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望んだ『全部』

作者が嗚咽吐きながら書いたエピソードです。

claudeに添削求めたら無料相談ダイヤルを提案されました。

最近、ムギが寄ってこない。


気のせいかと思っていた。でも秋が深まってきてからムギはいつも蓮の横にいる。私の方には来ない。たまにぐるりと周囲を見回す素振りは見せるけど起き上がって寄ってこない。それも日に日に反応が薄くなっている気がする。

ベッドに横になって天井を眺めながら回想する。

私は目の前にいるのに認識されていない、そんな気がして怖かった。蓮が言っていた

「匂いがぼやけてる感じがする」

「聞き取り辛くて」

何かが私に起こっている気がする。

何が起きてるんだろう?

蓮は何か感じてるみたいだけど意図的に隠そうとしているような、そんな感じがする。

直接確認したい。けど

「………うん。ごめん。」

って謝られた。あれはどう言う意図だったんだろう?今日なんてムギを撫で始めてやっとムギは私を認識したみたいだった。そんなに私の匂いって消えかかっているのかな?胸元や腕、脇を嗅いでみる。いや、いつもと変わった感じはしない。

ふと、春にみんなで集合してた時に朔が言ってたことを思い出した。


「そうだ!澪!お前そんなに体臭気にしなくていいぞ!めっちゃ気にしてたけどな!俺はそんなこと気にしないーー」


朔が言ってたことって今の私のことだったんじゃ…いや、朔だし。違うよね!うん。

じゃあなんで今浮かんだの?

首を大きく左右にブンブン振って頭の中の声を消そうとした。

みんな何かを感じてる。私に何かが起きている。それを隠そうとしてる?何を?

考えたくなかった。でも考えてしまう。

目を閉じてみる。


みんなは何を感じているだろう?

何を隠そうとしてるんだろう?

何が起こっているんだろう?


頭の中で絶えず質問攻めにされる。

このままムギの反応が無くなっていった先、私はどうなるんだろう?

