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第12話 Long time ago Ⅰ


顎は時に長い





違うから!




「はあっ、はあっ」


息を上げながらも、女性は森の中を全力で走る。


追手が来ているかなど確認する余裕もない。ただただ前へ、少しでも遠くへ逃げようと走り続ける。


「こ、ここまで来れば……」


森に入って3日が経つ。

すでに逃げ出す前に詰め込んだ食料は底をつき、最後の水も数時間前に飲み干してしまった。その水でさえ、すでにこの森の高い湿度で半分腐りかけた水だ。それでも飲まないよりはマシだったのが唯一の慰めだろうか。


女性は手近な倒木に寄りかかると、体中に巻かれた包帯を見つめる。


腕、足、腹、首、身体のほとんどの部位に真っ赤に染まった包帯が巻かれている。元は白かったのだが、激しく動いたせいで傷が開いてしまったようで、血が止め処なくあふれ出ようとしている。


「もう、ダメかしら……」


傷を受けたのは2日前だ。食料を詰め込んだ際に一緒に入れた薬など最初の1週間程度で使い切り、残っていたのは包帯だけだった。まともな処置もせず、ただ血を止めるだけに包帯を巻いていただけ、限界はすぐにきてしまったようだ。


血が包帯の許容量を超え、わずかに覗く肌を伝って地面に滴り落ちる。


女性は力なく腕を下す。

すでに立ち上がるだけの体力も残されていない。ただただ息をするのみ。血を止めようとする気力も出ない。


「こんなことなら、もっと人生楽しみたかったなぁ」


今さら、失った時は戻らない。


自分はもうヒトではなく、ヒトの仇敵となってしまった。家族は女性が逃げ出すのを手助けして追手に捕まった。どうなったかは知らないが、このご時世、吸血鬼を出した一族がどうなるかは火を見るよりも明らか、根絶やしだ。


両親、子供はもちろんのこと、祖父母、従妹いとこ、叔母叔父まで、すべからく根絶やしにされる。


それを思うと、女性の頬を血ではない液体が零れ落ちていく。


自分をここまで育ててくれた家族も、親しかった親類も、もうこの世にはいないだろう。自分が吸血鬼になってしまったばかりに、数多くの人々が殺されただろうし、これからも殺されるだろう。女性の一族は近隣の国にも数多く嫁いでいる。その全てが根絶やしの対象となるのだ。嫁いだ先で生んだ子供が根絶やしの対象になってしまうと思うと、女性はあまりの自責の念に押しつぶされそうになってしまう。


「どうして、神は私をこんな身体にしたのかしら……?」


本来ならすでに死んでいてもおかしくないだけの血を流している。

だが、彼女は死なない。いや、死ねない・・・・のだ。


吸血鬼が持つ、超人的な自己再生力は、大概の傷を治してしまう。肩から入って腰に抜けた裂傷は腕を切断してもおかしくないほど深く身体を抉っている。人に生まれて、死ぬほどの痛みを味わったのはこれが初めてだ。死ぬほどの痛みに耐えなければならない自分の身体が恨めしく思える。


だが、いかに吸血鬼が不老不死と言われようとも、生ある者いつか死ぬ。

吸血鬼の場合は、それが「物凄く死ににくい」だけなのだ。無数に斬られ、焼かれ、貫かれた身体はすでに吸血鬼としての再生能力すら超えるだけの損傷を受けている。


その証拠に2日前の傷は治るどころか、普通の人のように鈍痛を伴って神経をこれでもかというほど犯している。


「かはっ、……もうダメ、かな?」


不意に嘔吐するような感覚に襲われ、何かが喉を逆流してくると、彼女は鮮血を口から地面にぶちまけた。鮮血の中に妙な固体が混じっていて、その部分だけ血の海が少し盛り上がっている。胃壁か喉の一部だろう。再生能力が追いつかない部分が壊死を始めたのかもしれない。


