第14話 Long time ago Ⅲ
過去編、終っ了ぅ~
速いものだ。
カトレヤが竜人族で暮らす様になってもうすぐ3桁の年月が経つ。
すでに世代は交代し、カトレヤが来た時幼子だった者たちの息子、娘が集落の主要な地位についている。カトレヤを救い出した老人は、カトレヤが来てから5年ほどして天に召された。95歳、大往生した。
カトレヤは、竜人族にとって自らの後見人のような地位にあった。吸血鬼という存在に対して彼らは一切の恐怖を抱いてはいない。
書物に書かれるような吸血衝動もそれほど起こってはいない。時折、食べるために殺した家畜の血を貰って飲んでいる程度で、とてもじゃないが人を襲おうなどとは考える必要はなかった。
竜人族にとって、カトレヤは先代の教えをこと細やかに教えてくれる大切な家族なのだ。100年も経てば廃れてしまうかもしれない技術も、伝統も、全てカトレヤが後世に伝えているのだ。カトレヤもまた、それが自分に出来る唯一の事だとして、積極的に竜人族の文化を学んでいた。
<100年、もうそんなになるんだ……>
カトレヤは、竜人族で親しくしていた人々の葬儀に全て参列した。自分よりも年下だった子供が、大人になり、老人になり、死んでいくのを数えきれないほど見てきた。
その中で、唯一共に在れたのは隣で翼を器用に首を回して舐めているエリカだけであった。彼女はドラゴン、長命な彼女はカトレヤが唯一知識を、話題を、存在を共有することが出来る親友であった。
そのエリカも、100年も経てばその身体はさらに精悍となっている。より力強く、威厳に溢れた存在になっている。だが、中身はほとんど変わっていない。100年経とうともカトレヤに対する接し方が変わるわけでもない。
<パフィオベディルム殿、あなたはこの地で生き続けるの?>
この呼び方も変わらない。
ドラゴンの間では、親しい仲間内でも「殿」を付けるのが慣わしらしい。名前を呼ばれるたびに自分の国の事が脳裏を掠めていくのだが、もうあの国にも思う事はない。100年も経てばそんな昔の事は忘れてしまうし、なにより憂いはエリカが粉微塵にしてしまった。
あの日、エリカがカトレヤに会わなかった日の翌日、エリカはカトレヤに本当の事を伝えた。
誇る気も、謝る気もなかったエリカは、ありのままの事実をカトレヤに伝えるとじっとカトレヤの反応を待っていた。それが怒りであろうと、感謝であろうと、その全てを受け止めるつもりだったのだ。
けれど、カトレヤはただ、涙を流すだけだった。
それが悲しい涙だったのか、嬉し涙だったのかは、カトレヤ自身にも100年経った今でも分からない。ただ、その場に立ち尽くして泣いただけだった。
エリカは泣いていたカトレヤを翼で包むと、優しく抱いてくれた。龍の力強い翼は優しい温もりを持っていて、カトレヤは不覚にも泣きつかれてその状態で眠ってしまった。エリカが集落まで運んでくれたそうなのだが、それを聞いてカトレヤが赤面してしまったのは言うまでもない。
「どこか、旅に出ようと思っているわ。当てのない、旅へ」
<……そう、寂しくなるわね>
エリカは残念そうな声を出した。100年も共に生きたヒトはカトレヤが初めてだし、きっと最後になるだろうとも考えていた。親友と離ればなれになるのは辛いことだ。
<そうだ、覚えてる? 会って少しした時の約束>
「約束?」
さすがに記憶が霞んで思い出せない。
<竜は相手と100年はしないと信用しない、もう良いんじゃない?>
「ああ……、ってじゃあこの100年私は信用されてなかったの?」
<そんなわけないじゃない、形式的な話よ。父上もうるさいし。そんなわけで、あたしからあなたにとっておきの贈り物あげることにします!>
「お、贈り物?」
おそらく、エリカがヒトだったら片手を突き上げて胸を張っていただろう。そんな光景が想像できてしまうくらい、エリカは分かりやすかった。
エリカはカトレヤの言葉に頷くと、首をしならせてカトレヤに背中を見せた。
<乗って。ちょっと遠いから>
「ちょ、どこに乗れって言うのよ……」
<ああもう、まだるっこしい!>
翼をカトレヤの下に滑り込ませ、バランスを崩して倒れたカトレヤはエリカの翼の上に横たわった。エリカは翼を縦にしてカトレヤを自らの背中に転がり込ませると、姿勢を正して翼を羽ばたかせ始めた。
<揺れるから、掴まってなさいね!>
「だからどこに掴まれって言うのよぉ!」
だが、その声は風が流れる音でエリカの耳には届かなかったようだ。
次の瞬間にはエリカは祭壇を離れて空高くに舞い上がっていた。カトレヤは必死になった鱗に足をかけ、手近な出っ張りに必死にしがみ付く。前から流れる風に目を細めながら、カトレヤはエリカがどこへ向かっているのか見ていた。
眼下に、竜人族の集落が少しだけ見えた。向こうはこちらに気が付いたのか、こちらに手を振っているが、あいにくカトレヤは手を振れるほど余裕がない。
