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昭和20年12月も後三日となった29日に五陵銀行船場支店に麗人を紹介するから朝一で来て欲しいとの五陵さんからの連絡が入り、小春日和の空模様に押されて俺はやって来た。
戦前の街並みをこの一角だけは残しており、かつての年の瀬の賑わいも戻って来たかのような人波があった。空襲の無くなった夜は腹を空かしていても随分と安心できるようで、皆の顔つきも何処かほっとした表情が見受けられた。
銀行の中に入ると目ざとく俺を見つけた行員がすぐさま奥の応接室に案内してくれた。中々のVIP待遇である。俺が応接室の椅子に腰かけると同じタイミングで五陵さんが麗人を引き連れて来た。
なるほど、ほそく切れ長の目には中々の力があり、卵形の顔の輪郭と胸まで伸ばしている光沢のある黒髪とスーッと鼻筋の通った鼻梁線が意志の強そうな細い唇と合わさって近寄りがたい麗人の雰囲気を醸し出している。
俺が立ち上がると、五陵さんが
「朝早くからご足労掛けます。年の瀬という慌ただしい時期ですので、細かい挨拶は次の機会に取っておいて下さい。こちらが以前よりご紹介させていただくお話の南園寺 香奈子様です。現在は京都にお住まいでして、清水さんの事業展開にいたく興味を持たれたそうで、先日の英語について堪能な人材を探している件をお話しさせていただいたところ、ぜひ一度話を聞きたいとのことでご紹介させていただくことになりました。」
「五陵さん、俺は平民で七めんどくせぇ話は勘弁して欲しいのだが。いいかい。南園寺さん。」と言ってから、座ってもいいかと五陵さんに視線を送ると
「南園寺さん、こういう男ですが大丈夫ですか?先ずは座ってゆっくり話しましょうか。」
「南園寺 香奈子です。清水さんの話は五陵さんより色々とお聞きしてます。先見の明があってこの混沌とした戦後にあって確たるものを持った人物であると。」
「五陵さん、あんまり持ち上げられるとこそばゆくてかなわないねぇ~。南園寺のお嬢さん。五陵さんの話は話半分に聞かなきゃいけないよ。」
「五陵さんからお伺いした清水さんの話半分としても、たいしたものだと私は感じますが。そもそも、私の目力をまともに受けて飄々と話が出来るという時点でたいしたものだと思いますが。」
「お嬢さんも五陵さんからお聞きしていた以上の人だねぇ~。たいした大物の雰囲気を持ってる。アメリカ人が持っている大和撫子のイメージの上を行く女子のように感じる。英語の水準はどれくらいあるんだい?」
「専門用語が飛び交う様な会話以外は問題ない水準です。筆記も問題ないですわ。」
「アメリカ兵とのやり取りも問題ないか?もっともあなたの場合は将校クラス以上でアメリカ本国の貿易に対する文書のやり取りを主に考えているが。ただ今すぐにはそんなに仕事が多くないので、俺が今抱えている戦災孤児の育英奨学の手伝いもしてもらうつもりでいるのだが。問題ないか?」
「交渉や手続きなどはある程度道筋がついているものでしたらご期待に沿えると思います。それと清水さんは戦災孤児を養っているのですか。」
「いえ、子分として雇っているだけです。彼らはれっきとした一人一人が個人として独立しています。今はまだ十分ではないがいずれこの村だけでなく国をも飛び越えて世界に羽ばたいていくだけの人間がたくさん出てくることを楽しみにしています。そんな彼らを支える為の育英資金をアメリカのプロテスタント教会を通じて基金として立ち上げようとしています。それのお手伝いもお願いしようかと思っています。」
「へぇ~、予想外です。五陵さんの話では時流を解き明かし、国家の経済を占い、万機を鑑みて事業を立ち上げていく腕利きの企業人という想像をしていたのだけれど、戦災孤児の世話までしているなんて予想外。今何人くらい世話しているの?」
「母親含めて103人。」
「えっ!」南園寺香奈子は絶句した。
「大田村でも最初は懸念する声があったんですが、進駐軍との交流の中で素晴らしい制度を立ち上げようとしていることが評価され今では誰も心配していない状況まで実現してきているんですよ。」
と五陵。
「なるほど、五陵さんの話以上の方なのですか~。なんかもりもりやる気が湧いて来るような人ですねぇ~。つきましては、お給料等についてはお任せします。ぜひとも清水さんのお手伝いさせてください。」と言葉は柔らかいのだが、南園寺香奈子の態度は獲物に飛び掛かる狼のような眼をして俺を睨みつけていた。こいつ意外と体育会系。えらいお嬢さんだ。と言うのが正直な俺の感想であったが、
「面白れぇ~。お嬢合格。」俺は思わず声を上げてしまっていた。




