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3/11

弟も治したら、近所中に噂が広まった

翌週の土曜日。


僕は田中さんに連れられて、彼女の家に向かっていた。

「本当にありがとう、佐藤くん。弟、すごく楽しみにしてるの」

「あ、うん……」

『なんで僕、こんなことに……』


断ればよかった。でも、田中さんの必死な表情を見たら、断れなかった。


『せめて、今回で最後にしよう。弟さんを治したら、もう二度と誰も治さない。それで終わり』


田中家は、駅から徒歩10分ほどの住宅街にあった。ごく普通の一軒家だ。

「ただいまー」

「お帰りなさい。あら、お友達?」

玄関に出てきたのは、田中さんのお母さんらしき女性だった。


「はい。佐藤くんっていって、ほら、例の」


『例の?』(母親には言うか。そうだよな)


「まあ、わざわざありがとう。さあ、上がって」

『いや、玄関先でサッと済ませて帰りたいんだけど……』


しかし、そんな僕の願いは叶わず、リビングに通されてしまった。


「翔太ー、お姉ちゃんのお友達が来たわよー」

「はーい!」

元気な声とともに、小学3年生くらいの男の子が駆け下りてきた。

しかし、その顔は――

「うっ……はっくしょん!」


真っ赤に腫れた目。鼻水。田中さんが治る前と同じ症状だ。

「お姉ちゃん、この人が……?」

「うん。佐藤くん、こちら私の弟の翔太」

「よろしく、お兄ちゃん! ……はっくしょん!」

『可哀想に……まだ小学生なのに』

「よろしく、翔太くん」


僕は彼の頭を撫でた。

その瞬間――


『スキャン開始。第11染色体IL-4遺伝子座……やっぱり過剰発現。姉と似た遺伝的背景だな。IL-13も同様。Th2細胞の暴走、IgE抗体の過剰産生……典型的な重症花粉症』


