第11話 親友
心の友と書いて、心友!
古いわっ!
真っ白になった頭の中は、完全に全ての情報が抜け落ちてしまっているにも関わらず、煩雑この上なかった。膨大な量の情報が出たり入ったりを繰り返し、その度に頭の中が初期化される。
「……、それを知って、どうしようと、いうんですか?」
何を今さら、と言われてもしょうがない。
だが、エリカにはどうしようもなかった。バーバラは答えにわずか数日でたどり着いてしまった。古き友人に出会えたことよりも、この場に居られなくなることの恐怖がそれを押し潰そうとしている。
自分でも言葉が掠れているのが分かるほど、エリカは動揺していた。
「どうもしないわよ。ただ、懐かしい人、ドラゴンのあなたに言うのもおかしな話だけれど、友人に会って声もかけないのは、どうかと思ったのよ」
そう言うと、バーバラはベランダに出てエリカの前に立つ。
その笑みは、決して意地汚いものではなかった。ただ、友人に出会ったことを嬉しく思う気持ちだけだった。
「……たとえそうだとしても、あなたがいることはあたしがここに、この騎士団にいるためには障害になる、それは分かってもらえますよね?」
「……ええ、痛いほど、分かるわ。あなたが何故、ここに居るのか、どうして、そんな姿に『成り下がっている』のか、私にはさっぱりよ。だけど、ジャックの言葉を借りれば、借りを返したいのよ、古い借りを」
「借り……?」
「覚えてない?」と言ってバーバラはエリカの隣に来てベランダの柵に身体を寄りかからせた。その前でアレックスが器用に口でベランダの両開きの戸を閉めると、フィアに声が聞こえないようにした。
「覚えてないならそれでもいいわ。でも、もしあなたが今困っているのなら、少しでも手助けが出来ないかな、と思って」
「…………はあ」
エリカは警戒心をむき出しにしていた自分が馬鹿らしくなった。
バーバラは、エリカの正体を騎士団の仲間に言う気など毛頭なかったのだ。自分の興味本位とでも言おうか、そういうものの元にバーバラは動いている。
「変わりませんね、そういうとこ」
「ふふ、認めたわね」
これからどうしようなどと真剣に考えていた自分を頭の中から追い出して、ため息をついて口を開くと、バーバラがしてやったりという表情を浮かべた。
「呆れた、確証もなかったんですか?」
「そりゃあ、ドラゴンがヒトになってるなんて、誰が考えるのよ? あなたが昼間のジャックとの戦いで黒鱗を発現してなければ可能性で終わってたわよ」
「……よく、見えましたね」
あの時は、ジャックが作り上げた土煙で視界は最悪だったはずだ。その中で手甲からわずかに覗いた黒鱗を目視するなど、並大抵のことではない。
「吸血鬼の視力を舐めるんじゃないわよ?」
「でしたね」
<すまん、話に全くついていけんのだが……>
居心地の悪そうな声が聞こえて2人が目を下すと2人の間で困った表情を器用に作り上げているアレックスの姿が目に入ってきた。
バーバラが思い出したようにアレックスの頭を撫でると、アレックスを足元に引っ張ってエリカの正面に座らせた。
「アレックス、この子はエリカ、本名は違うけどね。ドラゴンよ、それも黒龍」
<なっ! 冗談だろう!?>
信じられないものを見るような目でアレックスがエリカを見つめると、エリカは小さく頷いた。
「証拠が見たいなら、これでどうでしょうか」
腕を捲ってアレックスに見えるように腕を彼の前に持っていくと、黒鱗が発現して腕が鱗に覆われる。指の先まで鱗に覆われ、少し動かすたびに擦れる音が響き渡る。
<ご主人、あなたの交友関係には驚かされます……>
「ありがと♪」
<して龍の姫が何故このような場所に、いえ、それ以前にその姿はいったい……>
「それは、話せば長くなるんですが……」
「夜は長いわ。話して、親友?」
バーバラが笑みを浮かべると、何かの蟠りが溶けてしまったかのように心から抜け落ちた気がして、少しだけ気分が良くなった。
そしてエリカはゆっくりとこれまでの経緯を話し始めた。
「…………ふぅん」
エリカが事の次第を全て話している間、バーバラは一言も発さず、ただただエリカの言葉に耳を傾けていた。アレックスもバーバラの傍で耳をエリカの方に向けながら座っていた。
