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米軍進駐軍の対応の中で、村民の俺に対する信頼は俺自身が考えている以上に鰻登りだったらしい。言葉も十分に理解できない恐怖の米兵に対して毅然とした態度と柔軟な態度によって米兵を手玉に取っていく過程で、米兵が暴力的態度ではなく、常に紳士的に、時にはぶっきらぼうな職人の対応で村民に対してくれる。旧日本の軍部が宣伝していた鬼のような人間とは違い、まるで友人のように接してくれる。そして、これらの全てが網元の元に終戦後ふらりと現れ、特攻していった息子の最後の言葉をわざわざ伝えるためにやって来た、おせっかいで、お人好しな清水健吾という人物が企てた。一国の軍を相手取っても堂々として相手の要望を事前に察し用意し、相手の気持ちを踏まえても柔軟にこちらの利益に導いていくだけではなく、相手がこちらを完全に信頼すらさせるように持っていく、老獪な外交官というより、物語に出て来た諸葛孔明のような男である。そんな恐るべき評価が俺に与えられていたとは・・・

ある程度散財した昭和20年度の新米の買い付けだったが、ラスカル少尉の関係各所への推薦もあり、思うように買い付けることができたため、数棟の簡易住宅を倉庫に変えても米が溢れるくらい集まった。俺自身は漁船を担保にして村長を始めとして村の素封家に分担して出来るだけたくさんのお金を借り受けて、和歌山の大地主宛に進駐軍からの紹介として当時のヤミ市場価格であった、10キロ6円、令和なら6000円位の値段で目一杯米を買い込んだ。当時の政府摂取価格は1円であった。これは戦後のハイパーインフレが戦後復員してきた兵士に無制限に印刷紙幣を支給されたことと、軍事企業への未払い金を無制限に支払うことによって引き起こされた人災と言ってよいほどの政治的行政的判断力の不足によって起きた社会的経済現象であった。よって、この村を守り革新的社会構造を一機に作り上げるために一時的に食料品を物々交換の基本貨幣として対抗する仕組みを作り上げることにした。

当時の政府がインフレに対する有効な策を出せず、結果として昭和21年2月に新円切り替えと預金封鎖によってインフレを解決させることという荒療治が行われることを知っているからできたことであった。


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