枕を顔に押し当てて首を左右に振る。怖かった。体は震えていたし、気付いたら枕は涙で濡れていた。

ずっと頭の中を疑問がぐるぐるしている。ダメだ、おかしくなりそう。

誰かに助けてほしかった。

そのとき、灯の顔が浮かんだ。

灯なら何か知っているかもしれない。私の不安を汲み取ってくれるかもしれない。励ましてくれるかもしれない。


外はもう暗くなっていた。


灯の家に向かいながら、足が重かった。聞きたい気持ちと、聞きたくない気持ちが、交互に来た。


灯の家に着いた。チャイムを押してしばらくしたら灯が出た。

「どしたの?夜に珍しいね」

いつもの調子と変わらない灯だった。

「うん、ちょっと話がしたくて」

自分でも分かる。声に元気がない。心配かけたくないから明るい声を出したつもりだったのに。

「…ここは寒いから中にどうぞ」

と家の中に入れてくれた。玄関でも外よりずっと暖かかった。

「部屋の方がいい?」

私は小さく頷いた。

「外寒かったよねー、あったかいの出すね。ちょっと待ってて」

そう言って灯はキッチンに寄ってケトルでお湯を沸かし始めた。

「澪はお茶とコーヒーだったらどっちがいい?」

「じゃあお茶で」

「了解」

そう言ってインスタントの粉末のお茶をお湯で溶いてお盆に乗せる。2人分のお茶を運びながら部屋の前で止まった。

「ちょっと待ってて」

お盆を持ちながらドアの開閉がしにくそうだったから開けてあげた。

「えへへ、ありがとう。ちょっと待っててね」

そして部屋の前で待たされた。

部屋の中で何か音がしている。引き出しを開け閉めするような音。


しばらくして、「どうぞ」と声がした。


部屋に通された。灯の部屋はいつも来慣れているはずなのに、今日は少し違う感じがした。なんというか、机の上が妙にすっきりしている。

私は案内されるまま座布団に腰かけた。

灯は私の向かいに座った。

笑っていた。いつもの顔だった。

でも、あれ?玄関では気づかなかったけど、

「目、赤くない?」

「え? 片付けしてて埃っぽかったのかな」

「腫れてるよ」

「うそ!?さっき痒かったから擦ってた影響かな?目薬はしたんだけど」

笑いながら鏡で顔を確認している。

「本当だ、ちょっと腫れてるね、ははは」

苦笑い。

「あ、お茶、どうぞ。」

お茶をお盆から私の前に置き直してくれた。

「ありがとう。」

「で、話って?」

灯が先に聞いてきた。

なんて切り出したらいいんだろう?頭の中がごちゃごちゃしててまとまらない。

「私は誰?」

気付いたらそう訊いていた。何でそう訊いたのかは分からなかった。

「……へ?ははは、変なこと言うね。澪は澪だよ?」

一瞬ポカンとしたが笑っていた。

「ごめんね、急に変なこと言って。」

灯の反応を見てちょっと笑みが溢れた。大きく深呼吸をして灯を見る。笑顔で黙って次の言葉を待ってくれている。

「今日はごめんね、先に帰っちゃって。」

「ん?ああ!ね!そんな気にしなくていいのに。え?それを謝りに寒い中来たの?」

灯はお茶を啜りながら言う。

私は首を左右に振って続ける。

「最近、ムギが寄ってこなくてね。蓮からは『匂いがぼやけてる感じがする』ってムギが言ってるって聞いて。」

灯はうんうんと頷きながら聴いている。

「今日は頭を撫でるまで、まるで私を認識してないみたいだった。そんなに私の匂いがしないってどういうことなんだろう?そう思って……」

言葉に詰まる。しばらく無言の時間が流れた。

「そうなんだ、秋だもんね。ムギもいろんな匂いが混じるから匂いの判別がしにくかったんじゃない?」

灯はそう言う。

「分からないの。なんかね、私の『存在』が消えかかっているような、そんな気がして。不安で、怖くて。」

体は震えて涙が溢れてきた。

灯は何も言わずにジッと無言の時間が過ぎる。

灯は立ち上がって私の横に座る。そして頭から包み込むように抱きながら

「怖かったんだね」

と小さく言った。私は頷いた。涙がポタポタ溢れた。しばらく灯の胸の中で泣いた。灯は何も言わなかった。ただ頭を撫でながら私が落ち着くまで同じように抱き続けてくれた。

何か音がした気がする。机の方を見るとティッシュの箱が置かれていた。灯の方を見る。灯は小さく頷いた。一枚もらって涙を拭いて、呼吸を整えてから訊いた。

「灯はさ、何か知ってる?」

「何かって?」

「私のこと。何でもいいの。灯が知ってること」

私が知らない何かがある。そんな気がした。それを蓮は隠してるのを感じるし、朔は…偶然だと思いたいけど偶然ではない気がして気味が悪かった。

「私が知ってること?これまたおかしなことを言うね、何を聞きたいの?」

「灯」

顔を上げて灯の顔を確認しながら言う。

「なに?」

いつもの灯だ。

「灯の知ってること、『全部』教えて」

『全部』と聞いた瞬間、灯の表情が固まった。目が左右に泳いでいる。口元がわずかに動いた。少しの間があった。灯も何かを知っている、そう確信した。

「逆に、何を聞きたいの?」

「全部」

灯は視線を少し落として、それからまた私を見た。

「全部って、どこから話せばいいか……」

「最初から」

灯がまた視線を落とした。

「……。」

視線を左右に泳がせた後しばらく沈黙があった。唇を噛んだり強く目を瞑ったり視線を上下左右に動かして何か迷っているみたいだった。私は灯の両肩を強く握って灯の次の言葉を待った。目には薄く涙が溢れてきていた。

「………。…嫌だ。と、言ったら?」

「嫌だ!」

灯は何かを隠している。今ここで聴いておかないと、この不安と恐怖を取り除けないかもしれない。灯!灯は何を隠しているの!?

まっすぐ灯の目を見る。灯の目はいろんなところをうろうろしていて目が合わない。合わそうとしていないのかもしれない。私はジッと動かない。灯の目に視線を送り続ける。

「………!…。」

灯が観念したように小さく息を吐いた後に口を開いた。

「澪?『カスタム』って知ってる?」

「カスタム? 何それ?」

聞いたことがない名前だった。

「脳が体感する仮想世界で、現実の時間より長い時間を体験できるゲーム。1時間で脳内では1年分の体感ができるの。朔が抽選で当てて、みんなで遊んだの」

いきなり何の話をしているの?ゲームの抽選に朔が当たってみんなで遊んだ?

