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猫日和  作者: 高遠響
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盆踊り

     盆踊り


「今夜の盆踊り、行くの?」

 縁側の縁に腰をかけて足をぷらぷらさせながら猫をおちょくっていた紗枝に、台所から母が声をかけた。

「え? あ、いたたた」

 振り向いた隙に猫が足にしがみつき、強烈な猫キックをかましてきた。慌てて足を引っ込めると猫は「ちぇっ。面白くねぇ」とでも言いたげに、ぷいっと横を向き、コンクリートの上でこねこねと身体をくねらせた。

「この莫迦猫~」

 足には数本の赤い筋がくっきりと浮き出てている。ほんの少しだが血がにじんでいるところもある。

「ああん、もう」

 紗枝は四つ這いで畳の上を動き、タンスの上の救急箱から消毒液をだした。

「何やってんの」

 アイスの棒を持った母が台所から出てきてあきれた顔で紗枝を見た。

「あんたもいい歳して、猫相手に何遊んでるんだか」

「猫といい歳ってのは関係ないと思うけど」

 紗枝は消毒液を足の傷に吹きかけながら顔をしかめた。猫の爪は相当不衛生らしい。ちゃんと消毒しておかないとひどく膿むことがある。……と、花音が言っていた。

「で、何て言ったの、さっき」

 紗枝が顔を上げて聞き直すと母が目の前にぬっとアイスを突き出した。紗枝はそのアイスを口で受け取る。痛みにも似た冷たさが前歯に染みとおる。

「盆踊りよ、盆踊り。あたしさ、婦人会の出店の当番当たってるからあんたも来なさいよ」

 母はちゃぶ台に両肘を乗せてアイスをかりかりと齧り始めた。

「今年もどうせジュースでしょ」

「ジュースと輪投げ。あんた、サクラ係ね」

「いやよお。それこそいい歳こいて、輪投げのサクラなんて」

 紗枝は冷ややかに言い切る。子供でもいれば話は別だがアラフォー女が一人で輪投げに興じている図など洒落にならない。

「まったく、頼み甲斐のない」

 母が面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「まあいいわ。それはそれとして、浴衣出しておいたから」

「浴衣?」

「そ。それ着て、写真撮って。見合い写真にするから」

「……またぁ……」

 紗枝は溜息をついた。またどこぞから釣書を貰ってきたに違いない。

「鈴木さんの従兄弟さんなんだけどね、独身なんだって。相手探してるって言うからさ。歳はあんたよりか三つほど下みたいだけど、病院に勤めてるんだってさ」

「医者?」

「な訳ないでしょうが! あんたに勧める相手よ、今さら医者なんて玉の輿のはずがないわ」

 つくづく酷い母親である。今さら……とはひどい言いようだ。紗枝は内心むかっとしたがとりあえず飲み込んだ。母の物言いにはもう慣れている。怒る方が損だ。

「なんとか療法士って言うんだってさ。リハビリの仕事だって」

 紗枝は「ふうん」と小さく相槌を打った。

 結婚したくないと言えばウソだが、見合いは好きではない。何度か経験したが、元々人見知りの強い方なので上手くいった試しがなかった。相手にしても四十歳過ぎになるまで独身でいるような男性だから、大人しく奥手な男性が多いようで、何度か会ってはみたもののこれという決め手もなく結局お断りする、もしくはお断りされるというパターンばかりだった。

「あんたの写真と釣書を渡すって約束したから、写真撮ってよ。最近ちゃんとした写真撮ってないでしょ。浴衣でも着たらちょっとはインパクトあるんじゃない?」

 紗枝は苦虫を噛み潰したような顔になりながら、アイスをがじがじと齧った。甘いはずの小豆バーなのにちっとも甘くなかった。


 黄昏時になる頃、母はさっそく浴衣を出して紗枝の前に置いた。

「この浴衣、新品じゃない。わざわざ買ったの?」

 見覚えのない柄に思わず目を丸くする。

「そおよぉ。あんたの浴衣、もう十年は着てるでしょ。いつまでも若い柄着てる場合じゃないの。歳相応の、でもいい柄着ないと余計老けてみえる」

 まったく一言言えば軽く十倍は言い返される。ちっとも気が乗らないが、ここで拒否するとまた母の嫌味が始まるので紗枝はしぶしぶ浴衣に袖を通した。利きすぎるくらいに糊が利いていてなんとも着心地が悪い。まるで旅館の浴衣だ。

