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猫日和  作者: 高遠響
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プロローグ

     プロローグ


 青い空、白い雲、広がる緑の地平線。ところどころに生い茂る豊かな実りの森や林。人間が創られた頃、最初に住んでいたであろう楽園。そう、ここは天国。世知辛い人間世界で生を終えた魂が召されて、新たな命を得る場所。ここにあるのは永遠の安らぎと平安。なんの苦しみも悩みもない……はずなのだが……。


『天国スピリチュアルカウンセリング』

 十字架に豪華な金ぴか文字で書かれた大層な看板のかかった事務所は今日もお客様で混雑している。待合室のピカピカ光る木製のベンチには悩める魂達がお行儀良く座って順番待ちをしていた。

 あちらこちらで自分の抱えるお悩みを隣の人に打ち明けている姿が見られる。

 白い壁には金色の十字架が描かれた扉が何枚もある。人間世界にいる頃の超高級ホテルのラウンジにあるトイレみたいだと、誰かが言った。残念ながら、この扉はトイレの扉ではない。魂にトイレは不要なのである。扉の向こうはカウンセリングルームになっていて、そこで魂達はカウンセラーのお勤めをする御使いに自分の悩みを告白するのだ。それぞれの扉の向こうは個室になっていて、御使い(みつかい)と呼ばれるカウンセラーが魂達の心のケアをしている。

 さて、六十七番とかかれた扉の御使いはというと、丸っこい体形の中年女性の姿をしていた。可愛らしい赤ちゃん姿の天使を想像してこの部屋に入った魂はたいがいずっこける。白いローブに白い羽根が取ってつけたようだ。とんでもない御使いカウンセラーがあったものだが、この御使い、これでも結構ベテランで腕は確からしい。

 先ほどから長時間居座っていた魂が、ようやく心のもやもやを解決出来たらしい。

「アンタの悩みはこれで解決だね、はい。一件落着! もう迷ってんじゃないわよ~」

 晴れ晴れした表情の悩める魂を部屋から出すとオバチャン御使いは大きな溜息をついた。

「しっかし、人間ってのはなんで死んでまで悩みを抱えてんのかしらね~。悩んだって始まらないっちゅうの」

 やれやれ……と、肩をすくめてみる。肩こりなんてものは人間の特権だと思っていたが、最近羽根の付け根がなんとなく痛いのは気のせいだろうか。

「よっしゃあ、ファイト一発や! はい、次の方!」

 ぽちゃぽちゃした頬っぺたを両手でパチンとはたき、気合を入れ直すと、半ばヤケクソで元気良く声を出す。その声を待ちかねていたように扉が開き、一人の迷える魂が転がり込んできた。

「え~っと、アンタは……」

 御使いは手元のカルテを見た。

「浜本雄治、享年五十六歳、日本人……、元大工さんっと。大工、いいんじゃないの~、うちの親方は人の子だった頃、大工やってたのよぉ」

 御使いは目の前でおどおどしている迷える魂、浜本雄治をリラックスさせようとわざと軽い調子で声をかけた。浜本はおどおどと頷いてみせた。

「は、はあ、そうっすか」

「アンタ、あんまり大工っぽくないわよね。ひょろっとしてさ。まあ、うちの大親分も人間だった時は相当ひょろっとしてたけど。木材とか担げてたわけ?」

 浜本があんまりおどおどしているので御使いは机越しに身を乗り出して顔を覗き込んだ。頬が少々こけていて端正な顔の造作をしている。眼光が鋭ければ結構シャープで強面に見えそうだが、こうもおどおどしていたのではただの貧相な初老のオッサンだ。

「は、はい。力は案外ありまして……」

 申し訳なさそうに身体を小さくして浜本は答えた。

「そんなに怯えないでよぉ。まるでアタシが苛めてるみたいじゃん。で、アンタのお悩みは何よ」

 御使いは精一杯優しい笑顔を作ってみせた。浜本は上目遣いで御使いを見ながらおずおずと口を開いた。

「む、娘が……私が死ぬ時にまだ高校生だったんですけど、娘の事が心配で心配で……」

「娘さん、か」

 御使いは手元のカルテに目を移した。浜本の家族歴を指で辿る。

「あ~、この娘さんね。四十歳の時の子かぁ。遅い子って可愛いらしいね」

「ええ、もう、そりゃあ……。待ちに待った女の子だったし」

 おどおどしていた浜本の顔にとろけるような笑みが浮かんだ。よっぽど可愛がっていた娘なのだろう。

「それこそ目の中に入れても痛くないってこの事だなって思ったっすよ」

 御使いはうんうんと頷いた。こんな時の人間はなかなか可愛げがあるものだ。

「のんびりしてて、そりゃあもう、優しい子で。そんでもって、私に似てて、親の私が言うのもなんですけど、これが案外美人なんですよ。この子が花嫁になるのを心待ちにしていたんですけど……」

