表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

白愛恋愛中

作者: DAY3
掲載日:2026/05/30

「俺に会いたい人?」


「そそ、若葉ちゃん。聞いたことない?」


「聞いたことないな……というか」


 一樹の突拍子もない提案に、俺は手元にあった無機質なレジュメをパタンと閉じた。

 講義棟の窓の外には、見慣れた東京の景色ではなく、まだどこか余所余所しい京都の街並みが広がっている。春の陽光が散りゆくキャンパスを照らし、季節の移ろいだけが静かに時を刻んでいた。


 一樹の話を要約するとこうらしい。

 なんでも、この京都丹波南国際大学の構内で俺が何気なく助けた女子学生がいて、そのお礼として「お茶でもいかが?」と誘われているのだという。だが、その感謝の言葉の裏には、若葉さんという名の彼女の……。


「まず、俺はこっちに来てから、他人に恩を売るような善行を働いた記憶が一切ないんだが……」


「いや~? そんなこと言ってぇ。若葉ちゃん、お前のこと嬉々として話してくれてたんやで? ……っておいおい! そんな『何言ってんだこいつ』みたいな目でこっちを見るなや!」


 涼太郎――改め俺は、眉間に皺を寄せてもう一度記憶を反芻してみる。だが、どれだけ探っても「若葉」という優美な名前の少女に心当たりはない。それどころか、困っている誰かを助けたという記憶すら希薄だ。


「そうは言っても……本当に俺に対しての用なのか? 人違いなんじゃ――」


「お前はほんまに、まだるっこいねん! 細かいことはええやん。若葉ちゃんからのお誘いやぞ、素直に乗っかって楽しんでこいって!」


 押し切られる形で、俺は「若葉ちゃん」なる自分に身に覚えのない恩人との待ち合わせ場所、大学近くのカフェへと足を運ぶことになった。



 ……のだが。



 俺の目の前には、確かに「若葉」と名乗る女性が座っている。しかし、状況は予想の斜め上をいっていた。

 店内の隅の席に、いつもつるんでいる連中の姿があるのだ。彼らは変装しているつもりなのだろう。サングラスに、マリオのような立派な付け髭を装着し、明らかに周囲から浮いた怪しげなオーラを放ちながらコーヒーを啜っている。

 はっきり言って、変人以外の何者でもない。

 いや、彼らが座っているだけならまだ良かった。問題は、彼らが俺と若葉さんの会話を至近距離で聞き耳を立てていることだ。


 居心地の悪さに俺が視線を泳がせていると、目の前の彼女が少し首を傾げた。



「えらい遠くを見てはったけど、どないしはったん?」


 すごく、すごくコテコテな京都弁だった。


「……少し緊張していてな。」


 俺が曖昧に答えると、若葉はふわりと微笑んだ。その笑顔は美しい。だが、彼女の瞳がゆっくりと俺を射抜く。まるで俺の心の奥底に隠した不安や、取り繕った言葉の裏側までを見透かすような、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳。

 その視線に射抜かれた瞬間、俺は背筋が凍るような感覚を覚えた。


「緊張、ねぇ。お互いを知らん者同士、探り合うのも一興や思てましたけど……あんまりよそよそしいと、距離、なかなか縮まりまへんよ?それに、」


その言い回しは、端から聞けば穏やかな社交辞令だ。しかし、どこか鋭利な刃物で線を引かれているような、妙な威圧感がある。

 ――綺麗な言葉だ。けれど、怖い。

 恐怖を感じつつも、俺はその美しすぎる京言葉の旋律に、どこか抗いがたい魅力を感じていた。


 その時だった。


 隣のテーブルで子供が喚き散らし、あろうことか若葉の背後へ猛スピードで突っ込んできた。


「危ない」


 俺は短く呟くと、反射的に立ち上がった。

 無駄のない動きで子供の進路を遮り、その肩を掴んで勢いを殺す。同時に、テーブルからこぼれそうになった彼女のアイスコーヒーのグラスを逆の手で捕らえ、元の位置へ静かに戻した。