「それが、私と何の関係があるの?」

灯の言いたいことが分からない。何でいきなりゲームの話?

「信じられないかもしれないけど、今居るこの世界がゲームの中なの。」

「え?」

声が漏れた。余計に意味がわからない。

「ここは『望んだ能力が一つ叶う世界』で、一年間過ごすっていう設定で。朔が最初、適当に設定したから1月1日スタートでね。蓮は動物と話せて、透は未来が見えて、朔は夢が正夢になった。私は……おじいちゃんに会えた」

ドクンッドクンッドクンッ!

知らない情報が入ってくる。蓮がムギと話せるの、最初からすごい謎だった。途中から慣れてたけどどうして?ってずっと思ってた。

「それで?」

「ゲームが始まってすぐ、澪も一緒にいた。でも澪だけ、能力が何もなかった」

「能力が、ない?」

最初の部屋で質問された能力を入力してくださいってやつかな?

「みんな一つずつ持ってたのに、澪だけ何も起きなかった。最初はNPCだから違うのかなって思ってたけど、NPCはプレイヤーと同じように動くって説明もあって。だとしたら澪にも何かあるはずで、でも何もなくて」

「灯、私もその能力っていうのは入力したよ」

「え?」

灯の目が大きく、パァッと輝いた。右足を立てて体を乗り出してきて私の肩を痛いくらい強く握って揺すりながら訊いてきた。

「なな、何て入力したの!?」

「時に優しく、時に厳しく、人を前向きにできる力がありますって」

私の肩にある灯の手からシューッと力が抜けていくのを感じる。目の輝きは一気に失せて視線を落とした。立てていた右足も崩れて乗り出した体が萎れていく。

何か悪いこと言ったのかな?

「どうして、そう書こうと思ったの?」

項垂れながら小さい声で灯は訊いてくる。

「なんか面接っぽいなって思って。いきなり能力って言われても分からないじゃない?自分の思う長所を書いたよ。」

「なんで長所を書こうと思ったの?」

体は動かないで感情なく小さい声で問いかけてきた。

「面接みたいだなって思って」

「………。なんで面接みたいって思ったの?」

私が答えたら自動音声のように淡々と返してくる。

「え?何でだろう?なんとなく……」

「澪」

灯の声が変わった。顔を上げて私の顔を見ている。

「事故のこと、覚えてる?」

「え?事故?」

覚えてるもなにも初耳だ。なにそれ?

「澪は大学のオープンキャンパスに行った帰りに、電車の事故に遭ったの。」

「え?」

「その時のまま、止まってるから…だから、なんとなく受験とか面接って思ったんじゃないかな?」

「……どういうこと?」

「今ね、ここはゲームの中って言ったでしょ?現実世界の澪は病院にいて生命維持装置で命を繋いでいる状態なの。」

「え?」

「澪のお母さんはお風呂とトイレ以外はずっと澪の隣にいて、澪のお父さんも仕事が終わったら病室に来てる。私も学校が終わったら毎日お見舞いに行ってるんだよ?」

「………。」

「『澪は帰ってくる。今はただ、帰り方がわからなくなってるだけ』だって。『目を覚ました時に誰もいないなんて寂しいじゃない?』ってほぼ毎日おばさんは言ってるし私も意識が戻るのを待ち続けてるよ」

なに?それ。灯は何を言っているの?

よく分からないけど、私が望んだ私を知る手がかりなんだからちゃんと聴かなくちゃ!

「……うん、それで?」

「さっき言った能力。きっと、反映されてないよ。」

力なく灯が言う。

「どうして?」

「私も能力を入力したときに『長すぎます、短くしてください』って弾かれたから。澪は弾かれなかった?」

私は頷く。

「起動した時に説明があったの。『他人の理想とは干渉し合いません』って。」

灯の声が震えている。

「うん?」

なにが言いたいの?私の入力したのと何の関係があるの?