「理由は、分からないんです。ヒトの世界なら何か分かるかな、と思って森を出ました」
「ドラゴンは書物なんて書かないからね~、あなたのお父様なら何か知っているんじゃなくて?」
バーバラの質問にエリカはため息をつくだけだった。
「真っ先に聞きましたよ。だけど、父上でも元の姿に戻れる方法はもとより、原因も知らないみたいでした。知っていたらここにはいないですよ」
そう言うと、「それもそうね」とバーバラはベランダの柵から離れて部屋の中を覗いた。フィアは起きる気配もなく寝返りを打って布団を身体に巻き付けながら寝ている。
「事情は分かったわ。あなたが元の姿に戻る方法を私も書物室で探してみるわ」
「あたしも行っていいですか?」
もとより、ヒトが蓄えた龍関連の書物を目当てに来たのだ。出来れば自分で調べたい。
だが、バーバラは残念そうに首を横に振った。
「書物室には閲覧禁止の書物が幾つかあるわ。正直言うと、騎士団の団員程度で見られる書物には限界があるわ」
「……バーバラさんも騎士団員じゃないんですか?」
「私は吸血鬼よ?」
随分と思わせぶりな笑みを浮かべるとバーバラはエリカの前に立った。
「……盗むんですね」
「人聞きが悪いわ~。拝借するのよ、ちゃんと返すし♪」
別段悪びれる様子もバーバラにはなかった。
これ以上言っても無駄だとエリカは判断して、ふと気になったことを聞くことにした。
「そういえば、どうしてバーバラ・ファタルと? パフィオベディルムの名はどうしたのですか?」
エリカがそう聞くと、バーバラはどこか悲しげな表情をした。
月明かりがその顔をほのかに浮かび上がらせる。
「パフィオベディルム家はもうないわ。私のせいでもあるし、私もあの時きっと1度死んだのよ。死んだ名前をいつまでも背負う気はないわ」
「そんなっ! 曲がりなりにも王家ではないですか!」
「だからこそよ。一族から吸血鬼など出した王家が、叩かれないとでも思う? あなたでも分かるでしょう? 一族から異端が出れば、ヒトはその一族ごと異端を葬るのよ。それに、私にその踏ん切りをつかせたのはあなたでもあるのよ?」
それを言われると反論できない、とエリカは返答に詰まった。
バーバラの目は一切の希望を持ち合わせていなかった。
「それが、ヒトという生き物なのよ」
「でも、あなたはまだ生きている……」
「……良い親友と仲間に出会えたからね」
バーバラは思い出したように帯びていた剣をエリカに当たらないように抜くと、その刃を月明かりに当ててエリカに見える位置に持っていった。
「分かる? あなたが別れ際にくれたモノは私の宝物になっているのよ?」
「……300年も使っててくれたんですか?」
バーバラの刃は、月明かりでも分かるほど変色している。いや、変色させているのだ。本来の色を隠すために、わざと金属粉か何かを塗り付けているようだ。
「あなたのおかげで、今の私はあるようなものよ。だから、あなたのために私も出来る限りのことをするわ」
「本当ですか? ならさっそくお願いがあるのですが……」
エリカはバーバラの言葉を聞いて若干息を弾ませながらバーバラに詰め寄った。
「アレックスをいつでもモフモフさせてください!」
アレックスの時間が止まったのは言うまでもない。
「それじゃ、私はこれで失礼するわ。さすがに自室を深夜に空けると怒られるから」
バーバラは足音も立てずに部屋の扉に近寄ると、振り返ってエリカに手を振った。
バーバラの足元にはぐったりと、夜目でも分かるほどにやつれたアレックスがいる。あの後、承諾を貰ったエリカは10分ほどアレックスをモフモフするという、至高の時を過ごし、どこかしら肌もテカテカとしている気がする。
「あ、バーバラさん。今夜は窓を開けて寝てくださいね」
「? どういう意味?」
「久々に歌いたい気分ですので」
エリカが満面の笑みを浮かべる。
それは、ジーンにも、フィアにも見せたことのない笑顔だった。食事をするたびに出す笑顔の安売りなどとは違い、心の底からの笑み。バーバラは意外そうな顔をすると、すぐに小さく頷いて部屋を出て行った。
「……う~ん」