 一瞬の静寂。店内の喧騒が嘘のように止まった。


 子供は呆気にとられ、若葉は目を見開いて俺を見上げている。俺は子供の頭を軽くポンと叩き、「走ったらあかんよ」と、先ほどの彼女の言葉を借りて淡々と諭した。

 少しだけ濡れた指先をナプキンで拭いながら、俺は表情を変えずに彼女へ向き直る。


「悪い。君の優美な言葉を遮るつもりはなかった。ただ、コーヒーが零れたら、君の服も台無しになるだろう」


 感情の乗らない、凪のようなトーン。さらりと放たれたその言葉に、若葉の頬が瞬く間に茹でタコのように赤く染まった。先ほどまでの「怖いくらい綺麗な京都弁」でマウントを取っていた余裕はどこへやら、彼女は視線を彷徨わせ、蚊の鳴くような小さな声で呟く。


「あ、ありがと、う……」


 その瞬間、背後で「ガタッ!」と大きな音がした。

 振り返ると、サングラスと髭を装着した連中が、椅子ごとひっくり返って悶絶している。


「あいつら……」

 俺は小さく息を吐き、無表情のままこめかみを揉んだ。若葉が赤面しているのは、俺の言葉のせいなのか、それともあの滑稽な連中のせいなのか。どちらにせよ、この静かなはずのカフェが、急に騒がしくなったことだけは確かだった。


沈黙が流れる。若葉は俯いたまま、小刻みに震える手でカップを握りしめていた。その横顔は、先ほどまでの「探りを入れる女」の面影など微塵もなく、ただ初恋に戸惑う少女のように見えた。


「……あの」


 若葉が蚊の鳴くような声で口を開く。


「急に、思い出してん……。今日、この後どうしても外せん用事があったん忘れてて」


 彼女は俺の顔を直視することができないのか、視線を明後日の方向へ向けたまま、耳まで赤く染めて腰を上げた。


「ほんまに、ごめんね……。今日は、お茶……誘ってくれて、ありがとう」


 礼を言うと、彼女は俺の返答を待たずにそそくさとカフェを出て行った。その足取りはどこか浮ついていて、店を出る直前、扉の枠に軽く肩をぶつけていた。

 彼女の姿が見えなくなった瞬間、背後から荒々しい気配が近づいてきた。 


「おい、涼太郎!! お前ぇ、今の何やねん!」


 サングラスに立派な付け髭をぶら下げたまま、一樹が鼻息荒く俺の席に滑り込んできた。その後ろからは涼太郎の友人数名が、呆れと羨望が入り混じったような顔で詰め寄ってくる。


「お前、『服が汚れるだろう』って……! あんなベタなセリフ、なんであんな真顔で言えるんや!お前は心までイケメンか!!」


「……ただ思ったことを言っただけだ」


 俺が淡々と答えると、連中は声を揃えて「それが一番ムカつくねん!」と頭を抱えた。


「で、若葉ちゃんの連絡先は交換できたか? 聞いとらん訳がないよな?」


「……いや、実は今しがたスマホに通知が」


 俺が画面を見せると、そこには若葉からの短いメッセージが表示されていた。


『今日はほんまにごちそうさまでした。次は、もっとゆっくりお話ししたいです』


 それを見た一樹たちが、目を剥いて絶叫した。


「……次や、次!! お前、今すぐ返信せえ! 次は絶対、お前から若葉ちゃんと遊ぶ約束を取り付けるんや!」


 わめき散らす友人たちを放置して、俺は小さく溜息をつく。だが、心心のどこかでは彼女との連絡を喜ぶ気持ちがあった。




あのカフェの一件から、俺と若葉ちゃんの距離は急速に縮まった。一樹たちが焚きつける「若葉ちゃんハッピー作戦」は、いつの間にかただのデートの予定へと成り代わっていた。


 遊園地では、絶叫マシンで悲鳴を上げる彼女の横で、俺は無表情のまま風を切った。動物園では、レッサーパンダの愛くるしい動きに頬を緩める彼女を、俺はただ隣で守るように歩いた。水族館の青い光の中で見つめ合い、映画館の暗闇で偶然手が触れそうになり、そのたびに若葉は茹でタコのように顔を赤くした。


 どこへ行こうとも、彼女は俺の無機質な反応にいちいち動揺し、そしてそのたびに、京都弁が崩れるほど真っ赤になって照れる。そんな彼女の姿を見ているのが、最近の俺の日常になっていた。



 ……そして、今日。

 俺たちは再び、いつものカフェで向かい合っていた。




カフェの窓から見える京都の景色は、あの日と何も変わらない。行き交う人々の喧騒、春の陽光に透ける木々のざわめき。しかし、今の俺たちの間には、あの頃にはなかった言葉では形容しがたい確かな重みが堆積していた。