「私と同じなら、『長すぎます、短くしてください』って弾かれてるはずなの。でも弾かれてなかったということは、弾く必要すらもなかったから。でも、そうしたら誰かの能力で存在していることになって…」

灯の言葉が詰まる。

「それができるのが、わた……、わた゛、わ゛た゛し゛、た゛け゛て゛………。」

口を右手で覆って、涙が溢れてきている。

「灯の能力って?」

灯は両手で口を覆って首を左右にブンブン振っている。体がどんどん小さくなっていく。灯の体がどんどん重くなってくる。肩を握る手で何とか支えているものの、力を抜いたら床に蹲ってしまうだろう。

「や゛だ……」

小さく聞こえた言葉。

今度は私が灯の頭から包み込むようにして抱いた。胸元で灯の頭が絶えずイヤイヤと左右に動いていた。顎がガクガク震えて嗚咽も混じっていた。嗚咽に混じってたまに聴こえる言葉も

「や゛た゛、…や゛た゛よ゛っ゛」

と壊れたラジオのように繰り返している。

灯の体重がそのまま乗ってくるので私は支えきれなくなって後ろ向きに倒れた。私は灯の頭と背中を撫でながらしみてくる灯の涙を感じていた。

灯は何を抱えているんだろう?


よくわからない情報がたくさん出てきた。

まず、今持っている情報を整理しよう。

この今いる世界がゲームの中。で、みんなそれぞれ不思議な力を持っている。灯の話だと、私は持ってないってことになるのかな?

現実世界では私は病院で機械で生かされている言わば植物人間状態。

みんな私が入院しているのを知ってる。

そして蓮が隠そうとしてたことってムギの反応から灯の力で私が存在しているって知ってるから?

いやいや、何それ?そんなの信じられない。ゲームでこんなにリアルにできる?能力の付与?現実離れすぎる。馬鹿げてるよ。


どのくらい時間が経っただろう?灯は私の胸元で泣き続けた。

「ごべん。」

灯の涙と鼻水で服の前面はずぶ濡れになっている。涙を拭いて鼻をかんで、私の服をティッシュで拭ってもすぐに浸透して役に立っていなかった。

「ふふ、最初のころみたいだね」

「まったく、いつも泣いて私の服を濡らすんだから」

2人でちょっと笑った後、今度は私の方から切り出した。

「灯、さっきさ、ここはゲームの中って言ったよね。やっぱり嘘だよ。信じられない。」

「うん、いきなり言われても意味がわからないよね。ごめんね、混乱させるようなこと言っちゃって。」

元の灯に戻っている。少し落ち着きが戻ってきた感じがする。

「いや、うん。混乱はしてるよ!?生きてるこの世界が実はゲームでしたって言われても意味がわからないし。」

「うん、そうだよね。」

「ここがゲームの中っていう証拠もないのに!」

灯はちょっと目を伏せた。

「証拠なら、証拠と言っていいのかはわからないけどあるよ。」

ドキンッ。

「さっき言ったみんなの能力。蓮は動物と話せて朔は正夢になる。透は未来を予知できる。これって現実世界ではできないと思わない?」

「………。灯も何かあるの?」

「うん、あるよ。」

否定されると思ったのに、私の目をジッと見据えて即答した。灯は他の3人ほど何か目立ったところを見たことがない。なのにあるんだ。

「おじいちゃんに会えた。」

「ん?」

灯だけ何を言ってるのか分からなかった。ゴールデンウィークに会いに行ったよね?

「私の能力、長くて弾かれたって言ったよね。『去年亡くなったおじいちゃんに最期を言うためにもう一度会いたい』って願ったの。」

「え?」

今、なんて言ったの?

