覚悟を決めた日、正体がバレた
校庭は地獄だった。
暴れる生徒。
倒れる教師。
悲鳴と怒号。
そして、静かに佇む黒覆面の集団。
僕は、校舎の影で立ち尽くしていた。
『逃げるか……戦うか……』
でも、もう分かっている。
『逃げられない』
この状況で、僕だけが逃げたら――
何人死ぬだろうか。
『……ダメだ』
異世界では「役立たず」と言われた。
現代でも「目立ちたくない」と逃げ続けた。
でも――
『もう、限界だ』
僕は、校舎の影から一歩踏み出した。
「ウアアアアアッ!」
目の前で、2年生の男子生徒が暴れている。
近くにいた女子生徒に飛びかかろうとしている。
『まずは、目の前から』
僕は走り出した。
男子生徒の腕を掴む。
『スキャン開始――合成カンナビノイド。金曜日の男と同じだ。CB1受容体の過剰活性化。前頭葉機能の低下……』
『DRD2遺伝子の発現抑制、CNR1遺伝子のシグナル遮断、GABA受容体の活性化……』
0.8秒。
「……あれ?」
男子生徒の目が、正常に戻った。
「俺……なにを……」
「大丈夫。もう平気だから、校舎に避難して」
「あ、はい……」
男子生徒はふらふらと、校舎の方へ歩いていった。
次。
「キャアアアアッ!」
女子生徒が、髪を振り乱して暴れている。
彼女に触れる。
『スキャン――これは……メタンフェタミン? いや、違う。構造が少し違う……新型の合成覚醒剤か』
『ドーパミントランスポーターの阻害、ノルアドレナリンの過剰放出……SLC6A3遺伝子の一時的な過剰発現で代謝を促進。モノアミン酸化酵素の活性化……』
1.1秒。
「……え?」
女子生徒も、正気に戻った。
次。次。次。
僕は校庭を駆け回った。
暴れる生徒に次々と触れ、治療していく。
『これは……MDMA系の化合物』
『これは……合成カチノン』
『これは……新型フェンタニル類似物質』
『なんだ……なんなんだ、この種類の多さは……』
まるで、実験でもしているかのように――
それぞれの生徒に、異なる薬物が投与されている。
『誰が……何のために……』
5人、10人、15人。
僕は必死に治療を続けた。
しかし、校庭にはまだ数十人の暴れる生徒がいる。
『間に合わない……!』
その時――
「佐藤くん! 後ろ!」
誰かの叫び声。
『え?』
振り返る暇もなく――
「危ない!」
誰かが、僕に体当たりしてきた。
僕は地面に倒れ込んだ。
同時に――
ガキィィィンッ!
金属音。
さっきまで僕がいた場所に、ナイフが振り下ろされていた。
「な……」
黒覆面だ。
3人の黒覆面が、ナイフを持って僕を囲んでいる。
『気づかなかった……生徒の治療に集中しすぎて……』
「佐藤くん、大丈夫!?」
僕に体当たりしてきたのは――
「倉田さん……!」
さっき、体育倉庫の裏で会った、眼鏡の女子生徒だ。
「下がって!」
倉田さんは、僕の前に立ちはだかった。
黒覆面の一人が、ナイフを振りかざして襲いかかる。
しかし――
「せいっ!」
倉田さんの正拳突きが、黒覆面の手首を直撃した。
ナイフが宙を舞う。
「やあっ!」
回し蹴り。
黒覆面が吹き飛ぶ。
「えいっ!」
肘打ち。
別の黒覆面が倒れる。
わずか3秒。
3人の黒覆面が、全員地面に転がっていた。
『……え?』
「大丈夫、佐藤くん?」
倉田さんは、何事もなかったかのように僕に手を差し伸べた。
「あ……うん……」
僕は彼女の手を取って、立ち上がった。
「倉田さん、今の……」
「空手。小さい頃から習ってたの」
彼女はにっこりと笑った。
しかし、その笑顔は――どこか、さっきまでと違う。
「もう、さっき自己紹介したばっかりなのに」
倉田さんは、眼鏡を外した。
その瞳は――
鋭い。
まるで、訓練された兵士のような目だ。
「せっかく青春ドラマみたいな展開にしようかと思ってたのに! 正体バレるの早すぎ!」
彼女は少し不満そうに頬を膨らませた。
「え……?」
「もっとこう、『普通の女子高生として仲良くなって、だんだん信頼関係を築いて、そして最後の最後で実は私も転生者でした!』って、感動的に明かしたかったのに!」
『なに言ってるんだ、この人……』
「まあ、いいわ。この世界では助けることができてよかった!」
『この世界……?』
「佐藤君……いえ」
倉田さんは、僕の目を真っ直ぐ見つめた。
「アルヴィン」
その瞬間――
僕の全身が、凍りついた。
「……なんで」
「なんで、その名前を知ってるのか?」
倉田さん――いや、彼女は一体――
「簡単よ。だって私も――あなたと同じ。異世界からの転生者」
倉田さんは、静かに言った。
「私の異世界での名前は――エリシア。聖騎士団の副団長だった」
『嘘だろ……』
「10年前、あなたが突然消えた。最初は行方不明になったのかと思ったけど……後で分かったの。あなたは死んで、この世界に転生したんだって」
「……」
「私もその5年後、異世界で戦死した。そして――あなたと同じように、この世界に赤ん坊として転生した。前世の記憶を持ったまま」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「生まれ変わってから15年。ようやくあなたを見つけた」
「待って……どういうこと……」
僕の頭が混乱する。
倉田さん――エリシア?
聖騎士団?
異世界の記憶?
5年後に死んだ?