 若葉は、いつも以上に背筋を伸ばし、唇を震わせていた。先ほどから彼女の視線は、冷めたアイスコーヒーの表面に浮かぶ氷の一片を追ったまま、どこにも定まらない。


 店内に流れる穏やかなピアノの音色が、今の俺たちにはやけに大きく、そして残酷なまでに澄んで響く。


「……涼太郎くん」


 若葉が名を呼ぶ。その声は、これまで聞いたどの音よりも微かな震えを帯びていた。

 彼女がゆっくりと顔を上げる。その瞳には、隠しきれないほどの熱と、祈るような色が宿っていた。それは、これまで俺が見てきたどの表情よりも深く、鋭いものだった。


「今日は、きてくれてありがとう。ずっと言いたことがあるんやって言って、たん覚えてる?その、うちあなたに伝えたいことがあって、な。」


 彼女は一度だけ小さく深呼吸をした。その呼吸音さえも、張り詰めた空気の中では鮮明に聞こえる。


「あなたのことが、めちっちゃ好きになってしもうたみたいで。うちと付き合わへん……?」


 それは、これまでデートで見せてきた照れ隠しも、駆け引きの京都弁も、すべてを削ぎ落とした、あまりに真っ直ぐな言葉だった。

 カフェの時間が止まったかのような静寂。

 返事を待つ間のわずかな沈黙が、まるで永遠のように長く感じられた。若葉は握りしめた拳を震わせながら、息を殺して俺の返答を待ちわびている。その横顔の線の美しさが、今の俺には酷く痛々しい。

 俺は表情を変えず、ただゆっくりと、静かに首を横に振った。


「……すまない」


 その言葉を落とした瞬間、彼女の瞳から光がスッと引いていくのが分かった。

 驚き、戸惑い、そして徐々に理解が追いついていく。彼女の表情が、春の冷え込みのように悲しみに塗り替えられていく様を、俺はただ真っ直ぐに受け止めるしかなかった。


「……そっか。、そう、やんな……」


 彼女の声が、涙で湿り気を帯びて掠れる。

 俺は、自身の感情が欠落しているという事実を、あえて残酷なまでに淡々と、しかし一言一句を慎重に選びながら告げた。


「俺には、世間でいう『恋心』というものが、どうしても分からないんだ。君と一緒にいて、君の笑顔を見るのが心地よいと感じることはある。だが、それを『愛』や『情愛』と呼んでいいのか……俺の中で、その定義が正しく結びつかない。今の俺が、君のその真っ直ぐな想いに応えることは、君を欺くことになる」


 若葉の肩が、小さく落ちた。

 大粒の涙が、彼女の美しい頬を伝い、テーブルの上にぽつりと零れ落ちる。彼女は必死に涙を拭おうとするが、瞳から溢れてくるものを止められず、肩を小刻みに震わせた。


「……そんなん、理由にならへん……うち、悲しい……」


 泣きじゃくる彼女を見て、俺は懐から小さな桐の箱を取り出した。

 それはずっと前から用意していたものだ。彼女の艶やかな黒髪に似合う、京の職人が手掛けた繊細な透かし彫りの髪飾り。

 俺は、その箱をゆっくりと、彼女の前のスペースへ滑らせるように差し出した。

 蓋を開けると、繊細な細工が店内の光を反射し、小さく静かに輝いた。それは、言葉を持たない俺の唯一の意思表示だった。


「……だけど、俺にできる限りのことをしたいとは思う」


 俺は彼女の瞳を見つめた。

 表情筋のすべてを使い、ごく僅かに口角を上げた。それは、俺にとって人生で最も困難で、人生で最も誠実な所作だった。


「恋という定義は分からない。だが、君を大切にしたいという気持ちだけは、この心の中に確かに存在している。……これは、俺からの、俺なりの細やかな気持ちだ。もし良かったら、受け取ってくれないか?」


 その言葉の重みが、静寂の中に溶けていく。

 若葉は、信じられないものを見るようにその髪飾りと、そして俺の表情を交互に見つめた。

 涙で濡れた彼女の瞳には、まだ深い戸惑いと、その奥底に灯り始めた微かな希望が、不規則に揺れていた。



 カフェの喧騒が遠のく。

 そこには、定義できない感情を抱える男と、その不器用な誠実さに心を突き動かされた少女が、沈黙の中で静かに向き合っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