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翌日の1月8日は朝からアメリカ軍堺基地に目力お嬢を連れて挨拶する事になった。恐らくジョンソン神父との連絡などに単独で訪れる機会もあるやもしれない為、挨拶だけはきちんとしておかないといささか具合が悪い事態も起きるかもと考えたからだ。
さすがは目力お嬢であった。体格の良いアメリカ兵の守衛の鋭い一瞥に会っても素知らぬ顔で通り過ぎる。
ベーカー大尉に紹介したのち、彼女に対する特権を一つだけおねだりしたところ笑いながら快く許してくれ、部下に通達を出してくれることになった。
その後、ジョンソン神父に引き合わせて戦災孤児たちの育英基金の話は彼女にも割り振るようになるのでよろしくお願いすると、
「まさに、子供たちを守るワルキューレのように凛々しい人が担当になってくれて、私としてもやりがいを感じる人事です。」と大絶賛を受けることになった。
南園寺香奈子嬢は
「子供たちを立派に育てて、育英資金に寄付いただいた人に、胸を張ってご挨拶できるよう致します。」と模範解答のような受け答えをジョンソン神父にしたもんだからジョンソン神父から俺にお前の仕込みかかとの目配せを受けたが、チャウチャウとのリアクションをしたため、ホーと感心したように目力お嬢を見ていた。
恐らくこれまでの日本駐留中に彼女のようにアメリカ人に対してはきはきと意見を言う日本女性に出会ったことがなかった為だろう。ジョンソン神父は目力お嬢に右手を出したところお嬢も当然という様な感じで握手を受けていた。
食堂部のお手伝いは料理はあまり得意そうでなかったため、レジをお願いする事になったのだか゛、料理の手伝いをして目が回るほど忙しい最中、ドシンと何かがひっくり返る様な音がして振り返って見ると、人がごった返すフロアの中に誰もいない空間が出来ていて、その中で倒れているいかついアメリカ兵の手を持って目力お嬢が辺りを睥睨として悠然と立っていた。あちゃー。
直ぐに二人のMPがやって来たが、体重が倍ほどあり頭一つお嬢よりでかいアメリカ兵が倒されている状況に唖然として、お嬢に二言三言聞いた上で早々に床に伸びているアメリカ兵を叩き起こしてつれていった。
フロアー中は一瞬で大騒ぎである。
「ヤマトナデシコ!」「ヤマトナデシコ」の大合唱であった。
そうそう、アメリカ人のヤマトナデシコ感は楚々としておしとやかであるが、いざとなると滅茶苦茶強いという誤った感想があったのだ。それが目の前に現れたのである。
もともと目力お嬢は護身術として小さい頃から合気道の手習いを受けており、師匠がお嬢の資質について絶賛したことにより、かなりの使い手になったとのことだった。更になぎなたも大したものであったと。それで目力が尋常ではない程になった訳か。納得。
騒ぎが収まるまでしばらく連れてこない方がいいのかな。と思ったが紹介してくれと言う上官が多く、危害を受けることも少ないと判断して基地への同行を許したのであった。
結局お嬢の自分の倍もある大男を投げ飛ばした「ヤマトナデシコ」という評判はあっという間に基地中に広まり、基地に訪れるたびに方々の人から紹介や写真とサインを求められるというフィーバーとなった。
さらに投げ飛ばされたアメリカ兵、ザックという子分を中心とした親衛隊が目力お嬢に出来ることになった。まぁこれで、安心して一人でお使いさせることが出来ると思うことにしょう。




