表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つきな春  作者: 柚月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/9

第6章 崩壊

佐伯涼が再び取調室に現れたのは、翌日の午後だった。


今回は任意同行ではなく、参考人として呼び出した。

佐伯は前回と同じように素直に応じた。

でも、取調室に入った瞬間、結菜の顔を見て、わずかに表情が変わった。


前回とは、何かが違う。


そう感じたのかもしれない。


「また来たよ、刑事さん」


佐伯は椅子に深く座って、腕を組んだ。

でも、その余裕は前回よりなさそうだった。


「お時間いただきありがとうございます」


結菜は椅子を引いて、真向かいに座った。木崎が隣に控える。


今日の結菜は、焦っていなかった。


静かだった。


嵐の前の、あの静けさだった。


「前回から、少し状況が変わりました」


「へえ」


佐伯は薄く笑った。


「何が変わったんですか、刑事さん」


結菜は手元のファイルを開いた。


プリントアウトされたメッセージの画面を、静かにテーブルの上に置いた。


佐伯の目が、そこに落ちた。


一瞬だった。


でも、結菜はその瞬間を見逃さなかった。


佐伯の顔から、血の気が引いた。


「……これは」


「鈴原隆太さんのクラウドから復元されたデータです」


結菜は静かに言った。


「15年前、長谷川歩美さんからあなたへ送られたメッセージです」


佐伯は黙った。


結菜はファイルをもう1枚、テーブルに置いた。


「こちらは、鈴原さんと長谷川さんのメッセージのやり取りです。3ヶ月前から始まっています」


佐伯の目が、2枚の資料の間を行き来した。


その目に、初めて、焦りの色が見えた。


「佐伯さん」


結菜は静かに続けた。


「鈴原さんが殺された夜、あなたのアリバイはない。

そして鈴原さんは、あなたを追い詰めようとしていた。

時効が来ていない案件が、複数あると」


「……それは」


「あなたが繰り返してきた犯罪のことです」


佐伯は口を閉じた。


取調室に、静寂が落ちた。


結菜は静かに続けた。


「鈴原さんは、長谷川歩美さんにも連絡を取っていた。

あなたを動かしたのが歩美さんだと、知っていたから」


「俺は」


「はい」


「俺は……歩美に言われただけだ」


その言葉が、ぽつりと落ちた。


木崎が静かにキーボードを叩くのを感じた。


「言われただけ、とは」


佐伯は少し間を置いた。


迷っているのがわかった。


でも、もう逃げ場はないとわかったのかもしれない。


「……歩美から連絡が来た。鈴原が全部しゃべる前に、黙らせろって」


「いつですか」


「鈴原が殺される、2日前だ」


「具体的に何と言われましたか」


「『このままじゃあなたも終わりよ。鈴原を止めて』って。それだけだ」


結菜は静かに続けた。


「その後、あなたはどうしましたか」


佐伯は俯いた。


長い沈黙が落ちた。


「……会いに行った。鈴原に。話し合うつもりだった。でも、あいつが全部警察に話すって言って、引かなくて。カッとなって……気づいたら」


そこで佐伯の言葉が止まった。


結菜は黙って待った。


「……殴ってた。止まらなかった」


取調室の空気が、重くなった。


木崎のキーボードの音が、静かに続いている。


「歩美から言われなければ、鈴原さんに会いに行きましたか」


佐伯はしばらく黙っていた。


「……わからない」


「わからない、とは」


「歩美に言われたから、動いた。それだけだ。俺一人じゃ、そこまでしなかったかもしれない」


結菜はモニターから目を上げた。


佐伯を、真っ直ぐに見た。


「今おっしゃったこと、調書にまとめます。署名をお願いすることになります」


佐伯は俯いたまま、頷いた。


あの薄笑いは、もうなかった。


「清瀬……」


ぽつりと、佐伯が呟いた。


刑事でも、さんでもなく。


ただの名前だけ。


結菜は立ち上がり、何も答えなかった。



廊下に出ると、木崎が結菜の隣に並んだ。


「……取れましたね」


「うん」


「令状、申請できます」


「動いて」


「はい」


木崎がすぐに動き出した。


結菜は廊下の窓の外を見た。


空が、夕方の色に変わっていた。


オレンジと紫が混ざった、静かな空。


歩美。


15年間、笑顔で隣にいた。


心配してくれると思っていた。


その人間が、今日、追い詰められる。


胸が痛かった。


怒りとは違う、もっと複雑な何かが、胸の中にあった。


友人だと思っていた人間を、自分の手で追い詰める。


それでも——やらなければならない。


結菜は窓から目を離した。


やることがある。


まだ、終わっていない。



令状の申請手続きを木崎に任せて、結菜は一人、給湯室でコーヒーを淹れた。


誰もいない場所だった。


カップを両手で包んで、目を閉じた。


頭の中に、歩美の顔が浮かんだ。


大学時代、よく2人でカフェに行った。


他愛もない話をして、笑っていた。


あの頃から、歩美はもう——。


スマートフォンが鳴った。


知らない番号だった。


少し迷ってから、電話に出た。


「清瀬さんですか」


声は静かだった。でも、何かを決意したような落ち着きがあった。


「はい、清瀬です。どちら様ですか」


「西条美咲と申します。突然申し訳ありません。一度だけ、直接お会いしたいことがあって」


結菜は少し驚いた。


西条の妻が、なぜ。


そして、なぜこの番号を知っている。


「……いつ、来られますか」


「明日でも、よろしいですか」


「わかりました。午後2時に、署へ来ていただけますか」


「はい」


美咲は一度だけ、息を吸った。


「ありがとうございます、清瀬さん」


電話が切れた。


結菜はしばらく、スマートフォンを見ていた。


西条美咲が、何を話しに来るのか。


それはわからなかった。


でも、逃げるつもりはなかった。


何が来ても、向き合う。


今はそう思えた。


コーヒーを一口飲んだ。


少し冷めていた。


でも、悪くなかった。

※ 連載『嘘つきな春』は毎日20:00更新、全9章で完結予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