自分の死期が刻々と近づいているのを感じながら彼女は倒木のそばに横たわる。世界が90度回転して、視界が急激に遠のいていく。


「死にたくない、よ。死にたくなんか……」


頭にあった血がすうっと抜けていくような感じがする。それと同時に自分の意識が身体から抜け落ちていくような感覚が彼女を襲い、彼女は意識を手放した。












何かを叩く音がする。


何か、金属を叩く音だ。以前、鍛冶屋を見た時に、こんな音を聞いたことがあるような気がする。


「……ん」

「お、起きたかいの?」


目を開けると、目の前に老人の顔があった。たっぷりと髭を生やし、口は髭に埋まって見えない。柔和な笑顔が視界に入り、彼女は自分が生きていることを自覚した。


「い、生きてる、の?」

「おお、生きとるぞ。見つけた時は死んでるかと思っとったが、まだ息があったのでな。儂らの村まで担いで来たんじゃ」


起き上がろうとして、身体に激痛が走って苦悶の表情を浮かべる。老人が慌てて彼女を横にした。

彼女は自分の身体が全くと言っていいほど動かないことに驚いていた。動かそうとすると激痛が全身を襲ってくる。


「そなたの身体は切り刻まれて神経までズタズタなのじゃ。正直意識が戻っただけでもめっけもんだと思う事じゃな。時にそなた、名前は何と言う?」

「え……」


そう言われて、彼女は黙り込んでしまった。本当の名前を言えば、たとえ目の前の老人が善良でも、きっと自分を見放すだろう。おそらく大陸全土に彼女の一族の名前は広まっているはずだ。


「言えんのか? 安心せい、ここは森の外の連中とは隔絶されておる。外の情報が入らん分、ここの情報は外には出ん」


老人は立ち上がると近くにあった壺から水を汲み、彼女の口にゆっくりと流し込んだ。久々に飲んだ綺麗な水は、乾ききっていた彼女の喉に潤いを与えてくれる。


「……カトレヤ、カトレヤ・パフィオベディルムよ」

「カトレヤじゃの? ではカトレヤ殿、そなたの今の状況を教えておくとしようかの。取り乱すでないぞ?」

「取り乱したくても、動いたら死にそうになるわよ」

「ほほっ、それもそうじゃった。では言うが、そなたは今意識がある事自体信じられんことなのじゃ。全体の3分の2以上の血液を失った上に、体中に裂傷、火炎魔法による火傷を負い、正直生きている事すら不思議なくらいじゃ。それもそなたの持った力のおかげじゃの」


最後の言葉にカトレヤは目を見開いて老人を見つめる。

老人は表情を変えずにただ小さく頷くだけであった。


「そなたがヒトではない事はすぐに分かった。だが、そんな事は儂らにはどうでもよいのじゃ。今、目の前で死にかけておる別嬪さんがおれば、助けるのが筋というものじゃ」

「どうでもいい、ことなの? 分かってるようなら言うけど、私は吸血鬼なのよ? 怖くないの?」


そう言うと、老人は豪快に笑い出した。なぜか馬鹿にされたような気がしてカトレヤは面白くなさそうにその様子を見つめる。


しばらくしてようやく笑いを抑え込むことが出来た老人は、顔を近づけてカトレヤに言った。


「吸血鬼など、世にごまんといるわい。それに儂らは吸血鬼よりもヒトが恐れる者たちと付き合っておる。安心せい、ここにそなたを拒む者はおらん」

「吸血鬼より、も……?」

「そこでそなたの話の戻るんじゃ。いかにそなたが優れた再生能力を持とうとも、その身体はすでに限界を超えている。儂らも出来る限りの事はしたんじゃが、これ以上の回復は望めん。そなたにはすまんが、儂らがしたことは数日程度の延命にすぎんのじゃ……。そこでじゃ……」


老人はカトレヤの顔の前で人差し指を立てた。


「そなたの選択肢は2つじゃ。1つ、このまま処理をせず、死ぬこと」


中指を立てる。


「2つ、儂らについて来るか、じゃ。断然こちらをおすすめする」

「……選択肢ないじゃないですか」

「ほほっ、じゃが苦しいぞ? 死ぬほどの苦しみが伴うかもしれん。何しろ、ヒトの間では究極的な事をするからの。そなたの再生能力が追いつかなければ、死んでしまうかもしれん」

