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猫日和  作者: 高遠響
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寝覚月

     寝覚月


 盆踊りが終わってしばらくすると長い夏休みが終る。まだまだ真夏の暑さが大きな顔をしているが、それでも空気は少しずつ変わってくるものだ。景気良く太陽に向かって咲き誇っていた向日葵ひまわりも日に日に茶色くしなびてしまい、夏が遠ざかろうとしている事をほのめかしていた。

 とは言え、大人にとっては夏休みもへったくれもなく、残暑の中紗枝は自転車に乗って大汗をかきながら出勤の日々なのである。これと言って代わり映えのしない毎日なのであったが……。

 紗枝は会社のパソコンに向かいながら深々と溜息をついた。あんまり盛大な溜息だったので、紗枝の後ろのデスクで書類整理をしていた同僚が思わず顔をあげて声をかける。

「どうしたんですか? 体調悪いとか?」

「え?」

 紗枝は慌てて振り向いた。自分よりも歳若い女子社員だ。

「なんか今日は溜息多いですよ」

「そう? 気がつかなかった……。ごめんごめん、大丈夫。別にどこもしんどくないから」

 紗枝はとってつけたような笑顔を作った。同僚は「ならいいけど」と小さく言うとまた書類整理に戻る。

 今日は気分が重たくて仕方ない。夏が終わるのが寂しくて、というセンチメンタルな理由ではなく、原因ははっきりしていた。  

 盆踊りの時に撮った写真と紗枝の釣書が母の知人を介して先方に渡ったのは一週間ほど前の事だ。相手からの反応はびっくりするほど早かった。

「なんかさ~、随分と気に入ったみたいよぉ。歳は紗枝ちゃんの方が上だけど、全然そんなの問題ないって」

 話を持ってきた鈴木さんが勢い込んで家に訪れたのは昨日の晩の事だった。

「写真みた途端二つ返事でOKしたらしいの。こんなのって珍しいんだって。紗枝ちゃんって今の若い人には珍しいような雰囲気じゃない。そういうのがいいのかもね~。なんせ仕事柄、年寄りばっかり相手にしてるからのんびりしてるのよね、従兄弟いとこも」

 ころころと太った鈴木さんはそう言うとからからと笑った。それを人は母の仕事場の同僚で、母よりも十歳以上も若いのだが母とは随分と気が合うようだ。母と同様にポンポンずけずけとした物言いで、職場での存在感は物凄いのだと母も苦笑いすることがあった。

 紗枝ははあはあと頷いて聞いていたが、内心は面白くなかった。だいたい年寄りばっかり相手にしてるから私が良いなどという理由が気に入らない。それは自分が年寄りだと言っているようなものだ。ただそれを口に出来ないのが紗枝の悲しさなのである。

 紗枝の気分をそっちのけで母と鈴木さんの間で話はとんとん進み、この日曜日に見合いをするという話になってしまったのである。

 相手の釣書と写真を見ながら、紗枝は溜息をつくしかなかったのだ。


 週末の夕方、花音が庭に遊びに来た時、紗枝の気分はまだ少しも回復していなかった。それどころか、あさってには見合いをしなくてはならないという現実がますます重く肩にのしかかっているような気分だったのだ。

「紗枝さん、なんか元気ないですねぇ」

 と、花音にまで心配される始末である。心配していないのは足元で転がっている猫くらいなものだった。

「うん。元気ないかも」

 紗枝は困った顔のまま曖昧な笑みを浮かべた。

 花音はすっかり枯れた向日葵を引き抜いて、縁側に広げた新聞紙の上にその種をほぐしていた。紗枝は並べた種をいくつか手のひらに乗せて、コロコロ転がしてみる。

「あさってさ、人に会うのよ。全然気が乗らなくて」

「お友達ですか」

「ううん。ほら、盆踊りの時に写真撮ったでしょ。あの話」

 花音は目を丸くして、ぴょこんと飛び上がった。

「お見合いだ! すごい!」

「……いや、全然すごくないから」

 何度も経験している紗枝とは違って、小学生の花音にとっては見合いという言葉は特別な響きを持って耳に届いたらしい。急にそわそわと立ったり座ったりとうろたえ始めた。

「花音ちゃん、なんであなたがうろうろするの」

「え、だって、お見合いでしょ? お見合いってうまくいけば結婚するんですよ。こんな向日葵ほじってる場合じゃないじゃないですか。美容院に行くとか、エステに行くとか。あ、あたし帰った方がいいですか?」

 花音の言葉に思わず吹き出してしまう。

「そんなね、大層な事はもうしないの。私もオバサンだから、今さらエステに行ったところで効果ないって」

 そう、無駄な努力はしない方がましだ……と、心の中で付け足した。そんなことをして成功するなら今頃こんな所でこんな事はしていない。

「どんな人なんですか?」

 花音が身を乗り出してきた。花音がこれほど食いつくというのも珍しい。やはりそういう事に興味が沸く年頃なのだろう

「三つ年下。病院でリハビリの仕事してるんだって」

 紗枝はそう言うとウォールポケットに挟んであった封筒を持ってきた。

「ほら、これ」

 中から写真を出し、花音に見せる。

「見ていいんですか? わあ……。どうしよう。ドキドキする」

 花音は向日葵のクズがついた手をジーンズの太腿にこすりつけ、うやうやしく写真を受け取った。

「……ちっちゃくてよくわからないけど、なんか、優しそうな人ですよね」

 どこかのお寺ででも撮ったのだろうか、古い木の柱と白い漆喰の建物の前で、ポロシャツにジーンズという普段着状態で立っている男性の姿に花音は食い入るように見入っている。

