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嘘つきな春  作者: 柚月


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第2章 封印

聴取が終わったのは、夕方だった。


西条悠介のアリバイは、完全ではなかった。被害者の鈴原隆太とは、もともと面識はなかったという。

最近、鈴原から連絡が来て、やり取りをするようになったと認めた。

なぜ鈴原が自分に連絡してきたのか、理由はわからないと、西条は繰り返した。


動機については「わからない」と繰り返した。

嘘をついている様子はなかった。


でも、何かを隠している気配はあった。


結菜はそれを見逃さなかった。



駐車場に出たところで、木崎が声をかけてきた。


「清瀬さん。」


「なに?」


「あの人、知り合いですか?」


やっぱり気づいていた。結菜は少し歩いてから、立ち止まらずに答えた。


「昔の話だよ。」


「どのくらい昔の?」


「捜査に関係ないでしょ。」


木崎は黙った。でも追いかけてくる足音は続いている。


「……でも、関係あるかもしれないなら、言ってほしいです」


その声は責めるトーンではなかった。ただ、真っ直ぐだった。


結菜は立ち止まった。


「大学のとき、少し関わりがあった。それだけよ。」


「わかりました」


木崎はそれ以上聞かなかった。それがこの男の賢いところだと結菜は思った。



署に戻ってから、2人は手分けして資料を当たった。


鈴原隆太の交友関係、過去の仕事履歴、大学時代の記録。木崎がデータを洗い出し、結菜が分析する。いつもの流れだった。


「鈴原、非常勤講師として大学に戻ってきたのが7年前です。それ以前は出版社に勤めていたようで」


木崎がモニターを見ながら言った。


「西条への連絡はいつから?」


「3ヶ月前です。鈴原からの一方的な連絡で始まっていて、最初は西条も戸惑っていたようです。」


「内容は?」


「まだ不明です。鈴原のスマートフォン、解析中で。」


結菜は手帳にメモを走らせた。

なぜ鈴原は、面識もない西条に連絡をしたのか。

3ヶ月前、何があった。


「清瀬さん」


木崎の声で、考えが途切れた。


「今日、上がっていいですよ。顔色悪いです」


「え、そう見える?」


「そう見えます。」


結菜は手帳を閉じた。


「もう少しだけ。」


「……わかりました」


木崎は何も言わずに、コーヒーをもう1杯持ってきた。

結菜は受け取って、一口飲んだ。

温かかった。



アパートに帰ったのは、夜の10時を過ぎていた。

結菜はシャワーも浴びずにソファに座った。

部屋は暗い。電気をつける気になれなかった。


西条悠介の顔が、頭の中でくっきりと浮かんでいた。

聴取中、結菜はずっと手帳に目を落としていた。でも西条の声は、確かに届いていた。

穏やかで、静かで、でも何かをこらえているような声。


15年前と、何も変わっていなかった。


「元気だったんですね。」


その言葉が、また浮かんだ。


” 元気だったんですね。"


そんな言葉をかけられる資格が、わたしにあるの。


でも。


……あなたは、何も知らなかった。


結菜は自分の手のひらを見た。


薄暗がりの中でも、かすかな傷跡が見える。

大学を辞めた年の冬、気づいたら壁を殴っていた夜の痕だ。

誰にも言えなかった夜の、唯一の痕跡。


あの頃、誰にも言えなかった。


西条には特に。


彼を守りたかったのか。

それとも、誰かに話せるほど自分が強くなかっただけなのか。

今でもわからない。


ただ、逃げるように大学を去って、そのまま15年が経った。


刑事になったのは、偶然じゃない。

誰かを守る側に立ちたかったのか。あるいは、あの夜の無力な自分を、ずっと罰し続けているのか。



スマートフォンが鳴った。

長谷川歩美からのメッセージだった。


「結菜、大丈夫?西条先生が参考人になってるって聞いたけど……あの人、昔から優しかったよね。犯人じゃないといいね。」


結菜は画面を見つめた。

歩美はどこでそんな情報を手に入れているのだろう。捜査情報は外に出ていないはずなのに。


でも、それよりも。


西条のことを「優しかった」と言える人間が、自分以外にもいたことが、なぜか少しだけ、胸に刺さった。


「大丈夫。ありがとう。でも捜査のことは話せないよ。」


短く返信して、スマートフォンを置いた。

窓の外で、雨がまだ降っていた。

結菜は目を閉じた。


明日も、雨かもしれない。


それでもいい。


濡れるほうが、頭が冷える。


感情が、凍る。


そうやって、また明日を乗り越える。


15年間、そうやってきた。



翌朝、署に出ると、木崎がコーヒーを2つ持って待っていた。


「おはようございます。」


「うん。」


「昨日、ちゃんと寝ましたか?」


「まあまあ。」


「まあまあ、は寝てないってことですね。」


結菜はコーヒーを受け取って、デスクに座った。


「鈴原の交友関係、洗い直したら面白いものが出てきました」


木崎が資料を広げた。


「鈴原と大学時代に接点があった人物がもう1人います」


木崎が写真を1枚、机の上に置いた。


「佐伯涼、38歳。現在は都内在住、フリーランスのカメラマンです。

大学時代、清瀬さんと同じ学部に在籍しています。」


結菜の手が、止まった。


写真の中の男は、あの頃より太って、髪が薄くなっていた。


でも、その顔は知っていた。


佐伯涼。


結菜が大学3年のとき、彼女を呼び出した男。

西条との関係を「見てしまった」と言って、笑っていた男。


「……ネットで教え子と熱愛って拡散してやる。先生の立場、終わるな。でも、言わなければ……」


吐き気がした。


でも、顔には出さなかった。


「知ってる顔ですね。」


「え?」


「この男も、大学時代に知っていた。」


木崎が静かに息を吸った。


「それは……捜査に関係しますか」


今度は、すぐに答えられなかった。


関係する。おそらく、深く。


でも、それを言葉にしたら、15年間、鍵をかけて閉じ込めていたものが、全部溢れ出してしまう気がした。


「……少し時間がほしい」


結菜は立ち上がり、廊下に出た。


窓の外に、薄い春の空が広がっていた。


桜の蕾が、まだ固く閉じていた。


まだ、咲かないでいい。


結菜はそう思いながら、静かに息を吐いた。


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