<高度上げるわよ>
「え、ちょ、ええっ!?」
急に真っ直ぐ上に飛び始めたエリカは楽しそうに喉を鳴らしている。逆にカトレヤは振り落されないように必死にしがみ付いているのだが、一瞬足が浮いた気がして生きた心地がしなかった。
そのままエリカは雲に突っ込み、カトレヤの視界は真っ白になってしまう。だが、雲はすぐに通り過ぎて目の前に青い空が広がる。そしてエリカが水平になって雲の上を飛ぶと、そこにはどこまでも続く白い雲と、青い空が作り出す絶妙な光景が広がっていた。
「雲の平原……」
<ふふ、来たわね……>
その光景に唖然としている、エリカが横を見て言った。それに気づいて横を見ると、少し離れたところを黒い点が幾つか浮かんでいる。
それはエリカたちと並行するように飛んでおり、徐々にその距離を近づけてきた。そしてそれがドラゴンだと気が付くと、カトレヤはその荘厳さに言葉も出なくなってしまった。
灰色の龍、茶色の龍、淡い肌色の龍と、それぞれ異なる色の龍が、エリカの右に一列に並び、見事な編隊を組んで空の平原の上を飛ぶ。
「す、すごい……わっぷ」
<口を開けると風で閉まらなくなるよ?>
3頭の龍はエリカの少し後ろを飛び、1番エリカ寄りだった灰色の龍とカトレヤは一瞬目が合った。
「あ、あれ? あのドラゴン、確かエリカが言っていた……」
<ええ、100年前にあなたの国をあたしと共に滅ぼした将軍よ。頼んだのはあたしの父上らしいけど>
「……将軍て……、お姫様ね~。私的に軍を動かすなんて」
皮肉めいた笑みを浮かべ、エリカの首を撫でる。
もちろん、龍の社会に軍隊が存在するかは定かではないが、将軍と呼ばれるからにはその手の筋のトップなのだろうとカトレヤは見当をつけた。
<……落とすよ?>
「冗談、冗談だって!」
本気で身体を揺さぶってカトレヤを振り落そうとしたので、必死になって謝罪するカトレヤ。その様子を3頭の龍は内心笑いながら見ていた。
しばらくすると、エリカは高度を落とし始めた。すでに雲の平原は終わり、森が眼下一面に広がっている。その森の中に、1カ所だけ木の生えていない丘が姿を現し、エリカはそこを目指して降りていく。
フワリと、背中のカトレヤが衝撃を感じないほどに滑らかに着陸すると、エリカは身体を傾けてカトレヤが降りやすいようにする。カトレヤが背中から飛び降りると、背後に3頭の龍が降りてくるところだった。
「ここは……」
<こっちよ>
エリカは丘の反対側に顔を向けると、カトレヤは丘を登って反対側が見える場所まで行き、息を呑んだ。
丘の反対側は森が大きくへこんだような場所になっていた。四方を崖に囲まれ、断崖絶壁が他者の侵入を拒んでいる。その窪地にも木々が生い茂り、そして何より、無数のドラゴンが暮らしていたのだ。
<あたしたちの楽園よ。龍以外にこの場所を教えるのは、あなたが初めて>
「き、綺麗……」
真ん中を川が流れている。崖の滝から窪地の中央を流れており、川辺には数多くのドラゴンが翼を休めている。
「でも、どうしてここを私に?」
不思議だった。いくらカトレヤが100年を経てエリカと信頼関係を築いていたとしても、そう易々と見せて良いものではないはずだ。森の奥深くとはいえ、場所が知れればヒトが来ないとも限らない。
<旅に出るというあなたに、あたしたちの家を教えておこうと思って。もし、この世界のどこかで、ドラゴンに出会う事があるのなら、もしあなたがあたしたちに会いたくなったら、その時はこの地の名前をドラゴンに言いなさい。この地の名は……>
エリカは一呼吸置いて口を開いた。
<龍の国>
エリカがカトレヤを龍の国に連れて行った翌日。
朝早い時間帯にカトレヤは旅支度をして祭壇に来ていた。すでに竜人族の皆には別れはすませてある。森の奥深くであるここでは、朝早く出ないとその日のうちに森を出ることが出来ない。この危険な森で一夜を過ごすのはそれこそ自殺行為だと忠告されたのだ。
<行くのね?>
「ええ、長い事、ありがとうね」
カトレヤは祭壇には上らない。上れば、何か、未練に後ろ髪を引かれそうだったからだ。エリカもそれが分かっているのか、祭壇から降りようとはしていない。
<もう、会うこともなくなるわね……>
昨日はああ言ったが、やはりこの世界、森の外でドラゴンに会える機会など滅多にあるものではない。森を出れば、いかに不老の吸血鬼と言えどドラゴンと会うことはないだろう。
事実上の離別ということになる。
「また、いつか戻って来るわよ。あなたたちの所に。だから、今はお別れは言わないわ」
そう信じたい。信じていたい。
<ふふ、じゃああなたにお守りを……>
「お守り……?」
エリカはおもむろに顔を翼の付け根に持っていくと、自らの鱗を引きちぎった。一瞬何をやっているのか、とカトレヤが驚愕の表情を浮かべる。