 今時の若い人という感じではない事は確かだ。体形も細身ではなく、ずんぐりといった方がいいかもしれない。

「優しそうかな……」

「うん。なんかそんな気がする。花音のパパもこんな感じだったかも。昔の写真しか知らないけど」

「花音ちゃんのお父さん?」

「ママが離婚してからずっと会ってないから最近の顔は知らないけどね」

 花音はさらっとそう言いながら、一生懸命写真を見ている。

 花音の家が母子家庭だとは知らなかった。そんな話は一度もしたことがないし、突っ込んで聞いたこともない。

 花音がなんとなく自分に似ていると思うのはそういう背景のせいなのかも知れないと、ふと思った。類は友を呼ぶとは言ったものだ。無邪気に写真を見つめる花音がふいに愛おしく見えてくる。いつの間にか紗枝の思考は、見合いから花音の両親の方へと傾いていた。

 塀の上でくつろいでいた猫が「ぶにゅう」と、無粋な声で鳴いた。


 日曜日の昼前。ターミナル駅のお洒落な花屋さんの前で紗枝は緊張した面持ちで一人立っていた。ここが待ち合わせの場所なのである。母親は付いて来たがったが、紗枝は珍しく強く断った。

「もういい加減、ついてこなくても大丈夫だから。何回見合いやってると思ってんのよ」

 母はしつこく食い下がったが、「お母さん来るなら、私は行かない」とまで言い切るとようやく諦めた。鈴木さんと母のペアが一緒にいては自分も相手も落ち着かないに決まっている。

 とは言うものの、一人で立っていると不安が募って仕方が無い。花屋の店先の可愛らしい花を見て心を落ち着かせようとするのだが、いてもたってもいられないような気分になる。紗枝はハンドバックからハンカチを出すと、鼻の頭に浮いた汗を押えた。

「紗枝ちゃ~ん、ごめん、待った?」

 少し離れたところから甲高い声が飛んできた。鈴木さんだった。白い日傘を差し、早足でやってくる鈴木さんの後ろには写真の主がいた。

 来た……。紗枝は心の中で呟き、手にしたハンカチをぎゅっと握り締めた。

「電車に一本乗り遅れちゃって……」

 賑やかに弁明しながら鈴木さんは日傘をたたんだ。

「こちらが浜本紗枝ちゃん。で、これが従兄弟の石田新一」

 紗枝は軽く会釈してから、改めて目の前の青年、石田新一を見た。写真で見たよりも大柄でがっちりしている。ややエラの張った四角い顔に濃い眉が印象的だ。その割には恐そうな感じがないのが不思議だった。西郷隆盛みたいだな……と紗枝は心の中で呟いた。

 三人は鈴木さんが予約しておいた和食ダイニングの店に向かった。二人の間に立って歩く鈴木さんはひっきりなしに喋っている。なんとかして話のきっかけを作ろうとしているのが見え見えだった。が、紗枝も石田もはあはあと相槌を打つのがやっとというところだ。

 目的地のお店は駅から少し離れた住宅街の中の隠れ家的な場所にあった。目立たない狭い間口を通って中に入ると、意外なくらいに広くて明るい店内だったが、テーブルの数は少なく、十人程度しか入れないようだった。