「それでも、生きられるなら……!」


念を押してきた老人の腕を、激痛に耐えながら握る。驚いて老人が腕を下させようとするが、カトレヤは悲鳴を上げる腕に叱咤して腕を放さない。


「私を連れて行ってください! 何があっても耐えて、生きてみせます!」


そう言うと、老人はニコリと笑い、部屋の扉から外に顔を出すと外に向けて何かを呼びかける。

しばらくすると若い男が数人入ってきて、カトレヤの横たわっている担架の四隅を持つと持ち上げ、部屋から運び出す。


外へ出る時、老人が薄い布を男たちに渡し、それを4人が空いている手でカトレヤの上にかざした。


「分かってらっしゃるんですね……」


視界に入る男に向かって言うと、男は少しだけ笑みを浮かべて頷いた。


外は、小さな集落の中心部だった。中心に何かのモニュメントのようなものがあり、それを囲むように小屋が立てられている。森の中ではあるが、そこだけ木が切り倒されて日陰が無かったのだ。カトレヤは吸血鬼、直射日光はあまり気分の良い物ではない。


書物に聞く様に、日光を浴びて灰になることも、流水を渡れないこともなかったが、日光が極端に不愉快に感じられるようになったのは確かだ。


男たちはカトレヤの身を案じて日陰を作り出してくれたのだ。


横を見ると、子供の姿が目に入った。

何か玩具のようなもので遊びながら、親であろう女性の周りをグルグル回りながら遊んでいる。


(のどかだな……)


城の中では絶対に見ることが出来なかったであろう、人々の営みが、こんな形で見られるとは思えなかった。


集落の端へ行くと、石段で作られた祭壇のような場所にたどり着いた。祭壇と言っても、それほど豪奢なものではなく、石造りの構造物があるだけだ。


「少々待っておれ。今日は何時頃来るか聞いておらんのでな」


老人はカトレヤの隣を歩きながら、祭壇を指差した。


「誰が、来るんですか……?」

「ドラゴンじゃ」












カトレヤも、書物で読んだり、おとぎ話で聞いたことがある。


龍の血液には傷を癒す力があると、聞いていたことがある。だが、それはあくまでおとぎ話の中の話、実際にそのような力があるかなど確かめた事がある者などいない。


血液を採取しようものなら、食い殺されるのが目に見えているからだ。


「外の連中は知らんじゃろうが、儂らは長い間ドラゴンと交流を持っておる。外の連中は儂らを竜人族と呼んでおる」

「竜人、族……。本当にいたんですか……」

「それが正しい反応じゃ。儂らは外との交流は持たん。儂らの社会を破壊されてはたまらんからの。たまに旅の詩人が迷い込むくらいじゃ」


祭壇の一番上にたどり着き、カトレヤを乗せた担架が静かに下ろされる。男は担架よりも後ろに下がり、老人は祭壇の中央まで進むと空を見上げる。カトレヤは、仰向けに寝かされているので必然的に空を見上げることになる。


「今日は天気が良いからの、遊覧飛行でもしておるかの?」

「た、食べられないでしょうか……?」


随分と呑気な事を言う老人にカトレヤは心配になって聞いた。どうにも信じられないのだ。ヒトが龍と過ごしていることなど。


多くの書物が、ドラゴンは人間の敵だと書いている。村を焼き、老若男女構わず人間を貪り、土地に死を振りまくとされるドラゴンと、共に生きることなど可能なのか? それとも、彼らは何か別の生き物をドラゴンと誤解しているのだろうか? だが、空を飛び、それほど巨大な生き物は、カトレヤの記憶の中にもドラゴンしかないような気がする。


「お、来おったか」


不意に森の上の空に目を向けた老人に釣られて、カトレヤも痛みに耐えながら首を回す。


森の上の空に、黒い点が浮かんでいる。


それが徐々に大きくなり、やがて羽ばたく翼が視認できるほどまで巨大になり、祭壇の上を猛烈な勢いで飛び越えていった。


「う、嘘、本当に、ドラゴンなの!?」


その姿を追いながら、カトレヤは信じられないものを見る目でドラゴンを追う。


ドラゴンは漆黒の鱗を纏い、その中で不気味に輝く紅の目が特徴的だった。ドラゴンはぐるりと周囲を一周すると祭壇の真上に飛んできて、ゆっくりと羽ばたきながら祭壇に降り立ち、翼を畳んで鋭い鉤爪を持つ手で石段に太い傷をつけながらカトレヤたちの場所までやって来た。