「そしたら『長すぎます、短くしてください』って弾かれた。同じように言葉を変えてみても同じだった。そしたらね、候補がゲーム側から提案されたの。私はそれを選んだ。」

灯は項垂れていたが、もう逃げる素振りがなかった。でも自分から発言はしたくなさそうだった。

本能的にここが分岐点だと感じた。聴いてしまったらもう引き返すことはできない。

灯はさっき「やだ……」と言っていた。その上で泣き続けた。今は落ち着いているように見えるけど、本当はこれ以上踏み込んでほしくないのは明白だった。

でも私も怖い。ここで止まってはいられなかった。

「…何を、選んだの?」

「………『死者の蘇生』」


雷に打たれたかのような衝撃だった。


頭だけでなく胸元から血の気が引いていくのを感じる。冷たくなった胸元や背中を冷たい汗が噴き出てくる。体中が小さく震えて頭が真っ白になった。


「…え!?……え?どういうこと?ほほ、本当に意味が、え!?」


頭も呂律も回らなかった。


「……それでね」


灯は静かに私の目を見ながら続ける。目に光は宿っていなかった。

「私は、信じていないよ。今も澪を待ってるもの。」

消え入りそうな小さな声だった。

「この前、蓮に言われた。『能力が弱まってる気がする。ムギの話が聴き取りづらい。ムギが澪を認識できなくなってきてる。灯の能力は何?』。そして今日はちょうど澪が帰った後に朔と透と蓮3人に言われた。『私の能力で澪が動いている可能性』。」

「嘘、…だよね?」

灯は答えなかった。静かに私の目を見て続ける。

「もちろん私は否定し続けたよ。仮に私の能力が『死者の蘇生』であっても、澪は『生きている』。」

少しずつ声に力が入ってきた。

「だから私の能力の対象になることは無いんだ!って言い続けたし、今もそう思ってるよ。だからさっきの質問。」

ふぅっと一呼吸大きく入れてから訊いてきた。

「澪の、能力は何?」

さっき言った通り、自分の思う長所を書いた。灯はそれが長いと弾かれた。私は弾かれなかったのは?

「さっきも言った通りだよ!?『時に優しく、時に厳しく、人を前向きにできる力があります』って。」

「私は長いと弾かれた。澪は弾かれずに進んだ。何でかを考えてたんだけど、もしかしたら『弾く必要性がないから』じゃないかって。これがよぎった時、怖かった。私の能力の対象になっている可能性を自分で認めちゃうことになるなんて、嫌だった。」

「………。」

「それでね、私、偶然だと思ってたんだ。覚えてる? 春のお花見で女子だけでお弁当作るって話になった時、私たち、ほぼ同じタイミングでみんなにメッセージ送ったよね」

「……うん」

「蓮の家、同じように焼きかけたよね。澪も私もほぼ同じように」

「それは……私たちが料理できないから」

「冷やし中華の記憶、私はあまりないけど気づいたら真っ黒になってたよね」

「料理が下手なだけで——」

「夏祭りのとき、すごいパニックになってたよね」

「あれは蓮が不在で注文されたからでーー」

「澪の意志のつもりで、私が動かしてたんだと思う」

息が、止まった。

「私は澪のこと、全部は知らないよ?知らない部分は私が動かしていた状態だったんだと思う。私だったらこう動くって思ったその通りに。だから同じタイミングでメッセージを送って、同じように失敗した。澪が澪らしく動いているように見えて、澪の動きの中に私が混じってた」

「……そんな、えっと…、どういうこと?話についていけないよ?」

「おかしいと思わなかった? 不思議にシンクロしすぎてた。あんなにぴったり重なることって、普通は、ない。」

「何が言いたいの?」

「澪が自分の意志で動いてた中に私の意志も入ってるんだと思う。」

勝手に記憶を引っ張り出してきた。

春。蓮の家のキッチン。フライパンから火が上がった。灯が固まっていた。私も固まっていた。まったく同じタイミングで、まったく同じことをしていた。

おかしいと思わなかった?

思わなかった。笑っていた。笑って、蓮に怒られて、また笑っていた。

「違う」

声に出した。

「それだけじゃ分からない!偶然かもしれない!灯の勘違いかもしれないよね!?」

「そうだね」

「それに最初!灯はここがゲームと言った!現実の私は病院で入院してて意識が戻ってないとも言った。なんで!?なんでそんなことになってるの!?」

「これは澪のお母さんから聞いた話なんだけど、オープンキャンパスからの帰り、電車で疲れて寝ちゃったんだって?そして電車の脱線事故が起きた。」

「………。」

「事故の原因は防犯カメラに映ってた、カラスの置き石。これで電車は脱線して大事故になった。」

「カラスの置き石!?なんで!?どうして!!?」

この込み上げてくる気持ちをどこにぶつけたらいいの!?

