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オハラ少尉はテンポ良く発言の余韻を切り替えていく。
「私には共産主義というものが良く分かりませんし、ラジオをお聞きになっている国民の皆様も良く分からないと思いますので、つい先日までヨーロッパのドイツへ赴いて、共産主義国家のソビエトの共産主義の現状を調査してきていただいた調査員の一人である稲川大二郎さんからお話しして頂くことが現実のソビエトを的確に評価していただけると思い、この場にご出演願いました。」
「私は稲川大二郎と申します。帝大卒業後「主義者」として旧政府に弾圧を受け、終戦まで収監されておりました。幸いマックバーガー大将による解放により監獄より出ることがかないましたが、マックバーガー大将肝いりの共産主義国であるソビエトの実態を調査報告する使節団の一向に選ばれて、昨年の11月から先月までの4ヵ月間ドイツに滞在しソビエトからの亡命者を中心に聞き取り調査を行いました。その結果報告の前に労働党の田端代表と革命党の新崎書記長にお尋ねしたいことがあります。よろしいでしょうか?」
呼ばれた二人はほぼ同時に「いいですよ。」との同意の声を出した。
「では、労働党の田端さん。あなたはどのくらいソビエト連邦の実態を理解しておいでですか?」
「共産主義を実践しスタルヒンを中心に国家一群となって艱難のドイツ戦を制し、今後一層の国家的発展を遂げる国だと思っています。」
「国民はどのように暮らしているか分かってますか?」
「皆で食べ物を分かち合い、全員が等しく労働して国家を大いに盛り立てていると信じます。」と田端。
「革命党の新崎さんはどうですか?」と稲川。
「私もソビエト連邦はスタルヒンを中心に目覚ましい国家発展を今後の世界で成し遂げると信じています。資本家も大地主も存在しない国家で労働者はこの世の春を謳歌していることだと信じます。」
「私は1930年代にソビエト連邦を形成するウクライナという国に住んでいたという亡命者に何人も会うことができました。彼らはそれぞれ全く地域の違うウクライナに住んでいました。彼らは言うのです。
「私は何百人も住んでいる集落の一人だった。しかし、今生きているのは死に物狂いで逃げだした私だけだ。」と
「他の人間はほとんどが餓死するか集落を監視する兵隊に農場裏に連れていかれ銃殺された。」と。
ウクライナはソビエト連邦を代表する穀倉地帯、日本で言えば越後平野や筑後平野のような豊かな地であるはずなのだが、どうしてそうなったか、スタルヒン共産党が種もみの小麦迄ウクライナの農場から取り上げ輸出してしまったからだという。餓死者や死者が出ることによって人数の少なくなった農場はまとめて取り上げられ、地域の農場の何か所かにウクライナ人は再編される。誰もいなくなった農場にはロシア人が喜び勇んで入植してくる。そうやってウクライナ人はあっという間に数を減らしていった。何百万人死んだか数え切れないと。ところが他の地域に住むロシア人の餓死者は報告されていない。これが共産主義なのだ。人々は政府に反抗しないし出来ない。町中のいたるところに市民に紛れて秘密警察がいる。うっかり政府を非難するようなことを言っていたら、いつの間にかにその人物の姿が町中から消えてしまい、いなかったものとして扱われていく。ソビエト連邦にとって亀井戸事件や甘粕事件などは日常茶飯事の事件といえるです。」
稲川は言葉を切って労働党の田端と革命党の新崎をじっと見る。




