警察署からの帰り道、またひっそり暮らしたくなった
警察署。
取調室のような部屋に通されて、僕は硬い椅子に座っていた。
向かいには、刑事らしき男性が二人。
「それで、佐藤くん。もう一度確認するけど、暴れていた生徒たちに、君は何をしたんだ?」
年配の刑事が、ノートを見ながら聞いてくる。
「……腕を掴んだだけです」
「掴んだだけで、薬物中毒の症状が治まる?」
「はい。僕が触った瞬間、偶然、症状が落ち着いたみたいで……」
『苦しい言い訳だな……』
若い方の刑事が、疑わしそうな目で僕を見ている。
「佐藤くん、君は何か特別な医療訓練を受けているのか?」
「いえ、普通の高校生です」
「ツボ押しとか、鍼灸とか?」
「習ったことないです」
二人の刑事は、顔を見合わせた。
『……追及されるかと思ったけど』
不思議なことに、それ以上は深く聞かれなかった。
「分かった。今日はもう帰っていい。ただし、また話を聞くことがあるかもしれないから、連絡先は控えさせてもらう」
「はい……」
『あれ? これで終わり?』
もっと根掘り葉掘り聞かれると思っていたのに。
取調室を出ると、廊下でエリシアが待っていた。
「お疲れ様。大丈夫だった?」
「うん……なんか、思ったより早く終わった」
「そう。私も同じ。あんまり追及されなかった」
エリシアも不思議そうな顔をしている。
僕たちは警察署のロビーを抜けて、出口に向かった。
その時――
ロビーの片隅で、制服姿の警察職員が、僕たちを見ていた。
50代くらいの男性。
彼は小声で、誰かに電話しているようだった。
「……ああ、そうだ。あれがそうか」
『え?』
一瞬、視線が合った。
職員は、何も言わず、ただ静かに僕を見つめていた。
その目には――
何か、知っているような。
いや、確信しているような――
「佐藤くん、どうしたの?」
エリシアが僕の袖を引いた。
『人前だから、日本名で呼んでるのか』
「あ、なんでもない」
僕は首を振って、警察署を後にした。
外はもう、真っ暗だった。
街灯が灯り、夜の街が静かに広がっている。
「……はあ」
大きく息を吐いた。
アドレナリンが、ようやく落ち着いてきた。
『終わった……のか?』
校庭での騒動。
数十人の生徒を治療。
黒覆面の襲撃。
そして、警察の事情聴取。
すべてが終わって――
『……やっぱり』
僕の心に、ある感情が湧き上がってきた。
『ひっそりと、暮らしたい』
覚悟を決めたはずだった。
「中途半端はやめる」と言ったはずだった。
でも――
今、冷静になって考えると。
『やっぱり無理だ……』
明日から、学校でどうなる?
ネットで動画が拡散されて、どうなる?
テレビに出て、取材されて、有名人になって――
『……嫌だ』
「アルヴィン」
エリシアが、心配そうに僕を見ていた。
「大丈夫? 顔色、悪いよ」
「……エリシア」
僕は、彼女の目を見た。
「やっぱり、ひっそりと暮らしたい」
「え?」
「さっきは覚悟決めたとか言ったけど……冷静に考えたら、やっぱり無理だ。目立ちたくない。普通に生きたい」
エリシアは、少し困ったような顔をした。
「でも、もう遅いんじゃない? あれだけ大勢に見られて、動画も撮られて……」
「分かってる。分かってるけど……」
僕は頭を抱えた。
「せめて、しばらくどこかに隠れたい。ほとぼりが冷めるまで……」
「アルヴィン……」
「母さんだけは気がかりなんだ」
僕は、スマホを取り出した。
母からのLINEが、何件も溜まっている。
『健太、ニュース見たわよ』
『学校で何があったの?』
『電話して』
『大丈夫?』
母は今、仕事で長期出張中だ。海外プロジェクトで、少なくとも2ヶ月は帰ってこない。
『母さんには、後で連絡する。とりあえず「大丈夫」って送っておこう』
「ねえ、エリシア」
「なに?」
「どこか……ひっそりと身を隠せる場所、ない?」
僕は、必死な表情で彼女を見た。
「せめて、1週間くらい。それくらいあれば、騒ぎも少しは落ち着くかもしれない」
エリシアは、少し考え込んだ。
「……一つ、心当たりはあるけど」
「本当!?」
「うん。私の知り合いが、山の中に別荘を持ってて。今は誰も使ってないから、そこなら……」
「行きたい! お願い!」
僕は、両手を合わせた。
エリシアは、苦笑した。
「本当に、隠れたいんだね」
「当たり前だよ。明日学校行ったら、絶対大騒ぎになる。マスコミも来るかもしれない。そんなの、耐えられない」
「……分かった。じゃあ、今から連絡してみる」
エリシアは、スマホを取り出して、誰かに電話をかけ始めた。
「もしもし、私。うん、久しぶり。ちょっとお願いがあるんだけど……」
僕は、夜空を見上げた。
星が、少しだけ見えた。
『異世界でも、こうやって逃げてたな』
役立たずと言われて。
期待されて。
裏切られて。
そして、逃げて――
『結局、僕は何も変わってない』
異世界でも、現世でも。
逃げることしかできない。
「アルヴィン」
エリシアが、電話を切った。
「OKだって。明日の朝、そこに行こう」
「ありがとう……」
「でもね」
エリシアは、真剣な顔で言った。
「いつまでも隠れていられるわけじゃないよ」
「……分かってる」
「あの黒覆面の集団も、あなたを狙ってる。隠れたところで、いずれ見つかる」
「それでも……」
僕は、拳を握りしめた。
「せめて、今は。少しだけでいいから、逃げたい」
エリシアは、ため息をついた。
「……仕方ないわね。じゃあ、明日の朝7時、駅前に集合。そこから車で行くから」
「うん」
「それと、アルヴィン」
「なに?」
「異世界でのあなたは、もっと強かったわよ」
エリシアは、少し寂しそうに笑った。
「『生命再編師』アルヴィンは、誰よりも勇敢で、誰よりも優しくて……私の憧れだった」
「……それは、エリシアの勘違いだよ」
「そうかな」
彼女は、僕の頭をぽんぽんと叩いた。
「じゃあ、また明日。今日はゆっくり休んで」
「うん。ありがとう」
エリシアは、手を振って、駅の方へ歩いていった。
僕は、反対方向――自宅へと歩き始めた。
『明日から、しばらく隠れよう』
『そして、ほとぼりが冷めたら……』
『……その後のことは、その時考えよう』
夜風が、冷たかった。
僕は、ポケットに手を突っ込んで、足早に家路を急いだ。
しかし――
僕は、まだ気づいていなかった。
警察署で見た、あの職員の視線の意味を。
「あれがそうか」という、あの言葉の意味を。
そして――
僕が「ひっそり隠れる」ことを、許さない存在が、すでに動き始めていることを。
この夜。
日本のある組織では、緊急会議が開かれていた。
「佐藤健太、確認完了」
「能力、ほぼ間違いなし」
「次のフェーズに移行」
「了解」
暗い会議室で、複数の人影が動いていた。
そして、その中心には――
一枚の写真。
校庭で、生徒たちを治療する僕の写真が、大きなスクリーンに映し出されていた。
「ようやく見つけた」
低い声が、静かに響いた。
「『生命再編師』を」