年齢だって変わらないだろ?
「説明は後で。今は――」
彼女は、校庭を見渡した。
まだ、数十人の生徒が暴れている。
そして、黒覆面の集団は――
じっと、僕たちを見つめている。
「あいつら、あなたを狙ってる」
「……なんで?」
「多分、あなたの能力が欲しいんでしょうね」
エリシア――倉田さんは、構えを取った。
空手の構え。左手を前に、右拳を腰に。
「私が黒覆面を引き受ける。あなたは、生徒たちを助けて」
「でも……」
「大丈夫。私、この世界でも空手を続けてたから。あいつらくらい、どうってことない」
彼女は自信満々に笑った。
「それに――あなたを守るのが、私の使命だったから」
『使命……?』
言葉の意味を問い詰める暇はなかった。
黒覆面の集団が、一斉に動き出した。
10人以上の黒覆面が、僕たちに向かって走ってくる。
「行って!」
エリシアが叫んだ。
僕は頷いて、再び走り出した。
暴れる生徒たちの元へ。
一人、また一人と、触れて治療していく。
『合成カンナビノイド――治療』
『新型覚醒剤――治療』
『MDMA類似物質――治療』
『LSD系幻覚剤――治療』
背後では、エリシアが黒覆面と戦っている音が聞こえる。
「せいっ!」
「やあっ!」
拳の打撃音。
蹴りの風切り音。
倒れる音。
『すごい……本当に、一人で……』
しかし、敵の数が多すぎる。
いくらエリシアでも、10人以上を相手にするのは厳しい。
『急がないと……』
20人、25人、30人。
治療した生徒の数が増えていく。
残りは――あと10人。
「ウアアアアッ!」
最後の一人、3年生の男子生徒に触れる。
『スキャン――これは……複合汚染? 複数の薬物が同時に……厄介だ』
『まずメタンフェタミンの代謝促進、次にカンナビノイド受容体の遮断、さらにセロトニン系の正常化……』
2.3秒。
「……はあ、はあ……」
男子生徒が、正気に戻った。
『全員……助けた!』
振り返ると――
エリシアが、5人の黒覆面に囲まれていた。
彼女の額から、血が流れている。
「くっ……」
さすがに、疲労の色が見える。
『まずい……!』
僕は彼女の元へ走り出した。
しかし――
「動くな」
冷たい声。
首筋に、何かが当たった。
ナイフだ。
「……」
振り返ると、黒覆面の一人が、僕の首にナイフを当てていた。
「そこの女、動くな。動けば、こいつを殺す」
エリシアが、動きを止めた。
「……卑怯者」
「卑怯? 戦いに卑怯も何もない」
黒覆面は、低い声で笑った。
「佐藤健太。いや――『生命再編師』アルヴィン」
『……この呼び名』
異世界での、僕の二つ名だ。
「お前の能力、我々に譲ってもらおう」
「……断る」
「断る?」
ナイフが、僕の首筋に食い込んだ。
血が一筋、流れる。
「お前に選択権はない。大人しく従え」
その時――
校門の方から、サイレンの音が聞こえてきた。
パトカーだ。
複数台。
「チッ……」
黒覆面が舌打ちした。
「撤退だ!」
黒覆面たちが、一斉に車に乗り込み始める。
僕の首にナイフを当てていた黒覆面も――
「次は、逃がさない」
そう言い残して、走り去った。
黒い車が、タイヤを軋ませて校門から飛び出していく。
「待ちなさい!」
警察官が追いかけるが、間に合わない。
車は、あっという間に見えなくなった。
「佐藤くん!」
エリシアが駆け寄ってきた。
「大丈夫!? 首……」
「浅い傷だから、平気」
『ていうか、自分で治せるし』
僕は首に触れて、一瞬で傷を治した。
「……本当に、何でも治せるのね」
エリシアは、感心したように言った。
「ねえ、アルヴィン――いえ、佐藤くん」
「……なに?」
「これから、大変なことになるわよ」
彼女は、校舎を見上げた。
窓から、多くの生徒たちが僕たちを見ている。
「あなたが数十人の生徒を治した。みんな、見てた」
『……ああ』
「もう、隠しきれない」
エリシアは、僕の目を見た。
「覚悟、できてる?」
僕は――
空を見上げた。
夕焼けが、真っ赤に染まっていた。
『覚悟……か』
もう、逃げられない。
「ひっそり暮らす」なんて、無理だ。
『なら――』
「……やるしかない」
僕は、静かに答えた。
「どうせバレたなら、中途半端はやめる」
エリシアが、微笑んだ。
「その言葉、待ってたわ」
校庭に、警察と救急隊が入ってくる。
教師たちが、生徒たちを誘導している。
そして――
スマホを構えた生徒たちが、僕を撮影している。
『もう、全部撮られてる』
今夜には、ネットに拡散されるだろう。
「数十人を一瞬で治した高校生」
「奇跡の治療師」
「謎の能力者」
でも――
『もう、いいや』
隠すのは、疲れた。
逃げるのも、疲れた。
なら――
『正面から、向き合おう』
僕は、校舎に向かって歩き出した。
エリシアが、隣を歩く。
「佐藤くん……いえ、アルヴィン」
「なに?」
「これから、あなたは有名人になる。世界中から注目される」
「……分かってる」
「でも、私がいるから。あなたを守る」
彼女は、力強く言った。
「異世界でも、今世でも。私の使命は変わらない」
『使命……』
その言葉の意味を、僕はまだ理解していなかった。
しかし、それを知るのは――
もう少し先の話。
今は――
『まず、警察の事情聴取だな』
僕は、深く息を吸った。
長い夜になりそうだ。