扉を閉めた時の音で、フィアが寝苦しそうに寝返りを打った。エリカはベッドから落ちた布団を抱きかかえるとそれをフィアの上にフワリと優しくかけた。
「起きないでくださいね?」
小さく呟くとエリカは再びベランダに出る。
どこからともなく心地よい風が吹き付け、エリカの黒髪が風に揺れる。
(歌えるところまで、になりそうですね)
エリカは息を整えて胸を張ると、口を開いてある歌を歌いだした。
龍は翔ぶ
遥かな蒼空を見上げて さらにその先を目指して
決して折れぬ翼と 決して穿てぬ鱗を持って 誰よりも高く 誰よりも速く
いつか来る終わりの日まで 共に 翔ぼう
澄んだ歌声は夜の風に乗って広く伝わっていく。
どこまでも高く、鮮明に歌が夜の世界へと響き渡っていく。
たとえその翼が焼かれようとも 穿たれようとも
君と共にあろう 君のためにあろう 君だけの翼であろう 君だけの鱗であろう
それがわたしの願いだから それがあなたの望みだから
幾万年が経とうとも 幾星霜の時が経とうとも 想いは朽ちない
時を越え 死が2人を分かつ時ことがあろうとも わたしはあなたを探しにいこう
だからあなたもわたしを探そう
それが わたしとあなたの 唯一の繋がりだから
「……相変わらず、悲しいのか、恋しいのか……」
ベッドに寝転がり、開け放した窓から見える月は、どことなく歌を代弁しているかのように淡い光を放っている。
「あの声で聴けないのが、唯一残念ね」
バーバラは窓を開けたままゆっくりと目を閉じて、風に乗る歌を聞きながら眠りに付くことにした。
とはいえ、少なくとも歌が終わるまでは寝る気はなかった。
翔ぼう
どこまでも
誰の手も届かないところまで
王の丘に日が昇り 誰もがわたしたちを見上げている
目的地の無い旅
出発地もない旅
共に蒼空を駆けるだけの旅を いつまでも続けよう
それがわたしの幸せだから あなたのそばで翔べるだけでいい
「……ん、夜中に誰か歌っているのか……?」
寝ていると心地の良い歌が聞こえてきた。
起き上がって窓から外を見渡すが、声の主を視認するには至らない。
「眠りたくなるほど心地よいのに、眠りたくなくなるな……」
ジーンは窓から見える月を見上げながら声に耳を澄ませていた。
ただ1度の
夢のような 幻のような 蒼空を翔ぼう
光と闇に覆われた 蒼空にその身が溶け込むまで どこまでも広がる蒼い海を
共に往こう
「……綺麗な歌」
少女は寝台から起き上がると、眠気眼を擦りながらも夜空を見上げる。
風に乗った歌はどこからともなく聞こえてくる。
少女は窓から外を見渡しながら、星を視る。
「慈悲が闇夜を覆っている……。これが、慈悲……?」
「姫様? 起きられているのですか?」
背後の扉の向こうから、耳障りにならない、小さな、だがはっきりと聞こえる声が少女の鼓膜を振るわせる。
「聞こえている? この歌」
「歌、ですか? ……ああ、聞こえます。どこの言葉でしょうか……」
「ふふ、ヒトの言葉じゃなさそうですよ。それでいて、ヒトのような情緒に溢れている……」
歌を作ったのはヒトだ。
エリカがまだ龍の姿だった頃、1人の吟遊詩人が『友』の元を訪れた。
そこでエリカは彼に出会った。
あの頃は、ヒトの言葉など話せなかった。だから、感覚と吟遊詩人の纏う空気から歌詞を読み取った。どこか儚げで、それでいて誇らしい、龍を題材にした詩。
エリカが広め、今では龍の間では子守唄のように歌われている。
この歌詞を理解できているかは分からない。ヒトの身で龍の言葉を話すのには限度がある。使えない単語もたくさんある。
だが、ヒトが作った詩だ。エリカも詠いながら気が付いたが、エリカは淀みなく歌うことが出来ている。
龍の言葉を使っているにも関わらず、喉に詰まらず滑らかな歌声となって空に広がっていく。
は~い、補足タイム!
なぜエリカが人の身でありながら龍の歌を詠えたのか、なんですが
あれは極論すれば龍の言葉ではありません。
ヒトの言葉を可能な限り龍の言葉に近づけたものです。
基本固有名詞以外、龍の言葉はヒトが「猛烈に頑張れば何とか話せる」レベルの言葉です。逆は至極簡単なのですがね。
次回からエリカとバーバラの過去話が続きます。何とかまとまると良いんですが……
ご感想などお待ちしております!