お幸せに
あの人は私が不登校になってから、一度も会いにこない。私のことを心配している振りをして、ただただおざなりな電話をかけてくるだけだ。
お母さんは私を部屋に閉じ込めて、私の話をまともに聞こうともしない。私のことをいつまでも子供扱いし、ただただ今からどうにかならないかと右往左往するだけだ。
お父さんは仕事にかまけっきりで、私の顔すらまともに見ようとしない。私のことをお母さんに任せっきりして、ただただ私のことをいないかのように扱うだけだ。
兄は自分から部屋に閉じこもって、そこから出てこようとしない。私のことに気づきもせずに、ただただご飯を食べてトイレにいくだけだ。
私は自分のことなのに、自分がどうしたいのか分からない。私のことだと思いたいのに、ただただ時間だけが過ぎていく。
時間は本当に過ぎているのだろうか。毎日が同じように過ぎていき過ぎて、私にはそれが毎日違う日々だと思えなくなってくる。
時間が過ぎているという実感が私の意識には湧かないのだ。
否応無しに私に時間の経過を知らせるのは、日々変わっていく私自身の体だけだ。
あの人からの電話は日に日に少なくなっていった。
お母さんは毎日泣くだけ。
お父さんはそんなお母さんを毎晩叱るだけ。
兄は終日食べて出すだけ。
私はぼうっと日々を過ごすだけ。
そんなある日友達から電話がかかってきた。友達だと思う。思えばこんな時に全く相談した覚えがない。
先生が結婚するらしい。皆でお祝いに駆けつけるとのこと。
正式に呼ばれた訳じゃないから、サプライズで駆けつけて驚かせやるつもりらしい。
ねえ、だから久しぶりに会わない?
何も分かっていない子供な考え。
やっぱりこいつは友達じゃない。
不登校な人間を何とか誘い出そうとする幼稚な友情に酔っているだろう。
今すぐ切ってやりたい。だが私の脳裏に一つの考えが思い浮かぶ。
私は電話口で友達ごっこにつき合いながら、先生の結婚式に出ると答えてやった。
皆が驚いた顔で私を迎えた。集合場所に選んだ結婚式場のロビーで、皆が言葉を失っている。
久しぶりに着た学校の制服。やっぱりそれは今の私には少々きつい。そのせいだろう。
ふん。今更驚くなんて、やっぱり私達はただの友達ごっこだったんだ。
電話やメールで用件を済ましているから、会えば一目瞭然の私の状況に気がつかない。
私は驚いているクラスメートを尻目に、ロビーを一人すたすたと歩いた。
結婚式は丁度披露宴の最中だった。ドアを開けると先生が幸せそうな顔で、司会者からの質問に答えていた。
子供は何人欲しいですか? という質問に。何人でも。できれば男の子が欲しいとか答えている。
出席者の皆は壇上に注目していて、入ってきた私に気づかないようだ。
私は壇上の先生の前に立つ。
先生が驚いた顔でこちらを見た。先生の視線につられ、皆の注目が一瞬で私に集まった。
お幸せに。おめでとうございます。
ちゃんとそう言うつもり。
お幸せに。
ほら、言えた。
おめでた――
ああ、言い間違えちゃった。
でもわざとじゃないんですよ。お腹を急に蹴られたからですよ。
けどこんなに元気な子ですから――
私に最近ろくに電話もくれなくなった先生。
式場の視線を一身に浴びているこの人に、
あなたが欲しがっている男の子だと思いますよ――
って、にっこり微笑んで私は言ってやった。