44 昭和21年
昭和21年1月1日 昼過ぎになってから太田商事のトラック便で大田村に帰ることが出来た。そうそう、大田村の外郭団体は名前が言いにくいので、21年の元旦から太田村商事と新たに名前を定めることになった。
取り敢えず皆の顔を見ようと帰ってから直ぐに戦災孤児の宿舎である太田少年クラブに顔を出したところだが。
和気あいあいとした新年初のお雑煮と少ないながらのおせち料理は既に皆食べ終わっていた。その後は皆でワイワイと遊んでいるのかなと思っていたところ何故だか、孤児たちのそれぞれ今年の目標を発表する場になっていた。真面目だねぇ~。
だが、そりゃそうかもしんねぇな。去年のひもじさや誰も頼ることのできない心細さを味わった後であれば、今は皆で安心して暮らしていける生活があってもこれがずっと続く保証はない。それぞれが精一杯背伸びしてでも早く一人前にならなければならないと思っている。そんな気持ちの表れが昭和21年の抱負としてそれぞれが発表するというイベントに繋がったのだろう。
俺が会場に顔を出すと、全ての視線が俺に集まったように感じた。俺はまるで住宅地に現れたクマのような扱いなのか。しょーもないことを考えていると
「お帰り兄貴!お仕事ご苦労さんでした。兄貴のおかげで去年一年は無事に過ごせました。まーちゅうわけで、今年は皆兄貴の手伝いを少しでもできるように力をつけて頑張る宣言をここでしているところやねん。
儲かる仕事をどんどん作り出して、戦災孤児だからと言って誰にも馬鹿にされんようせなあかん思うねん。皆、そう思うやろ。」
虎之助が皆に向かって言うと、「そうや、そうや!」と合唱し出す。仲のええこっちゃ。
「ええか、お前らはこの大田村の宝になる。俺はお前らを利用する事になるけど、かまへんやろ。」
「ええで~。」と皆が返してくる。
大阪人はほんまのりがいいねぇ~。
「仕事も学業もあんじょう気張りや。こんなご時世やさかい腹一杯は食わせられんかもしれんが、腹が空き過ぎてひもじい事はさせんつもりや。アメリカさんからの援助もがっぽり取ったる。皆ええ服もろたやろ。アメリカはとっても大きい国や。目の玉飛び出るくらいの金持ちもぎょーさんいよる。遠慮のう、食い扶持や出来る奴は学問の費用をお世話になればいい。但し、お世話になるんやで愛想はちゃんとせなあかんやろ。まぁ~、ナニワの俄(にわか2)ちゅう思えばおもろいもんや。それで大きなって賢なって世界を商いで飛び回れる人間にも世界的な発明家にもなれるんや。その場は作ったる。せいぜい今年一年気張んなはれ。」俺がそう勝ちあげると皆が一斉に拍手し出した。中には泣いている子供もいた。親がいないということはやっぱり心細いもんなんやろな。そう思た一日だった。
*ナニワの俄(にわか2) 今でいうコントのような寸劇




