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 時間を一先ず止めて、この戦後の日々が令和の日本人には異世界の物語より理解しづらい日常生活であることを理解してもらうためのお話を少し。

まず、コメ(政府が強制一括買いする非売品)のお値段が10キロをヤミ価格で買うと昭和20年11月で6円(令和現在価格約6000円位として)、これが昭和21年3月には19.5円(19,500円)となり21年11月には36.35円(36,350)円となる。

翌22年7月には、米10キロが99.7円(99,700)円、11月には149.6円(149,600円)となってしまう物価上昇。想像できない状態。

 もちろん、コメだけじゃなく、全ての物が止めどもなく上がっていく。一皿100円の回転ずしが、3か月後に300円になり、1年後には600円に値上げされ、2年後には一皿2500円になってしまう世界。あなたなら、暮らせる?

 それでも戦争中より遥かにいい時代として記憶に残っているのか。あまり悪くは言われてない。

全ての物の値段が明日には信じられないような世界。しかも、まともな働き口などほとんどない。戦中の国の年間予算の70%が軍事費で非戦闘員の多くが軍需工場に勤務させられていた。その代償として、配給という生活物資の支給があった。戦後は軍需工場で働く必要がなくなってしまったが、働き口がない状態。政府は暴動を起こされないように配給は続けるが、配給品は栄養失調で餓死する量しか行われない。それは配給制度そのものが強権力のもと強制的に国民を管理する共産主義的、独裁主義的手法を使ってしか、成立しないものであるからだと推理するが、偏見だろうか。

 敗戦により国家権力が弱まり、生産者は原価を無視した値段で国に取り上げられないように物資を隠したため、配給制度がほころんでくる。

 国民の多くが食べ物を探しに農村部へ買い出しというヤミ行為(非正規取引)かヤミ市へ高い買い物をしなければ生きていけない日常生活を送っていた。

 思うには戦前、戦中、戦後日本には変わらない闇があった。それは配給という独占機構だ。例えば各家庭に肉を100グラム配布することになった。ある家庭は鶏肉100グラム、ある家庭は豚足100グラム、牛筋肉100グラム、ある筋には霜降り100グラム。また、ある時は魚1匹のイワシのところも、一匹のマグロのところも同じ扱いとして。数字は同じ魚1匹である。しかも、例えばコメであれば10キロ200円で役人は強制徴収しようとする。それが全て配給に回されるわけではない。10キロのサツマイモに変わったところで、穀類表示を取り換えれば済む話なのだ。どれだけの利益が誰の手に入ったのであろうか。

 まさに大きな闇が日本の中枢にある状態が戦後も長く続いたと想像できる。その遺産は誰が引き継いだのか。尽きない疑問が湧き上がるが、ここまで。

この話はあくまでフィクションである。真面目に考えないこと。

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