『よし、姉と同じプロトコルで行こう。遺伝子発現の抑制、制御性T細胞の活性化、HLA遺伝子の調整……』


0.5秒。

「……ん?」

翔太くんが不思議そうに鼻をすすった。

「あれ……?」

「どうしたの、翔太?」

「鼻水……止まった」

「え?」


田中さんのお母さんが驚いて、翔太くんの顔を覗き込んだ。

「本当だわ……目の腫れも引いてる……」

「すげぇ! 全然かゆくない! お兄ちゃん、なにしたの!?」

「いや、頭撫でただけだけど……」

『しまった。もうちょっと時間差をつけるべきだった』

「佐藤くん……」


田中さんが、複雑な表情で僕を見た。その目は「やっぱりあなただったんだ」と言っている。


「翔太、良かったわね! お姉ちゃんも治ったし、あなたも治って……これで家族みんな花粉症から解放されたわ!」

お母さんは涙ぐんでいた。


「佐藤くん、本当にありがとう。お茶とケーキ、用意するわね」

「あ、いえ、そんな……」

「遠慮しないで。命の恩人なんだから」


『いや、命は別に救ってないし……ていうか、たいしたことしてないし……』


結局、僕は1時間ほど田中家に滞在し、ケーキと紅茶を御馳走になった。

帰り際、玄関で田中さんが小声で言った。


「ごめんね。お母さん、すごく喜んじゃって……」

「いや、いいんだ。喜んでもらえて良かったよ」

「でも、約束は守るから。誰にも言わないって」

「うん、ありがとう」

『これで終わり。もう二度と、こんなことはしない』


しかし。


それから1週間後。


昼休み、購買でパンを買おうと並んでいると、背後から声をかけられた。

「あの……佐藤くん、だよね?」


振り返ると、見知らぬ女子生徒が立っていた。隣のクラスの子だろうか。

「え、うん……」

「あの、お願いがあって……私の友達が、すごくひどい花粉症で……」

『は?』

「噂で聞いたんだけど、佐藤くんが田中さんの花粉症を治したって……」

『田中さん! 言わないって約束したのに!』

「あの、それは……」

「お願い! 友達、本当に辛そうで……」


その時、別の生徒が近づいてきた。2年生の男子だ。

「佐藤くんだよね? 俺の弟が喘息で……」


さらに別の生徒。

「佐藤先輩! 私のいとこがアトピーで……」

『ちょ、ちょっと待って!』


気づけば、僕の周りに10人以上の生徒が集まっていた。

「順番に話を聞こうよ」

「私が先に声かけたんだから!」

「いや、俺の方が深刻なんだって!」


購買の前が、ちょっとした騒ぎになっている。

「みんな、落ち着いて!」

僕は両手を上げて、必死に訴えた。


「あの、誤解なんだ。僕は別に、なにもしてなくて……」

「でも、田中さんの花粉症が治ったって……」

「それは、薬が効いただけで……」

「弟さんも同じタイミングで治ったんでしょ? 偶然にしてはおかしいよ」

『参った……完全に詰んだ』


その時――

「そこ、なにやってんだ!!」

低い声が響いた。


生徒指導の鬼塚先生だ。身長190cm、筋肉質、常に不機嫌そうな表情。通称「鬼教師」。

「あ……」


生徒たちが一斉に散っていく。

「佐藤、お前、なんかやらかしたか?」

「いえ、なにも……」

「ならいい。昼休みは静かに過ごせ」

「はい……」


鬼塚先生が去った後、僕は大きくため息をついた。

『最悪だ……噂が広まってる……俺だって静かに過ごしたい…』


放課後。

僕は田中さんを呼び出した。屋上、人気のない場所。


「田中さん、聞きたいことがある」

「……うん」


彼女は申し訳なさそうな表情をしていた。

「誰にも言わないって、約束したよね?」

「ごめんなさい……私じゃないの」

「え?」

「お母さんが……近所の人に話しちゃって」


田中さんは俯いた。

「『娘と息子の花粉症が奇跡的に治った』って。それで、『どこの病院?』『なんて薬?』って聞かれて……お母さん、つい『娘の友達が』って……」

『ああ……なるほど』

「そこから、近所のママ友ネットワークで広まって……で、たまたま同じ学校の生徒の親御さんがいて……」


「……それで、学校中に広まったわけか」


「本当にごめんなさい! 私、約束破るつもりなんてなかったのに……」

彼女は今にも泣きそうだった。


『……仕方ない。田中さんを責めても意味がない』

「分かった。田中さんのせいじゃない」

「でも……」

「もういいよ。ただ、これから先、もう誰にも何も話さないで。『あれは偶然だった』『薬が効いただけ』って言い続けて」

「……うん」


田中さんは何度も頷いた。

「それと」


僕は空を見上げた。夕焼けが綺麗だ。

「これから先、もう誰も助けない。助けたら、また騒ぎになる。だから……ごめん」

「……そうだよね。当たり前だよね」

彼女は少し寂しそうに笑った。


「でも、佐藤くん、あなたのおかげで私と翔太は救われたから。それだけは忘れない」

「……ありがとう」


それから数日間、僕は徹底的に目立たないように行動した。

昼休みは教室で弁当。

購買には行かない。

人混みは避ける。

誰かが話しかけてきても、最低限の会話で切り上げる。


『これでいい。しばらくすれば、噂も収まるはずだ』


しかし、その夜。

スマホにLINEの通知が入った。

仕事で出張中の母からだ。


『健太、あなた学校でなにかした?』

『???』

『近所の奥さんからLINEで聞いたんだけど、「息子さん、人の病気を治せるらしいですね」って……』

『それは誤解だよ』

『本当に? あなた、変なことしてない?』

『してない。たまたま、友達の花粉症が治ったタイミングで一緒にいただけ』

『……そう。なら安心したわ。そんな力なんて知らないし、変な薬でも持ってるんじゃないかと思って』

『まさか』

『もし本当に人を治せる力があるなら、お母さんの腰痛も治してほしいけどね(笑)』

『無理です』

『冗談よ。おやすみ』


スマホを置いて、僕は天井を見つめた。

『……やっぱり、目立ってる』


異世界での10年間。

僕は「役立たず」と言われ続けた。


「そんな地味な能力、戦争の役に立たない」

「回復魔法使いの方が早い」

「お前の能力は時間がかかりすぎる」


だから、現代日本に転生で戻ってきた時、僕は決めたんだ。


『もう、二度と目立たない。ひっそりと、静かに暮らす』

でも。

『……やっぱり、無理なのかな』


窓の外を見ると、満月が綺麗だった。

異世界でも、こんな月を見たことがある。


あの時、僕は何を思っていたんだろう。

『……いや、考えるのはやめよう』

翌日から、僕はさらに徹底的に目立たないように行動することを決めた。


休み時間は寝たふり。

体育は手を抜いて目立たない記録。

授業中も、絶対に手を挙げない。


『完璧だ。これなら誰も僕に注目しない』


しかし、噂というものは、本人の意思とは無関係に広がっていく。

「佐藤くんに触ってもらったら花粉症が治るらしいよ」

「マジで? 都市伝説じゃないの?」

「でも田中さん姉弟、本当に治ったらしいよ」

「じゃあ私も……」

廊下で、そんな会話が聞こえてくる。


僕は耳を塞ぎたくなった。


『頼むから、忘れてくれ……』

そして、ある日の放課後。

下駄箱で靴を履き替えていると、一人の女子生徒が近づいてきた。


3年生だ。僕は彼女を知らない。

「佐藤くん……だよね」

「はい……」

「お願いがあるの。私のおばあちゃんが、持病で……」

『また……』

「ごめん」

僕は、彼女の言葉を遮った。


「僕には、何もできない」

「でも……」

「噂は全部、誤解なんだ。偶然が重なっただけ。だから……ごめん」


僕はその場から逃げるように、学校を後にした。

背後から、彼女の悲しそうな視線を感じたけど、振り返らなかった。

『これでいいんだ。これが正しいんだ』


帰り道、僕は自分に言い聞かせた。

『助けたら、もっと多くの人が集まってくる。そうなったら、静かに暮らせなくなる』

『だから、もう誰も助けない』


空を見上げると、夕焼けが赤く染まっていた。

異世界でも、こんな夕焼けを見たことがある。

あの時、僕は――


『……考えるな』


首を振って、僕は家路を急いだ。

しかし、心のどこかで。


『本当にこれでいいのか?』


という問いかけが、小さく響いていた。

それを無視して、僕は歩き続けた。

ひっそりと。

静かに。

誰にも気づかれないように。


それが、僕の選んだ生き方だから。

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