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猫日和  作者: 高遠響
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猫日和

     猫日和


 昨日まで随分と冷え込んでいたが、今日はウソのように温かい穏やかな日差しだ。こんな日はひなたぼっこに丁度いい。そうだ、溜まっているセーターを洗濯して干しておこう。

 紗枝は猫の額ほどの庭先できらきらと踊っている春先の日光を見ながらそう思い立った。

 今日は土曜日で仕事も休みだ。幸か不幸かデートする相手もいない身である。こんな時は溜まってしまった家事を片付けるに限る。

 紗枝は洗濯機の置いてある脱衣場に向かった。洗濯機の横の二段になっているランドリーボックスの下には何度か袖を通して洗濯待ちのセーターが二枚ほど突っ込まれているのだ。鼻歌を歌いながらそれを洗濯ネットに入れて洗濯機に放り込む。このセーターもだいぶ長い間着ている。そろそろ職場に着ていくにははばかられるようになってきた。お局様の服装チェックに余念のない後輩達がきっとコソコソ噂する頃だ。

「浜本さんのあのセーターってさ、もう五年は着てるよね」

「あたしが就職した時には着てたよ、確か」

「物持ち良いよね~」

 褒められている訳では絶対にない。そんな事はわかっているけれど、そういう性格なんだからしょうがない。

 紗枝はちょっと顔をしかめた。

「どうせ地味で物持ちの良いオバサンですよぉだ」

 ごにょごにょと口の中で呟きながら、洗濯機の蓋をバタンと閉めた。

 紗枝が今の会社、大手スーパーの業務課で働き始めて十五年ほどになる。短大を出てしばらくはメーカーで勤めていたが、バブルが弾けた煽りで部署が解散となった。折りしも同居している母の体調不良もあって、自宅に近い今の会社に正社員として就職したのだ。給料は薄いけれど、自宅から自転車で十五分というのが最大のメリットだった。

 母の体調はそれからしばらくして回復したが、就職氷河期のご時勢に再び転職などと言う事は考えられなかった。結婚するまではここで頑張ろうかな……。そんな事も考えていた。それがこうも長く勤めることになろうとは……。

 自転車で十五分という立地条件は物理的には便利だったけれども、出会いは全くと言っていい程ない。そもそも郊外の、住宅地が続いている土地柄である。道すがら出会うのは登校する小学生とウォーキングの年寄りと、野良猫くらいなものだ。周りに歓楽街があるはずもなく、コンパや飲み会などと言うものは滅多な事ではなかった。

 不毛だなぁ、変化がないなぁ、などとのんびり思っているうちに、気がつけば紗枝も立派なアラフォーのお一人様になっていた。

 学生時代からの友人の中には紗枝と同様、お一人様というのはまだポツリポツリといるようだ。しかし紗枝と違って、キャリアを積み上げてバリバリと精力的に働いているか、流行の服を取り替えるように彼氏を次々と取り替えて遊び倒しているか、いずれにしても紗枝とは少々違うようだった。たまに同窓会で顔を会わして、最初の十分ほどはアラフォー・お一人様つながりで話をしてはみるものの、結局イヤになって自分からすーっとひいてしまうのだ。

 給料の多くを自分磨きに費やして、若さとこの世の楽しみの追究に余念の無い彼女達に比べて、なんと自分の貧弱なことか。器量は月並み、スタイルも月並み、ファッションセンスは地味で少々時代遅れ。趣味と言えば本を読むか、庭をいじるか。職場はスーパーだし、稼ぎだって断然少ないし、恋愛とは縁遠いし、人見知りで引っ込み思案……。彼氏いない歴なんて、もう数えるのはやめた。

 まるで小学生みたいな生活だ。いやいや、きっと今時の小学生はこんな地味な事はないだろう。小学生にも劣るということかと思うと、気分がどんよりしてしまう。だからと言って今さらドラマに出てくるようなスマートなアラフォーになんてなれるはずもない。