 浜本は急にしゅんと肩を落とした。

「私が不慮の事故ってやつで……」

 御使いは手元のファイルをちらっと見た。

「あ~、強風に煽られて、足場から落っこっちゃったんだね」

「はい……。十五メーターほど、ひゅーっと」

「そりゃあ、気の毒だったわねぇ」

「気が付いたらもうこっちに来ちゃってたって訳でして。それこそ、何が何やらさっぱりわからなくて……。つい最近になってようやく自分が死んだんだって気付いたくらいでして……」

 それは随分とのんびりした話だ。娘がのんびりしているというのは間違いなく父親似だろう。

「娘はどうしてるだろう、母ちゃんはどうしてるだろう、そればっかり気になっちまって、夜も眠れないんです……」

「死んでまで不眠症とは気の毒だわねぇ、アンタも」

「……はい」

 御使いは机越しに手を伸ばして、浜本の肩をポンポンと叩いた。

「大丈夫よ、あたしがちゃんとアンタの力になったげるから」

 そして机の引き出しを開けると一枚の紙を取り出し、浜本の見える方向へ向けて置いた。

「はい、このフローチャートを辿ってね」

 浜本は指でおずおずと紙に書かれた四角を辿っていく。

「矢印を辿ればいいんですか? ええっと、まず、性別は……男。買い物をする時に時間をかけて悩む方? ……これは、はい。……畳と女房と車は新しい方が好き? なんだ、こりゃ。ううん、……いいえ、にしておこうかな……」

 眉間にシワを寄せながら、うんうんと唸りながらフローチャートに向かう姿を見て、御使いは手元のファイルに『かなり生真面目』と書きとめる。こういうタイプは引きずるのよねぇ……。

「はいはい、何タイプになった? Bね、オッケー」

 御使いは浜本からフローチャートの紙をさっと取り上げると、コホンと咳払いをし、姿勢を正した。

「アンタがその重荷から解放されるには、未練を残さない。この一言に尽きる訳よ。でも、アンタのその生真面目な性格から考えると、なかなか割り切れないと思うのね。カウンセリングに通ったところで、なかなか納得しないと思うし。こういう時はね、一発、思い切った手立てで行くしかないわね」

「思い切った手立て?」

「そう。アンタの記憶をすっかり消去しちまうのよ」

「き、記憶の消去?」

 浜本は素っ頓狂な声を上げた。

「そう、元はと言えば生前の記憶があるから苦しい訳じゃない? それが無ければ全部解決! すっきりするわよ~。肩こりも治るらしいし」

 御使いは豪快にがははと笑い飛ばした。それとは反比例して浜本の顔が悲壮な表情になってくる。そして頭を抱えて喚き始めた。

「そ、そんな有り得ない! 娘の事も母ちゃんの事も全部忘れるなんて、そんな事は絶対に有り得ない! いや、いや、いや、いやです、絶対にいや! そんな事するくらいなら、死んだ方がマシだ!」

「……いや、既に死んでるから、アンタ。わあ?!」

 浜本はぐいっと手を伸ばすと御使いの胸倉を両手で掴み、ゆさゆさと揺さぶり始めた。

「お願いですから、そんなひどいこと言わないで下さい!」

「だああああ、やめて、やめて、苦しい~」

 御使いは浜本から逃れようと羽根をばたつかせた。白い羽根がひらひらと抜けて舞い落ちる。ようやく浜本の手を払いのけると、ぜえぜえと肩で息をした。

「無茶するわ、この人」

 御使いの胸倉掴んで締め上げるなんて前代未聞だ。いや、人間に胸倉を掴まれてぜえぜえ言わされるなんて御使いの恥である。

「だってねぇ、考えても見なさいよ。ここは天国なのよ。アンタの娘がまっとうに生きて天寿を全うすりゃあ、いずれはコッチで会えるじゃないの。ここの時間なんてのは下と違ってね、長いと思えば長くなるし、短いと思えば短いもんよ。それまでのんびりしてりゃなんの問題もないの! でもね、アンタ、フローチャートでわかったでしょ? うじうじ考えちゃって、それが出来ないんでしょ? 天国まで来て、そんなネガティブに過ごされちゃ、天国の価値が無いじゃないのよ。それに結構影響されやすい魂も多いんだから、あんまりネガティブ思考を撒き散らさないでほしい訳! そんなら一番手っ取り早いのは忘れちゃうことじゃないのよ!」

 縦板に水。流れるような御使いの言葉に、浜本は瞳をうるうると潤ませながら懇願した。

「そんな娘がコッチに来るって事は、娘が死んじまうって事じゃないですか。娘の死を待ち望む親が何処にあるってんです? それにそれまでに娘がどんな人生を歩むか、それが気になって仕方ないんです!」