 紗枝が不器用な手つきで空揚げをして紐でくくると、母が待ってましたとばかりに用意した帯を手渡す。

「どうせあんた自分で帯結べないだろうから、作り帯で。最近は便利よね~、大人でも作り帯があるんだから。七五三だわね、七五三」

 どうしてこう一言も二言も余計なのだろうか。紗枝は眉間に小さな縦皺を貼り付けながら黙って帯を結んだ。

 姿見の前に立ち、浴衣の襟や裾を整え、セミロングの髪を緩く結い上げてみた。中肉中背。今時は目も口も大きめでぱっとした派手な顔立ちが流行りだが、丸顔に大人しそうな顔立ち。いかにも純和風、紛れも無いメイド・イン・ジャパンと言った風情だ。深い緑色の地に落ち着いた色合いの赤い朝顔があしらわれた浴衣に緋色の帯という姿が自分でも驚くほどしっくりして見える。控えめながらもなかなか粋な感じだ。

 母が団扇を帯の後ろに挿しながら、満足そうに頷く。紗枝は先に口を開いた。

「馬子にも衣装って言いたいんでしょ」

「よくお分かりだこと」

 紗枝はその姿で庭先に出た。沈みかけた西日が作る長い影が狭い庭のあちこちに伸びている。

「影に入ってよ。フラッシュ焚くから」

 黄昏の金色の光を浴びて眩しそうな顔をしている紗枝に母が声をかけた。紗枝は建物が作っている大きな影の中に移動した。

「ちょっと斜めに構えて。その手、ぷらぷらしてないで前で組むとかしなさいよ、だらしないんだから」

 このカメラマンは注文が多い。紗枝は溜息をつきながら言われるままに姿勢を整えていく。

 こんな事を何度繰り返したことだろうか。今度もきっと空振りで終わるに違いない。肩の辺りに鈍い重りがのしかかっているような気分だ。

「もうちょっと可愛い顔して、ほらぁ」

 母の声が飛ぶ。どうせ可愛くありませんよ。だいたい可愛いって歳でもないし。ぶつぶつと口の中で文句を転がす。

「はい、撮るよ~。一足す一は?」

「……二」

 ベタな掛け声に合わせて、紗枝はしぶしぶ笑顔を作った。きっと可愛くない笑顔になっているだろう……。

 母は十枚近く写真を撮ってようやく気が済んだようだ。撮影会から解放され、紗枝はげんなりした気分で部屋に戻った。

 帯を解こうとして、ふと鏡に映った自分をまじまじともう一度見た。

「案外、イケてるよね……」

 身体の向きを変えて別の角度からも見てみる。なんだかすぐに脱ぐのがもったいないように思えてきた。

 紗枝の心をくすぐるように、盆踊りのお囃子が風に乗ってかすかに聞こえてくる。

「もうしばらく、着てようかな……」

 紗枝はその姿のまま、縁側に腰をかけた。


 家から歩いて十分くらいの公園で盆踊りが開かれる。公園と言っても取ってつけたようにブランコと滑り台が置かれているだけの、だだっ広い、むしろ広場と言った方がいいような公園なのだが、やぐらを組むには丁度良かった。

 紗枝は一人でふらりと公園に足を踏み入れた。

 大きな櫓から四方八方に橙色の灯りを灯した提灯が釣られ、暗闇の中で公園はぼんやりとした柔らかい光に包まれていた。櫓の上では音頭取りの一団が大きな音でエレキギターのチューニングや太鼓の試し打ちをしている。ざわざわとした喧騒と人々が踏む地面の音はこれから始まる踊りの前奏のようだった。

 人の集まりの外側にはフランクフルトや焼きとうもろこし、わたがし、くじ引きなどの屋台がずらりと軒を並べていた。辺りには醤油と油の焦げた香ばしい匂いや、リンゴ飴やわたがしの砂糖の甘ったるいむせ返るような匂いが既に立ち込めている。ふいに懐かしい夢の中にいるような錯覚を覚える。

「紗枝さん」

 後ろから声をかけられて振り向くと花音が友達と立っていた。友達はTシャツにジーンズ姿だったが、花音は黒地にピンク色の花柄模様の浴衣を着ている。細身の花音には少し大きいのか、胸元が妙に皺っぽくなっているのがなんとも子供っぽい。