エリカは引きちぎった鱗を放ると、鱗がカトレヤの目の前に落着した。カトレヤの腕よりもやや長いが、幅が無く、薄い木の板のような状態の黒い鱗をカトレヤは拾うと、それとエリカを見比べる。
<自分で言うのもなんだけど、あたしの鱗は固いのよ? あなたが生きる上で、役に立ててくれるとありがたいな>
「エリカ……、うん、大切に使わせてもらうわ」
カトレヤは黒鱗をしっかりと握ると、エリカに向き合った。
「じゃあ、行ってくるわ」
<ならあたしは、『行ってらっしゃい』と>
カトレヤは笑みを浮かべると、祭壇に背を向けて森へと歩き出した。
もう帰る場所など無い。
ならば、どこへでも行ってやろう。
カトレヤ・パフィオベディルムという名すらも捨て、本当の意味で自由になってやろう。
カトレヤは決意を胸に第2の人生を歩み出していったのだった。
<龍の加護があらんことを……>
エリカの声がカトレヤの背中を見送った。
<そんなことがあったのか……>
「あの時は、私も若かったし」
バーバラは、独り言のような回想をアレックスに話していた。夜も更け、いつの間にかエリカの歌声も消えてしまっていたが、バーバラは珍しく夜だと言うのに寝付けなかった。
基本的に夜型のバーバラであるが、今日は、いやもう0時を過ぎたから昨日か、エリカの入団試験を見に行ったために睡眠が足りなかった。だから、エリカに挨拶に行ったら寝ようと思っていた。
だが、あの歌声を聴き、アレックスに昔の思い出話をしているうちに眠気もどこかに失せてしまったようで、他に何か話す事はないだろうかと思考を巡らせる。
「それで、私は今から200年くらい前に旅を始めたの。それからは出来る限り50年は同じ場所に戻ってこないように世界を渡り歩いて、20年くらい前にアールドールン王国にたどり着いたのよ。そして、あなたや、ヴァルトたちに出会った……」
<ただの軍狼だった私は、ご主人のおかげで世界を知ることが出来た。感謝してもしきれん>
アールドールン王国には軍狼と呼ばれる、軍事的に使用される狼が存在する。野生の狼を捕えて躾けたり、その狼が生んだ子供を教育したりと、この国では当然のように行われていた行為だ。
バーバラと名を変えた頃、アレックスに出会ったのは偶然の出来事だった。
城へと狼を乗せた馬車が進んでいた時、馬車の車輪が壊れて横転したのだ。アレックスもその馬車に載せられていた。バーバラはアレックスを見た瞬間、御者に話を付けてアレックスを引き取った。
アレックスがいくらその理由を聞こうとも、バーバラは「気分よ~」と曖昧な答えしか返さなかった。
「あなたを引き取ったのは、……言いづらいけれどエリカと同じ理由だったのよ、最初は」
<……冗談だろう?>
狼が頬を引きつらせると言うのは面白い光景だ、とバーバラは心の中で思う。言ったらへそを曲げられるのが目に見えているので口には出さない。
「本当よ? あなたの毛並み、最高だもの。それに私が吸血鬼だと知って近づいてくる生き物は、エリカかあなたぐらいしかいなかったもの」
<……確かにな>
今は違う。
アクイラ騎士団という『帰る家』を手に入れたバーバラは正直、神に感謝した。捨てられるばかりだった自分を、正体を知っても親しくしてくれる人間がいると知った時は、久々に涙が零れそうになったのを今でも覚えている。
アレックスは、最初こそ自らを引き取ったバーバラが吸血鬼だと知って驚いたが、共に旅をして、彼女の内面を知るに至ってバーバラに対しての考えを改めていった。
全ての不幸を味わったものは、他者に幸福を振り撒こうとする、とは誰の言葉であったか。バーバラは確かに全ての苦しみを味わっただろう。死ぬ苦しみ、捨てられる苦しみ、裏切られる苦しみ、挙げ始めたらきりがないほどの苦しみを味わった。だからこそ今のバーバラがあるのだ。
「さあて、今日はもう寝ましょう? 明日はエリカの入団式を見に行かなくちゃ」
<私を目覚まし代わりに使うなよ?>
「ありがたく使わせてもらいます」
<まったく……>
こんな主人ではあるが、アレックスは出会えたことを感謝している。
だからこそ、どこまでもついて行こうと決めたのだ。
はい、カトレヤ(バーバラ)及びエリカ(ドラゴンver.)の話は一応ここで終わります。そのうちまた回想で時代を遡る可能性はありますが、覚えていたら、です。
100年経つの早っ! という苦情は受け付けませんよぅ?
だって書くことないんで……、いや、本当に。
ううむ、ネーミングに困りますね、固有名詞は。
龍の国とか、もう少しまともな名前に出来なかったのか、と未だにうだうだしているハモニカです。
それはそうと、次回から通常の現代に戻ります。
そしていよいよエリカが騎士団に入団! みたいに話を展開できれば上々ということで。
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