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  終戦直後のこの時期は実に錯綜とした時期だった。とはいえ俺とは長い付き合いとなるラスカル少尉との話をしなければ話の筋が分からなくなる。

 ジュリアーノ・ラスカル少尉は大田村に昭和20年9月25日から丁度1か月駐屯することになった。名前の通りイタリア移民系アメリカ人がルーツで、明るいブロンドの角刈りに丸いグレーの瞳を持つ人懐っこい性格の人物であった。170センチの俺と身長差がほぼなくアメリカ人としては少し小柄であった。彼とは駐屯時に俺が接待役兼通訳のような役割になった時からの付き合いである。

 俺自身それほど英語を話せるわけでは無かった為、夜の時間に英会話の教師役としてお願いする代わりに、日本の事を何でも分かりやすく教える教師としてウィンウィンの関係を目指した。もちろん後にラスカル少尉は堺基地きっての日本通になった。アメリカのコネチカット州に両親と妹が住んでいて小さなドラッグストアを両親が経営しているという。

 叔父はニューヨークで小さな貿易会社をしている。戦争中はラスカル少尉にとって幸運にも司令部付き補給大隊の配属となり、激戦を経ることなく日本に対する敵愾心がそれ程強くなかった為、割合と早くに日本に馴染むことが出来たようだ。除隊後は叔父の貿易会社を手伝うことになると言っていたので、色々な商売の仕方を話し合った中で、日本の美術品を鑑定してオークションを開いて儲けないかと誘ってみたところ、色彩豊かな陶磁器や浮世絵・美人画などを中心にすれば、案外いけるかもしれないとの見解となり早速ニューヨークの叔父さんに連絡してもらうことになった。

 早々に来た叔父さんからの返信で、一度試しにやってみようとのことになり質が良くて価格も1000ドルから10000ドルまでの手頃な50点ほどを用意が出来次第送ることになった。

 ラスカル少尉は気さくな性格であったため、将来的な夢を色々と語り合ったが、2~3年後を目途に除隊するように俺は薦めることにしたが不思議そうな顔をしていたので、

「近い将来アメリカはソビエトの後押しを受けた中国との間で朝鮮半島の帰属を巡って争いになります。背景は東ヨーロッパを従えたスタルヒンが中国の共産党を援助して、中国を社会主義国家に作り替えた後に起きるでしょう。アメリカ負担の駐留経費の関係で在韓米軍の縮小撤退後に38度線を越えて朝鮮半島全ての共産主義化にすることを目的とする領有をソビエトが目論む流れになること。

 それが背景となる。奇襲的な軍事侵攻によって危機に陥った南朝鮮政府の要請を受けてそれまで統治支援していたアメリカを中心とした国連軍は戦わざるを得ない状況に追い込まれる。」と言ってからラスカル少尉を見ると何言ってんのと言う顔をした彼がいた。


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