 三人が席に着くと鈴木さんは鼻息荒くまくし立てる。

「食事が終わったら、とりあえず私は帰るから。後は二人でなんとかしてね。ほら、あれよ、『後はお若い方におまかせして』ってヤツよ。で、また連絡くれればいいから」

 紗枝はあっけにとられてうんうんと頷くだけであったが、石田は澄ました顔で聞き流しているようだった。

「ああ、疲れた」

「しゃべりすぎだって」

 言うだけ言ってほっと一息ついた鈴木さんに、石田がさらっと突っ込んだ。

「何言ってんの。アンタがしゃべらないから苦労してるんでしょ。……ちょっとごめん、お手洗い行ってくるわ」

 鈴木さんはがたがたと立ち上がると小走りに店の奥に消えた。

 取り残された二人の間に沈黙が訪れる。お互いに切り口を探しているといったところだ。

「すみませんね、喧しい人でしょ」

 石田が苦笑いしながら口火を切る。

「いえ。……明るくて、てきぱきしてらっしゃって」

 紗枝は慎重に言葉を選んだ。

「従兄弟さんなんですよね。ずいぶんとお歳が離れてらっしゃるみたいで……」

「よく甥だって言われます。うちの母と、かっちゃんのお母さんとは歳がだいぶ離れてるので……」

 かっちゃんとは鈴木さんのことらしい。紗枝は「はあ」と頷いた。

 話はそこで一旦途切れてしまった。また沈黙が訪れる。

「あの、このお店、いい感じのお店ですね」

 今度は紗枝が口火を切ってみた。

「いいでしょう、ここ。以前一度先輩に連れてきてもらった事があって。良かったなぁって思って」

 石田も言葉を探すようにゆっくりと答える。

「和食だとそれほど変わったものも出てこないし、落ち着いて食べられるかなぁと思って。食べ物、苦手なものとかありますか? ここ、言っておいたら融通してくれますけど」

「いえ、なんでも食べます。大丈夫」

 紗枝がそう答えると石田はにっこりと笑った。

「それはいい。なんでも食べる人はいいですね」

 その笑顔は思いのほか優しく可愛らしかった。


「で、その後、どうしたのよ」

 母は夕食の席で身を乗り出して聞いてきた。

「どうって……。三人で食事して、その後鈴木さんが帰って、石田さんと二人で近くの公園に行って、その辺をプラプラして、その後喫茶店でお茶して、帰ってきた」

 紗枝はご飯をせっせと口に運びながら昼間の記憶を辿る。

「で、どうなのよ。次、会うの?」

「さあ……」

「さあ……って」

 母は身をよじって唸った。

「次会うとかどうとか、決めてきなさいよぉ。連絡先交換するとかぁ!」

「だって、とりあえず会うだけだったんだし。鈴木さんに連絡先渡してるし……」

「ああああああ。だから私が一緒に行かなきゃ駄目なのよぉ!」

「ああ、もう、うるさいなあ」

 紗枝は溜息をついたが、母の嘆きは止まるところを知らないようだ。

 電話が鳴った。一瞬顔を見合わせる。

「鈴木さんだわ、きっと!」

 母が弾かれたように立ち上がり、受話器を取った。

「もしもし、浜本……。いえ、もう、今日はお世話になりましてありがとうございました。今娘から話を聞いてたんですけど、なんだかもう、全然煮え切らなくってねぇ。イライラしてたんですよ」

 わざとらしく大きい声で話しながら、ちらちらと紗枝の方を見る。紗枝はあえて知らん振りを決め込んだ。

「え? まあ、そうなんですか! まあまあ……。ちょっと待ってくださいね」

 母の声のトーンが更に跳ね上がり、慌てて手元のメモを引き寄せた。さらさらと何事かメモを取る。どうやら電話番号らしかった。

「え? ええ、勿論ですよ。あらぁ、これもご縁ですものねぇ」

 喋りながらゼスチャーで「換わる?」と聞いてくる母に、首を横に振る。また鈴木さんの賑やかな話に付き合わされるのはぞっとしない。

 紗枝はさっさと食べ終わると食器を片付け、台所を出た。母の電話は終わりそうにないので、そのまま居間でテレビをつける。

 昼間の公園の散策では特になんという話もしなかった。普通にありきたりな世間話をし、少し仕事の話をし、趣味の話なんかをしたくらいだ。石田の趣味は釣りらしい。紗枝は生まれてこの方釣竿を握ったこともない。紗枝の趣味はと言うと、庭いじりくらいだろうか。一応格好をつけてガーデニングと答えておいたが……。

 なんとも淡々と話していただけだった。嫌な感じもしなかったが、これと言って衝撃を感じるような出会いでもない。感想はと言われても「こんなモンでしょうか」としか言いようがなかった。そんなだから断られても仕方がないし、断られてもそれほどショックでもない。紗枝は自分で自分にそう言いながら面白くないテレビを眺めた。

 三十分ほどしてようやく電話が終わったらしい。母が居間にやってきた。

「上等じゃないの、上等じゃないの」

「え?」

 母は満面の笑みで紗枝の横に座る。

「お相手が自分から直接連絡を取らせて欲しいって言ってきたんだって」

「……はあ」

 紗枝はきょとんとした。

「鈴木さんが、アンタの携帯教えていいかって言うからOKって言っておいたわよ。文句ないわよね」

 有無を言わさぬ口調である。紗枝は肩をすくめた。

「石田さんから連絡あると思うから、失礼のないようになさいよ。あんたも大人なんだし、判ってるとは思うけど」

「……はあ」

「しっかりやんなさいよ」

 母は紗枝の肩をぱあんと勢い良く叩き、にこにこ笑いながら台所へと戻っていく。

 予想外の展開である。いつもならだいたいこの時点でお終いなのだが。まさかこんなに早く相手から反応が来るとは思わなかった。それも自分から直接連絡したいなどと言われたことは今までにない。しかし、一体自分のどこを気に入ってくれたのだろう。それほど中身の濃い話は何一つしなかったと言うのに……。

 それにしても年寄り相手の仕事でのんびりしていると鈴木さんは言っていたが、見合いの日取りの決め方といい、今回の反応といい、即断即決だ。なんだか全てが想定外だった。

 紗枝はぼんやりとテレビの画面を見つめていたが、少しも内容は頭に入ってこなかった。ふとレストランで見た石田の笑顔が思い出された。


続く

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