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昭和21年2月16日の銀行が閉まった後の夕方、「金融緊急措置令」が各銀行に流されて来た。そして、翌日の朝「食糧緊急措置令」と合わせてラジオから一斉に流れて来た。
一般市民に取っては当に寝耳に水の政府発表であった。この政策は毎日値段が上がる物価を抑える為に執り行う手段として行うこととなった訳であるが、内容は個人の郵貯または銀行口座からの引き出しについて月額引き出し制限がかかるというものだ。具体的には一般人なら世帯主が月300円までしか出せない。その家族は一人につき100円追加。
次に全ての紙幣は2月25日から新紙幣になるが、旧紙幣は3月2日までしか価値を持たず、全てを銀行または郵貯に預けなければその価値を保全する事が出来なくなる。つまり市中の旧紙幣は3月3日紙くずになるという政令であった。
元々このインフレは終戦直後に軍需産業と軍に対して戦中の未払金を一括で払う処置により、到底市中で消化しきれない紙幣を日銀に昼夜を問わずに印刷させ、未払い額の証拠書類もその時に焼却させたという真っ黒なお金が国家予算の何十倍にもなるほどあったために悪性インフレの基となった、いわゆる軍中枢と役人と軍需産業による人災インフレであった。国民は何も知らないし知らされない。知ることが出来なかった人災なのだ。彼らは物資の強制徴収と配給を自由に操り自分たちの都合のいいように目分量を調整できる権能を持つ者たちだ。
彼らこそこの日本を無益な戦争に駆り立て、何百万人もの人間の命を奪った真の原因である。しかし、彼らは巧妙に敗戦国民の中に埋没してその富を貯蔵している。どうすれば彼らをあぶりだせるのか。
話が横道に逸れた。要は紙くずになる前に全てのお金を金融機関に入れよ。後は個人が金を使えなくなればインフレは治まる。
インフレを起こした張本人が国民全体にツケを回す手法は今も昔も変わらない、為政者の手法。その結末はいかに?
とにかく、この強制処置は紙幣の流通量が1/4位にまでに一時的に減った。必要なものであっても買えなくて、結果的に物々交換の経済に帰る事となり、個人へのヤミ物資の摘発強化が横行した。
当時の警官は拳銃の携帯は許されていなかった。一方市中には日本軍の武器がまだ数多く隠匿され、ヤバイ連中を摘発しようとすれば自分の身が危なくなる。結果、買い出ししている主婦や老人など弱い人間が取り締まりの中心になる。
太田商事は全くのヤミではなく、進駐軍が公認した企業活動であるためこの取り締まりには一切関係しない。配送員は米軍から放出された軍服を手直しして、ユニフォームとして着るように貸し出している為、ひと目、太田商事の配送員であることが分かるようになっていた。もめないための企業努力は大切。キツネの知恵であった。




