
馬小屋の中には灰色の馬が1頭だけ繋がれていた。
その馬の背を優しく撫でると、男は繋がれていた綱を解くと馬小屋の外に連れ出して、馬の背に跨った。
「慈悲と災厄が1つになって、か。いったいどういうことだ……」
男は小さく呟くと、眉間に深い皺を寄せながら顎を撫でた。
「一刻も速く王に知らせなければ。明日にはエオリアブルグへ行っていたジーンたちも帰ってくる。彼らが無事ならばいいが……」
手綱を振ると、馬は勢いよく走りだし、夜の闇の中へと消えていった。
どうも、ハモニカであります。
いかがでしょうか、作者には出来の良し悪しがよく分からないので非常に不安なのですが、感想など頂けるとありがたいです。