「花音ちゃん、来てたの」

紗枝は花音の肩を軽く掴んで後ろ向けにすると脇の辺りを少し引っ張って胸元を直してやった。

「紗枝さん、浴衣、カワイイですね」

「……そお? カワイイ?」

「カワイイ、カワイイ」

 隣に立っていた花音の友達もうんうんと頷く。

 思わず紗枝は笑ってしまった。小学生にカワイイと言われるというのも変な気分だ。が、嫌な気はしない。

「お友達?」

「はい。クラスの友達」

 紗枝はまじまじと同級生という少女を見た。花音よりもまだ少し背が高く、全体的に大人っぽい雰囲気の女の子だ。花音のようなおどおどした雰囲気はなく、むしろ好奇心むき出しの瞳を紗枝にぶつけてくる。理由はないけど、この子は少し苦手だなと、紗枝は思った。

「花音、輪投げ行こう」

 友達が小さく花音の袖を引っ張った。

「これから輪投げに行くの?」

「はい」

「輪投げのトコに、うちの母がいるから。ジュースのオマケしてもらえるかもよ」

「やった!」

 友達の方が身を乗り出し、花音を強く引っ張る。友達に手を引っ張られ二三歩歩き出してから、花音が振り向く。

「後で寄ってもいいですか」

「いいよ」

 紗枝は笑いながら軽く手を振りながら、人混みに紛れていく二人を見送った。

 しばらく紗枝は一人でぶらぶらしていたが、イチゴのカキ氷を買うとベンチ代わりになっている植え込みの石の上に腰をかけた。シャクシャクと氷を崩しながらぼんやりと行き交う人々を眺める。

 櫓の周りでは踊りが始まっていた。まだ完全な輪にはなっていないが、ぱらぱらと踊りに参加する人が増えてきている。浴衣に身を包み、輪の中で生き生きと踊る高齢のご婦人方。きっと踊りの会の人達だろう。その後ろを小学生の低学年の子供達が見よう見真似でついて踊っている。手も足もばらばらだがそれがまた可愛くて、紗枝の頬も知らず知らずほころぶ。

 輪の中で見覚えのある女性が踊っていた。普段着のままで踊るその女性は小学校の頃の同級生だった。顔見知り程度の同級生だったが、地味な紗枝と違って彼女はクラスの中でもよく目立っていた。そう言えば学級委員なんかを務めていて、成績も良かった。ふと、花音の隣に立っていた女の子を思い出す。彼女も強い瞳の女の子だった。

 その女性の後ろには浴衣姿の小学生がくっついて踊っていた。時々振り向いてその子に話しかけているのを見ると、彼女の娘なのかもしれない。花音と同じくらいか、少し小さいくらいだ。

「そうだよね……そういう歳だよ」

 紗枝は小さく呟いた。これから見合いをして、結婚して、運が良ければ子供を持って、十年くらいしたら私もああやって子供と踊っているだろうか……。ふとそんな想像をしてみる。が、ピンとこない。小さな溜息を吐き出した。

「……帰ろ」

 紗枝は勢い良く立ち上がった。


 花音が家に立ち寄ったのはもうだいぶ夜も遅くなっていた。花音は一人でやってきた。

「あら、お連れは?」

「そこで別れました。あの、紗枝さん。浴衣脱いじゃったんですか」

 紗枝は普段着のワンピースに着替えていた。

「脱いだ脱いだ。窮屈だもの。それにね、あの浴衣」

 紗枝は声を潜めた。

「母の陰謀なの。見合い写真撮らされたわ」

「結婚、するんですか?」

 花音が目を丸くした。

「いや、見合いの話が来たってだけで。まだするかどうかもわからない。写真送って断られるかもよ。もうオバサンだから」

 少々自虐的な言い方だった。

「そんなことない。さっきの浴衣、凄く良かったですよ。絶対大丈夫です」

 花音が妙に確信を持った口調で厳かに断言した。紗枝は思わず吹き出した。

「ありがと。お茶飲んでいく? 遅いからお茶くらいしか出さないけど」

 紗枝は促したが、花音は首を横に振った。

「いいえ、今日はちょこっと寄っただけだから。これ、お土産」

 花音は手にぶら下げていたヨーヨーを一つ差し出した。白い風船にピンクや青の線が描かれてあり、花音の手の下で揺れる度にかすかな水音がしている。

「ありがとう」

 紗枝はそれを受け取った。

「じゃ、おやすみなさい」

「送って行こうか?」

「ううん、走って帰るから!」

 花音はペコリと頭を下げると駆け出した。花音の軽やかな乾いた足音が遠ざかっていく。

 紗枝はヨーヨーのゴムを中指にはめ、軽く手を上下させた。

 ぱしゃぱしゃぱしゃ……。

 水の重さが手の平に伝わってくる。その重さは花音の優しさだとふと思った。

 あんな娘がいたらいいのに……と、紗枝はヨーヨーを操りながら思っていた。


続く

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