「なんで私なの!?私が何かやった!?」

灯の肩を持って力一杯揺すった。

「ねぇなんで?なんで!?なんで?!?なんで!?!?」

灯は何も言わずに私に肩を揺すられ続けていた。

「その『現実の私』はどうなってるの?」

「言ったよね?事故の日から一度も意識は戻ってないよ。私もご両親も毎日病室にいる。いつ意識を取り戻しても誰かは居るよ」

「さっき言ってた能力の話も!私が書いたのは長かったかも知れないけど『前向きにする力』だったら短いよね!?もしかしたらそれで通ったのかも知れないじゃない!?」

「もしそうなら私も『おじいちゃんに会いたい』で通ってたと思う。でもさっき言ってたよね?『時に優しく、時に厳しく、人を前向きにできる力があります』って。ゲーム側で都合よく解釈して切り取られてたら私も何度も弾かれなかった。」

「でも!」

「でも?」

「私は今ここにいて、灯と話して、外の風の音が聞こえてる。寒さも感じてる!それが全部作り物だなんて——」

「作り物だとは言ってないよ」

灯が静かに言った。

「澪が感じてること、澪がいること、それは本当だよ。ただ、それが現実と同じかどうかは——」

「同じだよ!」

「澪」

「同じだよ。私は私だよ。ゲームとか現実とか関係ない、私は私じゃない!灯の記憶が作った澪とか、そんなの——そんなの私じゃない」

「うん、澪は澪だよ」

灯の声が、少し崩れた。

「澪が感じてること、澪が笑ったこと、みんなと過ごした一年間、全部本物だよ。ただ」

「ただ?」

「私が気づいてしまったのは、私の記憶の澪と、目の前の澪が、ぴったり重なりすぎてるってこと。同じ顔で、同じ言い方で、同じところで笑う。ちょっとした仕草まで。私が知ってる澪そのままで、だから……だから嘘だって思いたいのに」

「嘘だって言ってよ」

気づいたら言っていた。

「嘘だって言ってよ!灯!今まで言ったこと全部嘘だって——」

「本当はね、何もなく楽しく遊んで過ごしてさ、この後の現実世界の澪に会いに行って、『カスタム』の中で会ったよ!元気だった!って報告しようと思ってたんだ。意識取り戻したら一緒に買い物行ったり遊んだりしようねって、おばさんもおじさんも元気付けられると思ってた。意識が戻るのをずっと、待てると思ってた。意識が戻ったら゛ーー」

声が少し詰まった。私の両肩に手を乗せて、体を支えながら続けた。

「一緒に買い物行きた゛か゛った。他愛ない話をし゛ながら歩き゛た゛かった゛。み゛おか゛、み゛…ズッ、み゛お゛か゛、す゛て゛き゛な゛ひと゛に゛て゛あ゛って゛、…ズッ。て゛れ゛な゛か゛ら゛そ゛の゛は゛な゛し゛を゛し゛て゛く゛て゛るの゛を、…ズッ、ズッ、あ゛ぁ゛…き゛、き゛、き゛き゛た゛か゛った゛。……ズッ…ズッ。あ゛…、おた゛か゛いか゛ぞく゛ができて、こ゛と゛も゛がお゛ないと゛し゛になって、…あ゛、あ゛。ま゛ま゛と゛も゛にも゛、…ま゛ま゛と゛も゛にも゛、…あ゛、……あ゛、な゛り゛た゛か゛った゛。し゛た゛か゛ったこ゛とが、ま゛だ、ま゛た゛、…ズッ、…ズッゴボッ、げぼ…、…はぁぁあ、はあぁ、あ゛、た゛ぐさ゛ん、たく゛さ゛んあ゛る゛。せ゛ん゛せ゛ん゛おわ゛っ゛て゛な゛い゛よ。う゛そ゛だった゛ら゛、…げほ゛っ、あ゛、あ゛、う゛っ、………ぅ゛ぉ゛え゛…。……あ゛、はあぁぁ、う゛そ゛だった゛ら、う゛そ゛だった゛ら、どれだけ゛よか゛った゛か」