「そんなの、娘に聞きゃいいのよ。娘がコッチに来た時に」

「だから、娘がコッチに来るなんて~!」

 御使いはわざとらしいくらい大きなため息をついてみせた。

「あのねぇ、皆いずれは死ぬように出来てるの。この世に生まれたものは必ず一回は死ぬようになってるの! セットなの、セット!! だから心配する必要ないの!」

「わかってますよ、それくらい~。私だってこうして死んでるんですから!」

 浜本は机に突っ伏しておいおい泣き始めた。

「わかっちゃいるんです、そんな事。でも我が子が幸せになって欲しいって、幸せな人生を送って欲しいって、親は願うもんじゃないですかあ。せめて娘が伴侶を見つけて、自分の家族を持つところくらいまでは親としてみてやりたかったんですよぉ! だって、まだ高校生なんですよ、アイツは。まだまだ子供じゃないですかあ。親なんて皆そういうものじゃないんですかあ?」

「……まあ、ね。そりゃ、わからないでもないわよ」

 御使いはばつが悪そうに頭を掻いた。

「アンタだけじゃなくてね、時々、想いが強すぎてコッチに上がってくるのを忘れちゃう人もいるくらいだから。アンタも一歩間違えばそういう彷徨う魂になっちゃったクチだろうね。よく上がってこれたわよ。それだけでもラッキーじゃん」

「何がラッキーなんですか」

 浜本はがばっと顔を上げると今度は床に這い蹲り、土下座した。

「お願いです! 私をもう一回だけ娘に遭わせて下さい! 遠くから見るだけでもいいんです。娘がどんな生活を今送っているのか、それを確認出来ればそれでいいんです!」

「ちょっと、辞めてよ、土下座なんて」

 御使いは慌てて浜本に駆け寄ると、抱き起こそうとした。

「人間に土下座させたなんて知れたら笑いモンにされるのは私なんだから。それにねぇ、よく考えて見なさいよ。仮に娘さんに遭ったとしてよ? 彼女が思ったほど幸せでなかったらどうするのよ。もしかしたら、道を踏み外して、うんと不幸せになってるかもしれないじゃんよ。もしかしたら、もしかしたらよ? それこそ地獄に落ちるくらい悪い女になってるかもしれないよ?」

「私の娘がそんな娘になるはずないっ!」

 浜本が再び胸倉を掴みそうになったので、御使いは慌てて飛び退った。ぱたぱたと宙を舞いながら大声で言う。

「例えば、の話でしょうが、まったく! アンタ、自分の娘の事を信頼してるのかしてないのかわかんないわね。いい? 仮に不幸な人生を歩んでいたとしても、よ。アンタはどうしようもないの。彼女の人生にアンタは何もできないんだから。見るだけ無駄! 無駄、無駄! 悩みの種が増えるだけ!」

 浜本はがっくりとうなだれた。そのまま子供のように泣きじゃくっている。

「……」

 御使いはゆっくり舞い降りた。人間と言うものはなんともややこしいものだ。何ゆえに神様は人間をこんなに複雑怪奇なものにしてしまったのだろう。もっと単純に物事を考えるようなものしてあげれば楽に人間をやっていけるだろうに。考えようによっては気の毒な生き物だ。

「わかりました」

 だいぶ時間が経ってから、しなびた大根の葉っぱみたいにうなだれていた浜本がゆっくりと顔をあげた。

「あなたのおっしゃる事、よくわかりました。確かに、おっしゃる通りです。今の私が娘のために何をどうしてやれるものではない。その通り、その通りです。でも、だからこそ、お願いいたします!」

 浜本は両手を合わせて御使いを見上げた。

「どんな形でもいい。もう一度だけ、娘に遭いたいんです。お願いします」

「わかってないじゃん、ちっとも」

 堂々巡りのやりとりに御使いはクラクラし始めた。

「いいえ、わかってます。一度でいいんです。娘の顔を見れたらそれでいいんです! 娘の笑顔を見れたら、それでいい。それで金輪際娘の事は心配しません。もし、もしも、娘が不幸な道を歩んでいるなら……」

「その時は、どうするの」

「……その時は、即座に私の記憶を消去してください。娘の事も、何もかも全て」

「何もかも全て?」

「そうです。何もかも。私が私である事も含めて、全部消し去ってください。それが出来ないなら地獄に落っことしてくださっても結構だ」

 御使いは目をぱしぱしと瞬かせ、何か言おうと口を開いたが言葉が見つからず、また口をつぐんだ。

 浜本は涙でうるうるしている瞳で足元からまっすぐに御使いを見つめている。

「そんなねぇ、捨て猫みたいな目で見ないでよ。私が不眠症になるわ」

 御使いはう~っと唸りながら髪の毛をかきむしった。

「わかったわよ。ちょっと神様に相談してみるから……。言っておくけど、お許しが出るかどうかはわからないわよ! こんな事滅多にないんだからね! それにどんな形でそれがかなえられるかもわかんないんだからね。文句言わないでよ」

「あ、ありがとうございます」

 浜本は再び土下座をした。

「もし許可が出なかったその時は慣例通りに対処させてもらうわよ。要するに速攻でアンタの記憶を消去する。わかったね?」

「はい!」

 御使いは困ったような笑みを浮かべると浜本の肩をポンポンと叩いた。

「人間ってのは、ほんと、困った生き物だわ……」


                                             続く

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