太い首をしならせて老人に顔を近づけると、カトレヤからもその顔が見えるようになった。人間の胴ほどもある巨大な牙が口からはみ出しており、その眼はしっかりとカトレヤを睨み付けていた。唸り声にもどこか怒りがこもっているような気がする。


「エリカじゃ、カトレヤ殿。ドラゴンの名前は発音できんのでな、儂らはそう呼んでおる。エリカ殿、すまんが助けて欲しいのじゃ、この娘を」


エリカと呼ばれた、あまりに名前と姿が不釣り合いなドラゴンは男たちの前で身動きが取れない状態で仰向けに寝ているカトレヤの真上に顔を持ってくると、カトレヤの顔をしげしげと覗き込んできた。


「ひっ……」


恐怖に少しだけ声が漏れてしまった。


<怖がらないで?>


そこに、聞き慣れない言葉が飛び込んできた。女性の声なのだが、この場に女性の姿はない。


「あ、あなたなの?」

<初めてでこの声が聞こえるという事は、あなたもヒトではないのね?>

「っ!!」


ドラゴンの目は、優しかった。鋭さの中にどこか慈悲が籠っているかのように感じられる。


<名前は? どこから来たの? どうしてそんな怪我をしたの?>


ドラゴンが立て続けに質問を連ねてきた。返答に困っていると老人がドラゴンの首を撫でながら聞き慣れない言葉を呟いていく。


「彼女の素性は助けてからにしてもらってもいいかの? あまり長い間持ちそうにもないんじゃ」


あえて言えば、ヒトの言葉を出来る限り龍の言葉に近づけたような、そんな感じの言葉だ。思えば、ドラゴンの言葉はヒトの言葉に出来る限り近づけたようなものなのだろう。


<……安売りはしたくないのだけれど。あなたたちの頼みなら良いわ>


ドラゴンはそう言うと折り畳んでいた翼を少しだけ広げ、鱗の無い皮膚を老人の前に晒す。老人はドラゴンに礼を言うと懐からナイフを取り出してそこを少しだけ切った。するとドラゴンの血が滴り、老人はそれを瓶で掬うとそれをカトレヤのところに持ってきた。


「失礼するぞ、カトレヤ殿」


老人はカトレヤの着ていた服を捲ると、ドラゴンの血が入った瓶を傾け、腕の傷に血を滴らせた。すでに壊死が進行してかなり黒ずんできている部分が、血の色に染まって白い煙を上げる。


「あっつ」


燃えるような熱さを一瞬受けると、腕から痛みがす~っと引き始めた。驚いて腕を見ると、血の合間から白い肌が見える。本来ならば、壊死して黒ずんでいるはずの部分が、完全に治癒している。


「し、信じられない……」

「ほれ、背中を向けさせるぞ」


その腕を持ってカトレヤをうつ伏せにすると、老人は服を捲って背中を晒す。肩からの裂傷に背後の男たちも唸り声を上げる。


老人が再び血を滴らせると、先ほどとは比べ物にならないほどの熱さに襲われる。だが、それは一瞬で、背中の感覚が戻ってくるのがすぐに感じられた。


足、首と老人は傷を癒していくと、カトレヤはあっという間に身体を起こせるようにまでなっていた。そこに至って老人は瓶をカトレヤに渡した。


「あ、あの……?」

「さすがに、男の前で胸を晒すわけにはいかんじゃろう? 儂らは先に戻っているから、ここで治していきなさい。カトレヤ殿が立てるようになるまではエリカ殿が守って下さる」

「あ、ありがとうございます」


老人は気さくな笑みを浮かべると男衆を連れて祭壇を後にした。男衆が後ろを向こうとするたびに老人の強烈な蹴りが彼らの腰を襲ったのが見え、つい笑みが零れてしまった。




どうも、ハモニカです。


というわけで過去編というか、過去話というか、……分かってらっしゃるとは思いますが、


カトレヤ・パフィオベディルム=バーバラ・ファタル


ですからね?


まあ、カトレヤの名前はほぼ過去話でしか出てきませんが。


龍だった頃のエリカと、カトレヤ(バーバラ)が主体ですが、主にカトレヤ目線になります。


過去編もほどほどに現代に戻れるよう頑張ります


では、ご感想などお待ちしております!

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