そこまでなんとか言い終えると灯は支えきれなくなったのか体が崩れて私の肩に頭を乗せた。両手は私の両肩から離れて胸をギュッと押さえ呼吸は浅く痙攣して「あ゛、あ゛」と漏れて顎もガクガクいっている。時折お゛ぇ゛とむせこんだ。

全身の震えが落ち着くまで肩で支え続けた。言葉はもう出なかった。灯の涙や鼻水が服だけでなく、私の肩から腕、胸、脇腹を濡らしていた。

灯の呼吸が戻ってきた。震える喉で深呼吸をする。「…ス、スス、ス、ス……」まだ吸えてない。左手は自分の胸を握ったまま、右手で床を何度も殴りつけた。『ダンッ』『ガンッ』そして殴りつけるたびにまた涙や鼻水が押し寄せてきて、

「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛!!」

殴る、叫ぶ、嗚咽、深呼吸を何度も何度も繰り返した。

「…ス、スー、…ぉ゛ぇ゛、あ゛ぁ、はぁ…、はぁ」

少しずつ落ち着いてきた。

「ごめん…」

「いや…、落ち着いた?」

「少し」

「……」

もう一度大きく息を吸ってから灯は続けた。

「……ごめんね。澪が澪すぎて、私の知ってる澪だから、私が作り出した澪だって気づいてしまう」

部屋が、しんとした。

外の風の音だけが聞こえていた。

否定しようとした。また口を開こうとした。

でも言葉が出てこなかった。

頭の中で、春のキッチンがまた浮かんだ。

夏の料理。真っ黒な冷やし中華。ぴったり重なった失敗。

おかしかった。たしかに、おかしかった。

笑っていたから気づかなかっただけで。

「……、また変な質問するね。澪はさ、今何歳?」

「はい!?」

質問の意図がわからない。だって、

「17歳でしょ!?同い年!」

「やっぱり……。」

「やっぱり!?」

「オープンキャンパスに行って事故に巻き込まれたのがちょうど去年の今頃だった。澪の記憶はそこで止まってるんだよ」

「………。」

「私たちは今18歳。高校3年生。あなたは」

灯が最後に言った。

「私の記憶が作り出した、私の中で生きている澪です」


しばらく、何も言えなかった。


否定する言葉が、もう出てこなかった。


頭がぐちゃぐちゃだった。


私は私じゃない。ここはゲームの中で現実では事故に遭ってから意識が戻ってなくて両親が毎日お見舞いに来ていて、灯も毎日顔を見に来ている。そして二度と意識が戻ることはない。


「……灯」

「蓮たちにも言われた。私の能力のこと、最近の異変のこと、これから起こる未来のこと。なかなか受け入れられなかったし受け入れたくもなかった。澪が今日来なかったら、蓮や透や朔が何を言ってきても受け入れなかったと思う。」

「………。」

「澪の『人を前向きにする力』っていうのは本当にあるのかもね。ごめんね、澪。言いたくなかった。気付きたくなかった……。ずっと、澪に生き゛ていて゛ほしかったから」


また涙がぼたぼた落ちていた。


ぐちゃぐちゃの顔だった。


元日に私の制服を汚した、あの顔と同じだった。

涙を拭った後で、


「これが、これが私の知っている『全部』」


そう言って灯は両手を広げた。私は灯の胸に頭から倒れ込むように吸い寄せられていった。力が入らない。全体重が灯にかかる。


灯は私を抱き寄せて両手を背中と頭に回した。ギューッと抱きしめる。次第に支えられなくなって灯は後ろ向きに倒れた。私は魂が抜けたように茫然自失となっていた。


「ごめんね、澪が望んだようなこと言ってあげられなくて。ごめんね、怖い不安を取ってあげられなくて。ごめんね、助けてあげられなくて。ごめんね、私が怖がったらいけないのに、澪がいないって……、そん゛な゛…。わた゛し゛も怖いよ。や゛だ……」


瞬きすら忘れていた私の目から涙が停めどなく溢れてきた。


部屋の外では風が吹いていた。


冬の、静かな音だった。



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読んでいただきありがとうございました。

次話『叫び』もよろしくお願いします。

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