 なんだか自分の周りだけ時間が止まっているみたいだ。いや、本当にこのまま時間が止まっていたらいいのに。いっそ小学生くらいに戻って、そこで止まっていたらどんなに楽だろう。そんなとりとめない後ろ向きな思いを胸のうちでとろとろとかき混ぜながら、それでも無情に歳は取っていく。時間とはなんとも残酷なものだ。

「あ~あ……」

 紗枝は縁側に腰を下ろし、子供みたいに足をぷらぷらさせた。紗枝の心のうちとは裏腹に春の日差しはほんわりと彼女の身体を包み込み、しなびている心を少し慰めてくれる。

 紗枝は目を閉じて空を仰いだ。瞼が透けて赤く見える。子供の頃からこうやってお日様を感じるのが好きだった。こうしていると、落ち込んでいても「ま、いいや」というような気分になるのだ。それがいいのか悪いのかは別だけれど。

 どのくらいそうしていたか、ふいに「ぶにゃあ」という妙な声が聞こえた。目を開けると目の前の塀の上に、一匹の猫が座っていた。

「……ぶっさいくな猫」

 紗枝は思わず呟いた。

 白っぽい銀色がかった縞模様は少しアメリカン・ショートヘアーにも似ていたが、汚れているのかそういう模様なのか、全体的に薄汚れている。身体全体から滲み出てくる雰囲気は間違っても血統書付ではなく、札付きの雑種といった感じだ。ぼってりメタボ体形で、目つきはとてつもなく陰険である。どうみても野良猫なのだが、不釣合いな紅い首輪をしているところをみると飼い猫らしい。それにしてもこんな不細工な猫を飼うとは物好きな人もいるものだ。

 猫は塀の上からじとーっと紗枝を見つめ、また一鳴きした。にゃあ、などと可愛いものではない。ぐぎゃあ、とも、びゃあ、ともとれるような、とにかく濁点がてんこ盛りでくっついているような低いだみ声だ。なんとも可愛くない声である。

「森山周一郎か、アンタは」

 思わず猫に突っ込む紗枝であった。

 それにしても見た事のない猫だ。どこから来たのだろうか。

「……なんでもいいけどさ、花壇掘り返してウンコしないでね、アンタ」

 紗枝は猫に向かってしゃべりかけた。猫は逃げもせずふてぶてしい態度で紗枝を見据えている。そして返事をするように、ぶにゃ……と唸った。

「……」

 猫は塀の上で座り込み目を閉じているのだが、時々薄目を開いては縁側でやはり座り込んでいる紗枝の存在を確認しているようだった。紗枝は紗枝でぼんやりとひなたぼっこをしながら、時々塀の上へと目をやり、そこでくつろぐブタ猫の存在を確認するのだ。

 お互いに警戒しているといった風情でもなく、かと言ってなついているのかというとそういう訳でもない。初対面なので当たり前なのだが。そこにいる事をなんとなく意識しながら好き勝手な時間の過ごし方をしている。まるで、すっかり会話の無くなった老夫婦みたいだった。


 その猫はその日から頻繁に庭に来るようになった。紗枝がそこにいるのを知ってか知らずか、天気の良い日には塀の上でしゃがんで日光浴を楽しんでいる。紗枝も猫の姿が見えるとなんとはなしに縁側に出て一緒にくつろぐのだ。

 そうこうしているうちに紗枝が人畜無害な人間である事がわかったのか、塀から下りて縁側の下のコンクリートの上でごろごろするようになってきた。温まったコンクリートに鼻から頬をこすりつけながらにょろにょろとうねる様はまるでこの家の飼い猫である。そのくせ、紗枝が触ろうとすると陰険な目つきでじろりと睨みつけるのだ。あの目を見ると伸ばした手を思わず引っ込めてしまう。

「アンタってさ~、やっぱり可愛くないよね」

 猫にメンチを切られる度に紗枝は溜息をついた。猫にも人にも押しの弱い紗枝なのである……。


続く

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