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大田村食堂部の料理の味は図抜けていて、米軍堺駐屯地から受け取るドルは増加の一途をたどっていた。そこで俺は米軍余剰物資との交換をランセル中尉に提案したのだ。
偶然にも基地渉外担当窓口はランセル中尉の上官であったベーカー大尉だった。ベーカー大尉は細身で180㎝以上あり、なかなか眼光の鋭い典型的鷲鼻のドイツ系アメリカ人であった。俺の魚介類やフライドチキンなどの商品をきちんと評価して、必要とする米軍物資の余剰があれば正価で譲ってもらう形式とした。これは本来将来的に廃棄しなければならなくなる物資が基地の自由に使える財源となる。
ベーカー大尉にとってもこれはかなりの自分の高評価に繋がる提案であった。しかも、提案してきたのはあの大田村の実質的代表。ランセル中尉、ラスカル少尉だけでなく、大田村を訪れたアメリカ兵誰もが信頼できると絶賛している人物。
しかしベーカー大尉は自分の目の前にいる日本人に違和感を覚えていた。この国に勝者として訪れて2か月程になるが、誰もが敗者としての日本人だった。敗者として軍人の自分に相対してきた。誰もが怯えや強がり、おもねりを持って自分と対していた。
ところがこの青年からは年齢から想像できないような落ち着きと誠実を武器として、「物事を遂行していき実績を積み上げれば、アメリカ人は信頼できるパートナーとして契約を交わすにたる相手として認識する度量がある。」そう信じている節が見受けられた。それが信じられないほど異質な感覚であることは、アメリカ軍にいる日系二世の人間であっても、そこまで見据えている人間が何人いるだろうか。
しかも、取引が狡猾を含まない。馬鹿正直と言ってもいいほどに、愚直で相手の利益を考えてそれにもかかわらず自分たちの利益はしっかり確保している。
それが未来により大きな利益としてお互いに帰ってくる事を理詰めで確信している。そんな人間が現在の敗戦国日本に存在していたことが信じられない思いのベーカー大尉だった。しかし実際の行動は清水(俺)に対して右手を差し出すことがこの申し出に対する回答であった。それと同時に、現在占領している理解が困難な日本人に対する疑問をこの青年にぶつけるとどんな回答が返ってくるのか興味がわいてきていた。
「清水君、我々は日本人が何を考えているのか理解できないでいる。これを解決する良い方法があるだろか。」
「言葉の意味はその人間の生活して来た歴史の中で形作られる。だから同じ言葉の翻訳であっても、言葉の意味が違う場合が多い。
一方、数字の足し引きは両者に差異はない。正確な数字を要求した上で言葉を使えば、言葉の差異は小さくなると思います。今の日本人は小さい頃から軍国的な思想教育がなされており、物事を考える論理が極端な色眼鏡を通して現実を見ている人が多いのです。あなたの国でもいるはずです、極端な宗教思想に染まっている人たちと同じと考えていいです。特に官僚や軍人に多い。そういう人たちには何を言っても言葉は通じないのです。だから、ある程度の人事権をあなた方が持ち、ルールを決めて守らせる。そこから始めるしかない。後は思想教育に染まっていないあなた方の考え方を理解する有能な人材をどんどん引き上げていく。無能な人間をどんどん更迭させることによってあなた方の考え方を理解できれば大きな利益に繋がると多くの人々が体感できれば淀んだ水は一掃できます。」
「なるほど、シミズさんは今まで会った日本人とは随分違って、率直な意見を言ってくれます。色々な事も聞きたくなりました。いいですか。」
「はい、私見で偏った意見でよければ参考にして頂ければ。」
「あなたならこの日本をどう作り変えていきたいですか。」
「あはははは、この国は根本から作り直さないとだめですね。富める者と貧しい者の格差がありすぎる。農地解放と財閥解体、配給制度を廃止して国が仕事を作り出して、国民に必要な物資を生産させる代わりに生きていくために必要な生活物資を給付する。これからしばらくは日本国民自身が生きる為に必要なものを得ることに必死にならないと得られない時期となります。第一次世界大戦後に起きたインフレはすでにこの日本でも起こっています。9月に決めた1ドル15円という交換比率は早々に断続的に大幅な改定が必要となるでしょう。日本通貨を交換する形の貿易は早々破綻せざるを得ない。」
一旦言葉を区切って少し考えるそぶりをして、俺は話を続けた。